第11話 馬車で買い物へ。

 目の前には、馬車がピタリと横づけされている。

 外観は目立たぬように工夫がこらされているが、内装は凝った作りになっている貴族や富裕な商人がお忍びで使う馬車だ。

 ミカはトビィのために扉を開けた。

 戸惑うトビィに、目顔で中に入るよう促す。


「乗れよ」


 促されるままにトビィは、馬車に乗る。

 腰かけた椅子は、座面が柔らかく、長時間乗っても疲れないように工夫がこらされていた。目の前ののぞき窓から見える御者は、典雅な馬車にふさわしい品のある衣装を着ている。

 ミカがトビィの隣りに乗り込み扉を閉めると、それが合図であるかのように、馬車がゆっくりと動き出した。


「ミカ、どうしたの? これ」

「雇ったんだよ」


 いかにも退屈そうに頬杖をつき愛想のない声で答えながらも、ミカは横目でトビィの様子を伺う。

 トビィが馬車の内部の豪華さに目を丸くしている姿を、ジッと見つめている。


「高かったんじゃない?」

「大したことねえよ」

「でも……凄い立派だし」

「こんな豪華な馬車には乗ったことがないのか?」


 トビィは感嘆を露わにして頷く。


「ルグヴィアでは公爵だって、こんな立派な馬車に乗らないよ。公都だってエリュアみたいに賑やかじゃないし」


 貿易とその周辺産業で栄え、人の出入りも人口も多いエリュアに比べて、ルグヴィアは林業や農産業が主体の国だ。

 ルグヴィアの高位の貴族よりも、エリュアの豪商のほうがよほど贅沢で華やかな生活をしている。


「そうか、ルグヴィアじゃあ、お前が仕えている公爵サマだってこんな馬車には乗らないのか」


 ミカはトビィの言葉を繰り返すと、満足そうに鼻を膨らます。

 馬車の造りや調度のひとつひとつにトビィは驚き、讃嘆の声を上げる。

 そのたびにミカの表情はどんどん嬉しそうに、得意げになっていった。「こんなことは何でもない」という様子を精一杯装おうとしたが、端から見ればトビィの素直な感嘆がミカを喜ばせ、満足させていることは明らかだった。


「まったく、馬車くらいでそんなはしゃぐなよ。これからが本番なのに」


 ともすれば緩みそうになる表情を、ミカは何とか余裕のある退屈そうなものに見せようとする。


 馬車は、白い敷石が敷かれているエリュアの高級住居地区をゆっくりと進む。窓からは陽光を反射して煌めく海が見え、海辺には豪勢な邸宅や城館が並び、反対側にはそこに住む人間たちのみを相手にする立派な門構えの店が立ち並んでいる。

 確かな身分の保証がない客は、例えうなるほど金を持っていても相手にされない。

 そういう種類の店だ。

 馬車はその中の一軒である、洒落た白亜の建物の前でゆっくりと止まった。


 特に「待ち構えていた」という風もなく、恰幅のいい大柄な男が建物からゆっくりとした足取りで出てきた。

 華美と品の良さを両立させた質のいい服を着ており、首から下げた金鎖や指輪などの装飾品もこれ見よがしではなく、全体を彩る一部になっている。

 男の後ろからは何人かの使用人が付き従い、店の入り口までの道の両脇に等間隔で並び、寸分たがわぬ同じ姿勢で頭を下げる。


「ミカさま、お待ちしておりました。久方ぶりにご連絡をいただき、朝から胸を喜びで高鳴らしておりましたよ」

「どんだけ金を使うか、楽しみにしているんだろ?」


 ミカの憎まれ口にも男は動じた風もなく、口ひげに飾られた口元に微笑みを浮かべる。


「そういったお言葉を頂戴いたしますと、ミカさまにお会いしたという実感がわきますな」


 男は高位の貴婦人に対するような恭しい仕草で礼をし、片手を差し伸べる。

 ミカは無愛想な顔つきで言った。


「今日は……そういうんじゃねえんだ」


 店の支配人らしき男は、怪訝そうにわずかに眉を上げる。


「お一人でございますか?」


 支配人はミカの隣りに坐っているトビィを見ながら言う。

 見たところ侍女か護衛にしか見えないトビィは、ミカの「連れ」にはならない。トビィの存在を認識しながら「一人か?」と問う支配人の言葉には、そういう意味がある。

 ミカは不機嫌そうに眉を寄せた。


「ちょっと、どいてくれ」


 ミカは支配人の男を押しのけるように馬車から降りると、奥にいるトビィに向かって手を差し出す。普段の言動からはとても想像がつかない、上流社会の正式な作法に則った非の打ち所の無い完璧な所作だった。

 呆気に取られたトビィに、ミカは仏頂面のまま、促すように手をもう一度差し伸べ直す。

 トビィは金色の瞳に見とれたまま、何かに操られるようにミカの手を取った。

 道端に整列している使用人たちが、思わず顔を上げて、その光景を見つめる。幾人かの口からは「ほおっ」という讃嘆のため息が漏れた。

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