第10話 後悔させてやる。

 リリセラは、ひるんだように言葉を呑み込んだ。

 だがここで引きさがるのは沽券に関わると思ったのか、一段と声を励まして言葉を続ける。


「あら。聞こえなかったの? 良かったわね、って言ったのよ。素敵な相手が見つかって。珍獣は珍獣同士お似合い……」


 不意にミカがすさまじい勢いで、リリセラに飛びかかった。

 その手がリリセラの金色の髪を掴む寸前、トビィがミカを後ろから羽交い絞めにして引きはがす。


「ちょっと! ミカ! 落ち着いて!」

「てめえっ、この野郎!」


 ミカは狂乱したように、トビィの腕の中で暴れる。

 一体その細い体のどこにそんな力が眠っていたのかと思うほど、すさまじい力だ。幼いころから武術や体術を学んでいるトビィでなければ、とても抑えきれない。


「いたっ! 痛い! やだ! 止めてよ」


 ミカの爪に髪が引っかかったのか、リリセラは泣きそうな顔で悲鳴を上げる。

 下働きの少女たちは、格式高い月晶宮の中でも一、二を争う人気の娼妓という雲の上の二人のいさかいに何をすることも出来ず、おろおろするばかりだ。


 ようやくミカを引き離したころには、リリセラの美しく整えられた髪は崩れ、服はくしゃくしゃになったひどい姿になっていた。


「信じられないっ! 大旦那さまに言いつけてやる! ううん、それだけじゃない、ご贔屓筋のお客さん全部に、あんたのこと言ってやる! この街の司法補佐官さまだって、アッシュイナの伯爵さまだって私のことを気に入っているのよ! あんたなんて、牢にぶち込んでもらうから!」


 顔を涙で汚してわあああと大きな声で泣き伏したリリセラを、ミカはすさまじい目つきで睨みつける。


「へっ、やれるものならやってみやがれ。てめえみたいな頭も中身も空っぽの、ロバみたいなアホを追っかけ回している奴らなんざ、怖くとも何ともねえや」

「ろ……っ、ロ、ロ、ロバ?!」


 普段聞き慣れない遠慮のない啖呵たんかを浴びて、リリセラは怒りで顔を引きつらせる。


「てめえよりはロバのほうがマシだ。同じアホでも根性はひん曲がってねえからなっ」

「なっ……何ですって!」

「ミカっ、駄目だよ。ほら、行こう」


 トビィはリリセラのことを下働きの少女たちに頼むと、半ば抱えるようにしてミカをその場から連れ出した。


「よ、よくも、この私に向かって! ロ、ロバ!……ロバ! だなんて言って!」


 おろおろと自分の周りを取り囲む下働きの少女たちの手を邪険に振り払い、リリセラは引き付けを起こしたように叫ぶ。

 二人が消えた通路の奥を、怒りで体を震わせて睨みつけた。


「許さない。絶対に後悔させてやるんだから」



8.


 リリセラの姿が見えなくなるとミカは暴れるのをやめて、トビィの腕の中で大人しくなった。

 トビィが様子を伺うために視線を向けると、顔を見られないようにそっぽを向く。


「いい加減、放せよ。俺は荷物じゃねえんだ」

「もう暴れない?」


 トビィの問いにミカは素っ気なく頷いたが、戒めから解放されると憤然として言った。


「お前な、少しは怒れよ。あいつは、お前のことを……侮辱……ええっと、そうだ、侮辱だ。お前が侮辱されたんだぞ!」


 ミカの顔は怒りだけではない、何かを羞恥しているかのようにうっすら染まっており、純粋な怒りからというよりはその感情によってさらに感情が高ぶっているようだった。

 トビィは、ミカをなだめるために言う。


「仕方ないよ。どこにでもそういう人はいるから」


 ルグヴィアの宮廷でも、女でありながら銃剣士であるトビィに奇異の目を向けたり、揶揄の言葉を口にする人間はいた。

 そういう人間は相手にしても仕方がない。

 経験からそうわかっている。

 それに、とトビィは口ごもる。

 

(ミカが怒ってくれているし……)


 ミカが我がことのように怒ってくれている、そのことに対する喜びのほうが遥かに大きかった。

 ミカは自分に対する理不尽な仕打ちにも、こうべを垂れてやり過ごそうとはしない。

 周りから「しょせんは賎業の者」と貶められても、言動が粗野であっても、ミカにはどこか失われることがない気品がある。

 普段は透き通るように細く華奢な体が、誇りで燃え上がる瞬間がトビィは好きだった。

 ミカはそんなトビィの内心には気付かず、不満そうに舌打ちする。


「ったく、おめえはお人好しだな」

「そんなことないよ」


 ミカと同じ境遇にいるリリセラではなく別の人間がミカを馬鹿にした時は、トビィも剣や銃を抜くつもりだ。

 そんな自分の思いを伝えたほうがいいのか、どう伝えればいいのかと考えるうちに、二人はいつの間にか裏口から外へ出ていた。

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