第6話 消えかけて
7歳になった、つぎの日。
わたしは、いつものように、いっぱいごはんを食べて、いっぱい遊んだ。
ネイシャと、途中から、サティアが、いっしょに遊んでくれた。
そして、夜ごはんになって、コロッケで、わーい、って思いながら食べたとき……
わた……儂は唐突に思い出した。自分の前世が、魔王ジルガントじゃったことを。流石にもう2度目じゃから叫び出しはせんかったが。
ただ、7歳の少女からいきなり魔王になるのは、やはり驚く。2度目でも驚く。
じゃから。
「んぐっ、ごっ!? んぶっ、がひゅ」
儂はコロッケを噛まぬまま飲み込んで、芋と衣に喉を塞がれてしもうた。
一気に飲み込むか口の中に吐き戻すか、どちらかにすれば問題なかったのじゃが、儂は驚きのあまりどちらの判断もできず、窒息しかけ、辛くも生き延びたものの、鼻から変な息を噴き出してしまう始末。
「あら、シンディ、大丈夫? はむっ」
そしてそんな儂を見ておった母親のリサが一言。パンにバターを塗りながら。しかも言い終えてすぐ、齧りつく。
儂が言うのも変じゃが、この母親、娘の命の危機を目の当たりにしたというのに、暢気なものじゃな。まあ傍目にはその程度に見えるのじゃろう。
じゃが、これは死活問題じゃ。急に前世の、膨大な量の記憶が戻って混乱しておると、命を守るための行動が取れぬ。
転生の秘術、かくも恐ろしいものじゃったとは。
「シンディ様、大丈夫ですか?」
そしてネイシャが駆け寄って、顔を拭いてくれる。
「シンディ様」。家族の手前、「魔王様」とは呼ばぬ。思えばこの呼び方にも、今日一日、違和感がなかった。儂はそれほどに、儂自身のことを忘れてしまっておったらしい。
「ネイシャ、ありがとね」
「どういたしまして、リナ様」
転生の秘術は他人に乗り移るような術ではない。転生を経て前世を忘れてしまう未来の自分に、忘れた記憶を取り戻させるだけの術。
このこと、もっと深刻に捉えておくべきじゃった。記憶を取り戻した未来の自分が過去の意思を貫くか、放棄するか。それは前世の自分には決められぬ。
いや、そのこと自体は前世のうちにうすうす分かっておったはずじゃった。儂が目を逸らしておっただけじゃ。
あくまで勇者に敗れたときの策、やらないよりはまし、強き意思があれば問題はない、来世の自分を信じよ。そう、いくつも理由を並べて。
……言い訳はできぬ。じゃが、シンディの生活の心地の良さは完全な計算外じゃった。この人生は幸せすぎる。再起の意思など放棄したくなってしまうほどに。
じゃが、だめじゃ。儂には使命がある。どちらの生き方が幸せか、ではない。
儂には、儂の幸福よりも優先せねばならぬ使命が……
ん?
そういえば儂の使命、何じゃった?
いかん、使命があったことは覚えておるが、その中身が思い出せぬ。いや思い出せぬではいかん。大事なことのはずじゃ。そもそも儂が魔王を名乗ったのも……
「……ディ? お〜い、シンディ〜?」
!?
いかん、リナが話しかけておる。この場で魔王としての思考を巡らすのはいかん。じゃが思考を放棄すれば、また儂は自分が魔王じゃということを……
「な、なあに? おかあ様」
「大丈夫なの? さっきからぼーっとしてたけど」
「だ、だいじょうぶ、う、うん、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
故に儂は、自分は魔王と自分に言い聞かせながら、いつも通りのシンディの受け答えをシンディの記憶から探して演じた。じゃがそれは、自分でも不自然と分かるほどにぎこちなく……
◇
夕食を終え寝室に戻ったとき、儂はベッドに倒れ込んだ。
「もう、だめですよ魔王様。今日はお風呂にも入らないで寝ちゃうつもりですか?」
昨日の風呂上がりのように、うつ伏せに。
ネイシャが何かを言うておるが、反論する気にもなれぬ。
じゃが、この状況は真剣に危うい。
今日は忘れた記憶を再び思い出すことができたが、この後も同じことが起こるという保証はない。
おそらく、今日思い出せたのは、昨日の今日だからじゃ。秘術の効果に残り香のようなものがあって。じゃが、秘術の効力は確実に弱まっておる。一度力を使ったことで。使命を思い出せぬのもそのせいじゃろう。
次に前世を忘れたら、もう、思い出すことはない。
そして。
「ネイシャ」
「はい? どうしました魔王様」
儂は身を起こし、ネイシャに尋ねる。
「もし儂が、自分が魔王じゃということを忘れ、シンディとして生きるとしたら、お主はどうする?」
おそらく、ネイシャは儂のことを「魔王様」と呼び続けるじゃろう。他に人のいないところでは。
じゃが、そのとき儂は、その呼び名を何かの遊び程度にしか認識できなくなっておるやも知れぬ。
そうなったとき、ネイシャは、儂に前世の生き方を思い出させてくれるか。
「ん~、そうですね、魔王様がそうなさりたいのでしたら、私はこのままメイドを続けますよ。今の生活も割と気に入ってますから」
そう、じゃろう、な。此奴にシンディからシンディの人生を奪わせるのは、無理じゃ。
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