其十四

隣の駅に着き、改札を出て美術館のある方へ行くと、目の前は公園だった。駅に美術館の名を冠している通り、公園の先には、美術館と思われる赤いレンガの円錐状の大きな建物があり、その更に向こうには、道路を挟んで海が広がっている。

​公園の広場には売店や軽食屋もあり、夏には露店で賑わうのだろう、寺社の参道のような大きな並木道が赤いレンガへ続いていた。この日がたまたま日曜日だったせいか、人も多く賑わっているように感じた。小高い丘の芝生では、親子連れがボール投げやお弁当を広げて楽しんでいる姿も目についた。

​“万代恒太郎展『激情と螺旋』”

​美術館前の幟には、そう書いてある。タイトルだけ見ると、どこか拙さを感じる。いかにも人目を惹きそうで、謎を投げかける派手な字面に、環世は少しだけ興が冷めた心持ちがした。

​新進気鋭の先端のアート、そこに関わる者たちがそう持ち上げただけなのか、作者の意図なのか、それは実際に見てみないとわからないものなのだろうと感じた。

​ガラス戸の中に入り、回転式の入り口を通ると受付があったので、そこで入場料を払った。本が一冊買える値段だと思った。

​入口には、展示の意図や画家の経歴、挨拶がつらつらと書いてある。生まれ年から見るとどうやら五十歳に届きそうな年齢だ。「新人」と聞いたが、と思ったが、若い頃にデビューしただけで、数十年華々しく活躍していたということに、文章を読んで後で気がついた。

​環世は、実は今日まで、絵画や音楽、演劇などは金持ちの道楽で、縁遠いように感じていた。文学はその中で彼女が触れられる唯一のものだった。本は比較的環世でも買えるし、学校に図書室があったから借りることもできたからだ。なので、画家や他の芸術がどんなものかなど知る由もなかったし、興味もなかった。物語の中に絵画や歌劇の話が入ってくると、その時ばかりは興が冷めてしまうこともあったくらいだった。

​挨拶文を読み終わり、中をずんずんと歩いて見て回った。万代のデッサンから始まり、最近の作品、初期作品の大小が数々展示されていた。しかし、なんてことはない、どれも同じようなものに見え、「先端」と言っても目新しさもないように感じた。どれも形を崩しただけで、モチーフは男の腑抜けたエロティシズムか現代社会への皮肉、愛した女の肖像という、環世には非常につまらないものに見えた。

​五分と経たずに半分ほど進んだ時、目の前に今回の主役である壁一面の絵に辿り着いた。

​新聞で見た絵であった。色がついて今目の前にハッキリと見える。タイトルは「渦」と書いてあった。他の鑑賞者たちが驚嘆のため息をつきながら口々に褒めているのが聞こえる。「さすが万代、再び日本の芸術の潮流を変える作品を生み出した」「力強い激しい色使いに活力が湧いてくるようだ」。

​そんな声を聞きながら環世はじっくりとその絵を見ていた。画面の右上にはタイトルの通り、ぐるぐるに巻かれた黒と青、赤の螺旋がこれでもかというほど太いラインで置かれ、その周りには血のように紅い稲妻、黄色い稲妻、炎の中に抱き合う男女と思われる影が、さも意味ありげに描かれている。

​確かに、大画面、壁一面に描かれたそれは迫力があると言わざるを得ない。描きつけた時間や技法に注目するなら、褒める以外にはできなかったし、色使いもめちゃくちゃなようで破綻がないことは見て取れた。かれこれ十分以上も彼女はその絵を感じようとした。しかし、描かれていない何か、自分に語りかけてくる絵画の言語、説明のできない感動、その何一つをもそこからは感じ取れなかった。

​きっと、自分のように無学で貧しい人間には向けていない、違う世界に語りかけたことなのだろう。文学にも読み手が違うものがあるように、きっと芸術にもその方向があるものなのだと、環世は諦めるように絵から離れた。不思議とそんな気持ちになったことを「もったいない」とは思わなかった。彼女は、自分が万人に受けるものに対して何かを感じない、少数な部類なのだろうと自身を鑑みることができたのだ。

​そのまま、後はぼんやりと流すように見て歩いているとき、万代の描いた一枚の絵に足が止まった。

​タイトルは「積み木の城」となっていた。

​あまり大きな絵ではなく、どちらかというと小さな部屋の中で鑑賞するのに向いているような、路面電車の窓一枚分ほどの作品だった。その絵は他の絵と違い、デフォルメされた記号的な表現ではなく、精密なデッサンとリアリティのあるものだった。しかし、その中にもよく見ないと読み解けないような味わい深さを感じた。

​天高く、最後の一つを積み上げようとしている人の下で崩れ落ちる積み木たち。そして、それを積み上げる人、一枚の絵の中で何度も何度も積み上げているように感じられた。崩れるその度に積み上げ、また積み上げては崩れ落ちる。最後のピースさえ本当に積み上げられたのかもわからない。

​その絵はそれを語っているようで語っていない。意図がわかるようでわからない。しかし、わかりやすい陳腐化したメッセージを投げかけるように、ではなく、本当に伝えたい自分の意図を一生懸命に作品として伝えようとした結果、あえなくわからなくなった。そんな印象を感じた。

​環世はその印象が直感的に正しいように感じた。絵や芸事とは、本人としゃべってみないとわからないもののはずだが、なぜか確信があるように感じたのだった。

​それは、他の絵が、大衆に向けた仮面ペルソナで、本当の言葉はここに仮面を外して訴えていると思えたからだった。それはきっと彼女が何より自身でも仮面を被っていたから気づけたのに他ならないが、やはり、それは彼女には直感として感じられただけであった。

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