第12話 こいつの服を選びたい。
トビィがミカに支えられて地面に降り立つのを見て、支配人はようやく我に返った。
失態を取り返すように、愛想のいい笑みを浮かべる。
「これはこれは。お連れさまがいらしたとは。そのう……ミカさまが女性のかたをお連れするのは初めてですので気付かず、大変失礼いたしました」
「こいつに合う服を選びたいんだ。新しいデザインの奴を何着かと……装飾品とか小物とかもな。髪型と化粧は、サルディナにやってもらいたいな。いるだろ?」
「ご連絡をいただいて、すぐに専用のお部屋のほうへ待機させました。サルディナもミカさまにお会い出来ることを楽しみにしております。新しい着物にぴったりの髪型を考案したとかで」
支配人は恭しさの中に、品を損ねない程度のおもねりを混ぜ込んで軽く頭を下げる。
「ちょうど西方世界から取り寄せた生地がございます。お耳の早いかたからは、採寸のために近々呼ぶから生地を取り置きしておくよう仰せつかっております。もちろんミカ様にであれば、そのような申し付けをさしおいていてもご用意いたしますが。
行政長官さまやムール伯爵夫人などの宴にご出席の折には、こちらで作ったお服を纏っていただければ、当館といたしましてもこれに勝る栄誉はございません。ミカさまが身に付けられて社交場に出れば、ご婦人がたも同じ型を求められるでしょうから」
他の国ではにわかに信じがたいが、享楽や退廃が文化の一端を担っているエリュアでは、街の酔漢の袖を引く売娼婦はいざ知らず、貴族や富裕層の公然の愛人として扱われる高級娼妓の身分は決して低くはない。
貴族や高位の官僚の私的な宴、内輪のサロンに同伴者として顔を出し、そこで確たる地位を築くことさえある。
美と
公式の場には出入りは許されずその存在は認められていないが、非公式の場では一種の美や流行の象徴として扱われている。
エリュアの高級娼妓の文化はそのような、他国とは違う独自の歴史を歩んでいる。
エリュアの主だった貴族や高官に伴われて社交場に姿を見せるミカは、流行の指針として無視できない存在だった。
高位の貴族たちは、娼妓……ましてや男であるミカが社交場の中心となることを認めることで、他の国では決して見られない自分たちの先進性に満足していた。
若い未婚の令嬢たちは影からこっそりミカの姿を見て、その髪型や服装をさりげなく自分の装いに取り入れた。
支配人の言葉はそういった意識から出た当たり前のものだ。
だがミカは、何故か慌てたように早口で遮った。
「わかっている、いつもそうしているだろ」
「左様でございますな」
支配人は逆らわずに頷いたが、その顔にはいつもと勝手が違うことへの戸惑いが滲んでいる。
ミカは後ろを振り返った。
「言っただろ。今日は俺じゃなくて……こいつの服を選びに来たんだって」
「私?!」
支配人が何か言うよりも早く、トビィが驚きの声を上げた。
「でもミカ……私、お金はあんまり……」
トビィは目の前の豪邸のような建物と、門から入口までズラリと並んだ使用人たちを見てゴクリと唾を呑み込む。
ミカは素っ気なく言った。
「金のことなんか気にすんなよ」
「で、でも……」
「気にすんな、って言ってるだろ」
ミカは仏頂面のまま、トビィの手を引いた。
「行くぞ」
「えっ……」
なおも怖気たように躊躇うトビィを、ミカはちらりと見て言う。
「お前がそんな恰好していると、俺の気が乗らねえんだよ。一緒に出かけるのに恥ずかしくないカッコにするから来いって言ってんだよ。金は俺が払う」
「う、うん」
強引に手を引っ張るミカの後を付いていきながら、トビィは自分の姿を見下ろす。
エリュアに来てからは、月晶宮の使用人が着ている、平民の日常の衣服で過ごしている。
豪奢に着飾ったミカに護衛として付いていくには、素朴すぎる恰好かもしれない。
ミカは時折、客に連れられて貴族のサロンや宴に行くために外出する。そういう時は他の外出の時とは違い、トビィを月晶宮に残された。
外出のための装いをしたミカは、トビィが昔おとぎ話を読んで想像した、遠い異国からやって来た女王のように艶かしく美しかった。
出かけるミカの後ろ姿を遠くから見送っていると、ミカを男たちに力ずく奪い去られるような気持ちになる。
今すぐ追いかけて、男たちからミカを取り戻したい。
わき上がる強い衝動を押さえつけるのがひと苦労だった。
だが今日は。
一日、そばに付き添える。
そう思うと、喜びで胸が高鳴った。
それならば、付き添いとしてふさわしい装いをしろと言われることも納得がいく。
「ミカさま、お連れさま、こちらへどうぞ」
支配人は丁重な態度で、二人を館の奥に案内する。
ミカは館に入ると、トビィの手を取ったまま、歩調を合わせて支配人の後を歩く。
先ほど馬車から降りた時といい、日頃の我が儘で強引な態度が嘘のようだ。
自分がミカの護衛をしているのではなく、ミカが自分に付き添い護衛をしている、そんな奇妙な錯覚にトビィは囚われていた。
手を取り合っていると、自分の手が熱いのか、自分の手を握りしめている手が熱いのかわからなくなる。
ちらりと精巧な人形めいた横顔に視線を向けると、ミカは微かに頬を赤らめて顔を背けた。
「何だよ?」
「ううん、何でもない」
不機嫌そうに問われて、トビィは慌てて首を振る。
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