しばらく疎遠だった幼馴染

リクトマロン

第一話


 終業のチャイムが鳴り、教室が騒がしくなった。勉強から解放された喜びに気の早い生徒たちは各々が帰り支度を始める。急いだ所で帰る前の短めのホームルームがあるので直ぐには帰れないと理解している筈なのに。


「起立────さようなら」


 日直の号令がホームルームの終わりを告げた。

 直ぐに教室内は騒がしくなる。遅れて、別の教室や廊下もまた騒がしくなっていった。

 帰宅する者。部活に励む者。意味も無く駄弁る者。窮屈さから解放された生徒たちは思い思いに放課後を過ごす。彼らの喧騒が学校全体を賑やかしていった。


「ねぇ、智也。今日部活休みって聞いたんだけど……久しぶりに一緒に帰らない?」


 智也が下校のため荷物をまとめていると、幼馴染の瀬良結菜が伺うように声をかけて来た。結菜と智也はここ一年ほど疎遠だったため、まさか声をかけて来ると彼は思わなかった。


「えっと……」

「……ダメかな?」

「……いや、ダメって言うか」


 疎遠と言っても彼らが仲違いをしたとかそう言う訳では無い。むしろ結菜は智也に対して普通に話し掛けたりもしていたのだ。どちらかと言えば智也のほうが一方的に結菜の事を避けていた。


「────彼氏に悪いんじゃないか?」


 智也はそう言葉にして、胸が僅かに痛むのを感じた。

 結菜は高校入学からしばらくして恋人が出来た。だから智也は、変に誤解されないよう遠慮していたのだ。幼馴染とはいえ、恋人に親しい異性がいたらあまりいい気はしないだろうと。


「それは、大丈夫。少し前に別れたから……」


 少し、言い辛そうに結菜は話す。別れた彼氏の事を思い出しているのだろうか。そんな風に思って、智也はまた胸が痛んだ。


「えっと……悪い。余計なこと、思い出させたみたいで」


 智也は胸の痛みを誤魔化す様に、思っても無い事を口にした。


「ううん、別に気にしなくていいから……それで、そういうわけだから……」


 もじもじと、結菜は智也の返答を待っている。


「……なら、一緒に帰るか。久しぶりに」


 彼氏と別れたのであれば、智也が断わる理由は特に無い。幼馴染なのだから。とはいえ、一緒に帰りたいかと言われれば正直微妙な気分なのだろう。彼の声のトーンは低めだ。


「あ……、うんっ、カバン取って来るね!」


 一緒に帰れるのが嬉しいのか結菜はそれに気づきもしない。彼女は笑顔を浮かべると急いでカバンを取りに行く。

 その背中を見ながら、智也はざわつく心をなんとか落ち着けようとしていた。



 帰り道。

 ローファー特有の硬い音だけが沈黙の中にあった。歩幅が合わないからか一定のリズムを刻んでおらず、不規則な足音。

 僅かに早い智也の足音と、それに遅れる形の結菜。結菜が遅れまいと早めれば、智也が気づいて速度を緩める。その繰り返し。

 二人が一緒に歩くのは久しぶりだった。

 中学まではほぼ毎日一緒に歩いていた。だが、高校に入ってからはほとんど記憶にないだろう。

 結菜には恋人が居て、彼女の隣は埋まっていた。そしてそんな彼女を智也は徹底的に避けていたのだから当然だ。

 距離感を測りかねた二人の間は、ちょうど一人分くらい離れている。

 彼らの間に会話は無い。


「えっと……智也、最近どう……?」


 沈黙に耐えかねたのか、結菜が躊躇いがちに口を開く。


「どうって?」

「……部活、とか?」

「……まぁ、ぼちぼち」

「そうなんだ……」

「うん……」

「……」

「……」


 当たり障りの無い会話は長く続かない。

 二人が一緒に登下校していたころは、今みたいに途中で会話が途切れるような気まずい雰囲気になる事もなかった。

 あの頃はどんな風に話をしていたのか。たった一年ほど疎遠だっただけなのに、彼らはもう分からなくなってしまっていた。

 そのまましばらく無言の時間が続いた。

 もう直ぐお互いの家が見える頃。結菜が足を止める。


「……ねぇ、智也。ちょっとだけ、時間くれない?」


 彼女の表情は少し硬い。


「時間?なんで?」

「うん、ちょっとね……ダメかな?」

「まぁ……いいよ」

「ありがとう、智也。ここじゃあれだし、公園に行こっか」


 結菜の言う公園とは、幼い頃に二人がよく一緒に遊んだ公園の事だ。砂遊び場と絶妙に可愛くない動物のオブジェくらいしか無い小さな公園だが、座って話すくらいは出来る。道端で立ち話をするよりはいいだろう。

 自宅までの道のりから少し外れ公園へと向かう。

 その間も当然のように無言だ。先程のように結菜が智也へ話しかける事も無い。

 それから五分ほどで公園へと到着した。

 公園にある唯一のベンチに結菜が座ると、智也も少し間を空けて隣へと座る。

 大体人一人分。それが今の二人の距離感だ。


「……なんか懐かしいね。昔はよくここで遊んだよね」


 それを少し寂しそうに見つめてから、ぽつりと結菜が話し始める。


「そうだな」

「あの頃は、毎日のように一緒にいたっけ。小学生になってたくさん友達が出来ても一番一緒にいたし……中学生になって遊ぶ機会が減っても登下校は一緒にしてた」


 結菜は、懐かしむように目を細める。たった数年前の事なのに、まるですごく昔の事のように語る。

 智也はそれを黙って聞いていた。


「でも、ここ最近はさ、ちょっと疎遠になってたよね、私たち……」


 ここ最近とは高校生になってからの約一年ほどの事。より具体的に言うのであれば、結菜を避けていた期間を言っているのであろう事は智也にも直ぐ理解できた。

 だけど彼は何も言わない。

 そんな彼を見て、結菜は一度息を吸い直すと、


「ううん……智也、私の事避けてたでしょ?」


 意を決して口を開いた。

 否定の言葉は無い。もちろん肯定の言葉も。

 だが、今この場の沈黙がどちらを意味しているのか。それを結菜は察していた。


「智也はさ、私の事、嫌いになったの?」


 結菜は不安そうな目で智也を見つめる。

 ずるい聞き方だった。その自覚も彼女にはある。だけど、どうしても結菜は否定の言葉が欲しかった。


「…………そんな事ないよ」


 ずっと沈黙を貫いていた智也が口を開いた。

 彼女の欲した否定の言葉だ。

 嫌いになったかどうかで言えば、智也は結菜を嫌いになんてなっていない。今もなお彼女の事が好きなままだ。彼女に恋人が出来てもそれは変わらなかった。


「ただ、瀬良さんの彼氏に悪いなと思って」


 だから、避けるようになった。

 好きな人に彼氏がいる。顔を合わせる度、言葉を交わす度、それを思い出して、胸が痛むから。

 だから智也は、“彼氏”を理由にして距離を取るようになった。

 誰だって自分の恋人の近くに異性がいたらいい気がしないだろうと、そう言いわけをして。


「“瀬良さん”……昔みたいに名前で呼んでくれないの?」


 寂しそうに笑う結菜から、智也は目を逸らす。


「あー……彼氏に誤解されないよう、名字で呼ぶように意識してたから」


 嘘だ。

 本当は苗字で呼ぶ事で、智也は踏ん切りをつけようとしていた。


「さっきも言ったけど、私、別れたから……そんな事気にしなくていいから」


 もう名字呼びに慣れてしまったと、智也は誤魔化す。

 今更名前で彼女を呼ぶ気など智也には無かった。

 結菜は、名前で呼んでくれるのを期待していたが、


「……話ってそれだけ?」


 智也はそれに応え無い。話を逸らすようにそんな事を言う。


「えっと…………」


 結菜はそのまま口をまごつかせて、そして黙ってしまう。

 それからしばらく沈黙が続いた。


「……そろそろ帰るか」


 智也はもう話は終わったと判断してブランコから立ち上がると、


「待って……っ!」


 結菜は慌てて智也の制服を引っ張って引き留めた。


「あの、ね……智也は今、彼女とか居たりする?」

「……居ないけど」


 智也に彼女が出来た事なんて無い。ずっと片想いを拗らせているのだから。


「そっか。じゃあ……じゃあさ、私と付き合わない?」


 一瞬、智也は何を言われたのか理解できなかった。


「…………なんで?」

「なんで……って、智也の事が好きだからだよ……」

「……」


 “好き”と結菜が言った。智也に向けて、言った。

 その瞬間、智也は胸の痛みを感じた。傷口をぐちゃぐちゃにする様な、そんな痛みだ。

 なんでそれを言うのが今なんだと、智也はそう思わずにはいられない。


「………………ごめん」


 智也は、思わず歪んでしまいそうな表情をなんとか取り繕う。


「え……?」

「ごめん…………瀬良さんと、付き合う気は無い」


 もう一度、智也ははっきりと言葉にする。

 結菜は目を見開いた後、悲しげな表情を浮かべた。


「……なんでか聞いてもいい、かな?」


 結菜の声は僅かに震えいる。

 ジクジクと、智也の胸が痛んだ。

 結菜が好きだと智也に伝えたあの瞬間、彼は結菜の恋人の姿を幻視した。結菜が別れたと言っていた誰かの姿だ。

 彼女が好きと言ったその声で、かつてその誰かに愛を囁いていたのだろうか。

 好きだと言ったその口を重ねたのだろうか。

 制服を引っ張っている手で触れ合ったのだろうか。

 そんな幻影が、智也の胸に棘として刺さっていく。

 結菜の声が鼓膜を揺らす度に誰かを幻視し、目を合わせれば鮮明な幻を見る。それはともすれば本当の出来事の可能性があって、そう考える度、智也はまた胸が痛む。

 考えて、考えて、苦しくなって────

 そして冷めてしまった。

 だから智也にとって瀬良結菜は初恋の相手で、今も変わらずに好きなのに間違い無いけど、それでも彼女の恋人になりたいと思える熱量は智也に無かった。

 恋人になっても、誰かを幻視し続けてしまうから。

 きっと彼女の恋人は自分じゃ無くてもいいのだと、そう思ってしまうから。


「……とにかく、ごめん」


 だから、智也は結菜と付き合う事を選ばない。

 智也は痛む胸の内を隠してただそう言った。


「……ほんとにダメかな?」

「……うん」

「やっぱり付き合っている人がいるとか……」

「いないよ」

「じゃあ、誰か好きな人がいるとか……」

「それは…………“いた”のほうが正しいかな。失恋したから……」

「それなら…………」


 智也の胸の痛みもいい加減限界だった。


「ごめん…………それでも、付き合うつもりは無いから……」


 だから彼は、突き放す様に彼女の想いをバッサリと切り捨てた。


「そっか…………ごめんね、時間取らせちゃって……私、先帰るね」


 結菜は智也に背を向けると走り去って行く。

 その時、一瞬だけ見えた彼女の表情が智也の目に焼きついた。


「……はぁ」


 重たいため息。智也は天を仰いだ。

 結局のところ、ただ好きな人に恋人がいたという事実が受け入れられなかったのだろう。智也は暮れなずんだ空を見上げてそう思った。

 面倒くさい価値観をしていると、彼自身苦笑してしまう。

 そんな事気にしなければいいのに。

 そう思っていながら、どうしても付き纏う幻影が振り解けない。

 こんな事では結菜は愚か、例え他の人であってもまともに恋人なんて出来ないだろう。

 だからと言って無理をして付き合っても、いつか破綻する。そうなってしまえば、お互いに不幸になるだけだ。

 どうやら自分は恋愛という物が向いていないらしい。智也はそう思った。

 それともいつか、そんな事を気にしなくなる日が来るんだろうか。

 少なくとも、今の智也には考えられなかった。

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