第5話 いつも通りの

 これまでのあらすじ。

 ネイシャは世話係の仕事として、儂と風呂に入ると言い出しおった。

 それを儂は断っておるのじゃが、ああ言えばこう言うで、何を言っても聞かん。


「あの、魔王様。私は服を着たままですよ?」


 そう。こんな風に言いおって。これでは、儂が、まるで、風呂が嫌いで駄々をこねる子どもで……

 ……ん?


「……ネイシャ、今、何と言うた?」


 何じゃろう、また何か、意外な事を言われた気がした。


「ですから、私は服を着たままです、と。今までだってそうだったじゃないですか」


 そして、何を今さら、という顔のネイシャ。

 じゃが、シンディの記憶を思い返すと、確かにそうじゃった。シンディと一緒の時にするのは湯浴みの手伝いだけ。此奴自身は別の時間に湯浴みする故、この時は服を着たまま。

 ……何じゃ、この、自分がまるで良からぬことを考えておったかのような罪悪感は。いや着たままなら着たままで良いのじゃが。


「もしかして魔王様、私と一緒に湯浴みをしたかったんですか?」

「え、いや違う、それは」

「でしたら、他の人には黙っておきますので、ぜひご一緒に」

「わあああ、駄目じゃ、駄目! いつも通り、いつも通りで良い」

「そう、ですか。では行きましょう、魔王様」


 こうして儂はネイシャに逆らえぬまま、浴場まで手を引かれて廊下を歩くことになったのじゃった。



 それからしばらくは、再び気苦労の連続じゃった。たどり着いた浴場で、何かとお世話をされてしまうから。

 何から何まで、儂が自分でできると言っても、だめです、いつも通りなのですから、と。

 風呂を上がった後の脱衣所で、髪は自分で拭けると言っても、だめです。服くらい自分で着られると言っても、だめです。髪を梳かすなと言っても、だめです。

 ……うん。その前の浴場で何があったのかを回想するのは、やめておこう。

 それよりネイシャの奴、だめです、を言うたびに顔がほころんでいきおった。此奴、絶対楽しんでおる。


 そして再びネイシャと共に寝室に戻ったときは、儂はぐったりと疲れてしまっておった。

 儂は、風呂上がりのほかほかの状態でベッドにうつ伏せに倒れ込んでしまう。


 ちなみに儂が今着ておる、というよりネイシャに着せられたのは、7歳児に相応の可愛らしいネグリジェ。

 カラフルで、あちこちリボンがついておって、お腹のところにくまさんのアップリケが縫われておるもの。

 まあ、これがシンディの普段の寝間着なのじゃが、これを着せられるときの儂の努力が無駄な抵抗に終わったことは、言うまでもない。

 そして。


「もう、魔王様。そんな恰好で寝てしまわれては駄目ですよ」


 なぞと言うておるネイシャの声は、どこか上機嫌。そして背中をぽんぽんと叩く。さらに鼻歌まで聞こえる。

 うん、此奴、今の状況を完全に楽しんでおる。今にも小躍りしそうじゃ。

 納得行かぬ。

 納得が行かぬ、が、ネイシャの掌は心地良くて、鼻歌も子守唄のように耳に心地良くて、7歳の子どもはとうに眠る時間で、そうでなくとも儂はいろいろ疲れておって……


「おやすみなさい、魔王様」


 気が付けば儂は仰向けに寝かされ、布団を掛けられ、枕に頭が沈む感触を味わっておった。

 そしていつも通りに、ネイシャに頭を撫でられながら、自分の息がだんだん深くなってゆくのを聞いて。


 思えば、このとき既に、表に現れていたはずじゃった。

 転生の秘術の、一番危険な部分の兆候が。



 朝。

 と認識したのは、慣れた気配に気づいた後じゃった。ネイシャの気配。

 ネイシャは、シンディが物心つかぬうちから手厚い世話をしてくれていたのじゃろう。儂の意識より先に、シンディの身体がネイシャの気配に喜んだ。


「おはようございます、魔王様」


 そしてネイシャも儂が起きたことに気づいたのじゃろう。日差しに乗って来たかのような声が、どこかぼーっとしておる頭に心地良い。

 空腹を覚えた儂は、シンディのいつも通りにネイシャに手伝われて身支度し、いつも通りに手を引かれて廊下を歩き、いつも通りに食堂の前に辿り着き。


「おはようございます、皆様。シンディ様をお連れしました」


 いつも通りのネイシャの声を聞きながら、席に着いた。

 おはようシンディ。祖母がにこりと笑う。おはようございますおばあ様。いつも通りに返す。おはようシンディ。おはようございますおじい様。おとう様、おかあ様、ロイドおにい様、ラセルおにい様。

 儂が何も考えなければ、儂の身体はいつものシンディの通りに動く。

 パンとスープとサラダ。ベーコンと目玉焼き。静かに鳴る食器の音、家族の笑い声、家宰との会話、メイドたちの談笑。

 いつも通りの匂い、いつも通りの食卓。

 いつも通りの……


 記憶は、何かのきっかけで思い出すことがあったとしても、再び忘れてしまうことのあるもの。

 思い出したという事実すら、忘れてしまうもの。


 いつも通りのシンディとしていつも通りに過ごした儂は、昨夜に一度思い出していたはずの前世のことを、いつも通りの日常の中に忘れて行き……

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