第9話 リリセラの嫌味

 その顔を見ながら、トビィは考える。


(私って剣とか銃のことばっかりで、世の中のことを何も知らないんだな)


 ルグヴィアを出るまで、自分がこんなにも色々なことを知らないとは思ってもいなかった。


 隣りではミカが、へへへ、と嬉しそうな笑みを浮かべ、驚くほど機嫌よく浮かれた様子で喋り続けていた。


「言っておくけど男と二人きりになるなって言う中に、俺は入らないからな。俺は中身は熊でも猿でもないし、第一、お前は俺の護衛が仕事だからな。二人になれなきゃ、仕事が出来ねえし。それに俺はお前と、ふ、二人きりでいたって……何かしたいとか思ったことがねえからな! お前と部屋にいたって、なあんにも問題ねえよ。熊と一緒にいるのと同じでさ」


 少女めいた繊細な容貌をほんのりと上気させて、時折、甘えるようにトビィの腕に顔を寄せたり、服の裾を引いたりする。


(さっきまで不機嫌そうだったのに)


 トビィは内心で思うが、ミカの笑顔が見られることが嬉しかった。 


「お前は公爵さまの銃剣士だけど、今は銃剣士だからな」


 そう言われて笑顔を向けられた途端、何故か急に顔が熱くなる。

 トビィはミカに気付かれないように、顔を横に向けた。

 かなうならば、ずっとこの笑顔をそばで見ていたい。

 そう思った。



7.


 トビィの手を引いて歩くミカは、部屋ではなく裏手の出入り口のほうに向かっていた。


「どこに行くの?」

「出かけるんだよ」


 トビィの問いにミカは答える。


「馬車を雇ってあるからな」

「馬車?」


 トビィは驚いて声を上げる。

 馬車で街中に出かけるのは、上流階級の人間だけだ。


「お客さんと出かけるの?」

「アホか、んなわけねえだろ」


 じゃあ、何で……とトビィは言いかけたが、言葉を飲み込んだ。

 内気で繊細な少女にしか見えないミカの顔には、拗ねたような怒ったような、そしてどこかこちらの顔色を伺うような表情が浮かんでいる。

 不自然な間のあと、ミカは前を向いて言った。


「行くぞ。時間がもったいねえ」

 

 二人は海の上に渡された、渡殿わたどのを進む。外は穏やかに晴れており、回廊の外に広がる海は波がほとんどなく湖のように見える。

 人一人が通るほどの幅しかない回廊の真ん中まで来た時、反対側から誰かがやって来るのが見えた。

 このまま歩けば、向こうに脇に避けさせることになる。

 大抵の場合、お互いがそれぞれ脇にズレて行き会う。

 トビィは慌てて、つないだミカの手を引く。

 しかし相手のほうは避けることもなく、通路の真ん中を塞ぐようにして進んでくる。後ろには雑用をする下働きの少女を何人か従えているようだった。


 やって来たのは、ミカやトビィと同年代に見える美しい少女だ。

 体の線がはっきりと出る色の濃い小袖の上に、半透明の長衣トーガをまとい、色合いの美しい緩やかな飾り帯でまとめている。

 エリュアの上流階級の貴婦人が、私的な場所でする姿だ。

 幾重にも飾り紐が編みこまれた柔らかに波打つ金色の豪奢な髪を、背中の半ばまで流している。

 姿恰好には人形のような愛らしさがあるが、ミカとトビィのことを睨みつける青い瞳は、外見に似合わない鋭く険しい光があった。


「あら、誰かと思ったら陰間かげまじゃない」


 少女はミカの目の前で立ち止まると、露骨な軽侮がこもった尊大な口調で言った。


「またシギに媚を売りに行っていたの? お偉方に取り入って客を回してもらうなんて、一番人気を維持するのも大変ね」

「難癖つけんなよ、リリセラ」


 あからさまな挑発に怒る風もなく、ミカはわざとらしく肩をすくめる。


「俺のほうがお前よりも人気があるのは、シギにされているからじゃねえ。純粋な実力だぜ? まっ、『色モノ』って見下している男に負けてカリカリすんのはわかるけどよ。そういう嫌味ったらしい性格が客に嫌がられるんじゃねえの?」

「ちょっ……! ちょっとミカ……」


 可愛らしい人形めいたリリセラの顔がみるみるうちに真っ赤になっていくのを見て、トビィは慌ててミカの腕を引っ張る。


「言いすぎだよ」


 ミカは悔しさに言葉を詰まらせているリリセラの顔を平然とした顔つきで眺め、にやりと笑った。


「なんでだよ。売れねえことに悩んでいるみてえだから、言ってやっただけじゃねえか。助言料が欲しいくらいだぜ。まっ、あぶく銭をもらったってしょうがねえ。最近稼ぎが落ちているお前からもらうのは可哀想だしな。タダにしといてやるよ」


 何も言い返せず真っ青な顔で唇を噛むリリセラを見て、ミカはフフンと鼻で笑った。

「行こうぜ」と言い、トビィの手を引き、リリセラの横をさっさとすり抜けようとする。

 リリセラは、その背中に向かって言った。


「その珍獣がお気に入りみたいじゃない。色モノは色モノ同士ってわけね。女の恰好をした男妾おとこめかけのあんたにはお似合いよ」


 リリセラの言葉が届いた瞬間、ミカは不意にピタリと足を止める。

 先ほどまでは相手にすることさえ面倒臭いと言いたげに見えたミカに、ようやく痛手を与えた。

 そう思ったのか、リリセラはさらに言い募った。


「あんた、その愛玩動物ペットを飼うために稼いでいるの? そりゃあ頑張らないとね。図体も大きいから、餌代だけで大変そう……」

「おい」


 不意にミカが振り返り、低い声でリリセラの言葉を遮る。


「もう一度言ってみろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る