第25話「大聖堂“ミント作戦”――儀式インクを冷やせ」
――今夜。首都・大聖堂。
月光が大鐘の銅肌をなで、内部の歩廊には在室/祈り中/回覧印中の三段スライダー札がずらりと並ぶ。
現在表示:回覧印中。すなわち――誰も来ない。来れない。押しているから。
「回覧印で入口を塞ぐ……行政の要塞化、ここに極まれり」
「生活魔術の応用です」
参謀リリアが即答し、フライパンホルスターを軽く叩く。
隣で巫女エルノアが頷き、袖には携帯砂フィルム。
先導は修道女セレス。フードの奥から、改革派の瞳がきらり。
「目標は祭具室の“灼熱インク”。ミント冷却インクへ差し替える。合図はミント、救済は白印、背中は木」
「最後だけ情緒」
通路の先で、アランがいつの間にか現れ、木製の臨時足場を肩に担いでいた。
打ち込まれた楔がぎしと鳴る――次の瞬間、アランはこん、こん、こんと拍で増し打ちし、音がぴたりと消える。
「ギシ→ドヤ安定。BGMはちーんで」
リリアがフライパンの縁をちーん。
ツバサ丸が梁の上からどすんと肩に降り、「クル(潜入)」と一声。
水鏡中継には**『(至急)』**スタンプが三つも貼られた。うるさい。
「至急(連打)、了解」
※※※
祭具室の扉。
セレスが鍵をそっと回し、在室/祈り中/回覧印中の札を迷いなく祈り中へスライド。
「回覧印中だと確かに誰も来ませんが、回覧印中の人が増えます」
「生態系の配慮」
扉の内は、金と白布の静かな世界――中央の石台に墨壺が四つ。
札には、どれも黒々と灼熱の文字。
〈灼熱インク・第一種〉
*塗布部位:胸骨/耳介
*効能:服従命令の焼き付け/反対語彙の黒点化
*注意:ミント厳禁
「堂々と“厳禁”って書いてある……」
「裏口を教えてくれて感謝です」
リリアはフライパンを石台に置き、携行のミント水と祈り粉を取り出した。
エルノアは砂フィルムを広げ、ラベルの文言を写し→白印で無効化する準備に入る。
「手順、読み上げます。
一:灼熱インクの温度を落とす――ミント水一滴→フライパンで攪拌→ちーん。
二:文言の“遮断”を“開耳”へ読み替え――砂フィルム写し→白印。
三:“称号剥奪”の定義を“称号再聴”へ上書き。
四:香の配合を“眠気除け”から“過呼吸除け”**へ変更。
五:全体のUIは矢印で“ここに立つと聞こえる”を表示。――以上」
「儀式って思ったより生活」
「生活を儀式まで持ち上げるのが希望の工学です」
「出た最近よく出るやつ」
※※※
リリアは灼熱インクの壺にミント水をぽとり。
表面がすうっと霜降りになり、湯気がミントの爽やかさに変わる。
「ちーん」
フライパンで軽く攪拌(かくはん)。
金属の縁がちーんと鳴るたび、黒かった粘度が透明めいた翡翠色へ。
壺の外側の灼熱注意の刻印が、“涼感注意”にじわじわ見えてくる。錯覚かもしれない、が、そう見える。
「味見は厳禁です」
「言ってない」
エルノアが砂フィルムでラベルを写し、遮断→開耳の語を白印で置換する。
ぽん。黒が薄れ、銀の細い線が**“祝聴”**の字を浮かせた。
「祝聴式(案)、現場適用。祭文の末尾も読み替えます。“耳を塞がれた者に祝福を”→“耳を開かれんことを”。」
「語感が急にやさしい」
セレスが呼吸を整え、祭文を**“冷”偏多めで小声に読み上げる。
冷/凍/涼/清――言い間違えに見せかけて、冷却呪が文に紛れこむ**。
「自然に冷えていく……すごい」
「生活魔術の文系です」
※※※
棚の上で、ツバサ丸が埃に鼻を近づけて――へっ。
リリアとエルノアが同時に手を上げる。
「待って、くしゃみ=早送り停止だから今は危険」
「へくしゅ――」
ミント水をひと噴き。
すん。止まった。
「ミント制御、万能」
「生活魔術です」
その時、廊下から足音。
祭具係の老神官が近づいてくる。手には回覧印の束、口には鼻歌(B.T.I.のテーマ)。
「鼻歌の選曲やめて」
セレスが素早く札を回覧印中にスライド。
老神官は扉の前でぴたりと止まり、札を尊重して回れ右した。
回覧印は人を動かす。善悪を超えて。
「紙は建築物。札は交通信号」
「職人いなくても職人の言葉が出てくる」
※※※
「次、香の配合。旧式の“眠気除け”は、恐怖促進の副作用がある。
新配合は**“過呼吸除け”。ミント+薄蜂蜜+水。飲んでもおいしい**」
「飲まない」
エルノアが香炉の底にミント蜜を塗り、白印で古い祝句を無効化。
香が立つ。落ち着く甘さが鼻の奥を撫で、胸の聖印の辺りに冷たい小路を作る。
「UIも置きます。“ここに立つと聞こえる”矢印、聖歌隊の足下に」
リリアは床にミント色の矢印をすーっと描く。
矢印の先、小さな一分砂時計の絵。
“一分だけ聞く→”
“十一分なら並んで聞く→”
「……可愛い」
「生活魔術のデザインは可愛いが正義」
※※※
問題の**“称号剥奪”**の祭文。
リリアは文面を砂フィルムに写し、一行だけ、指でゆっくりなぞった。
〈称号を剥ぐ〉→〈称号を再聴する〉
「“再聴”……」
「もう一回。今度は遮らず、開耳で。――剥奪の儀式を試聴会にする」
「穏当すぎる革命」
セレスの目が湿る。
袖から携帯回覧印がぴょこんと出て……彼女は迷いなく白印に持ち替え、文末にぽん。
「白印は無効化。……癖、直します」
「えらい」
※※※
最後の山――灼熱インク壺の入れ替え。
アランが足場をしゅ、しゅと組み替え、高所の儀式棚に届くようにする。
最上段の壺は重い。ギシ……ギシ……。
「音が怖い!」
「ギシ→ドヤ安定」
アランの手首がこん、こん、こん。
音が止む。
リリアがフライパンをそっと差し出す。
「受け皿」
「フライパン、万能すぎ」
二人が息を合わせて壺を移し替え――コトン。
床の矢印がふわっと光る。ミント帯で安全確保。
入れ替え完了。灼熱はミントへ。遮断は開耳へ。
……そのとき。
大鐘の内側でごぉ……と空気が震えた。
試し打ちが始まる。
低い波動が、祭具室の器へじわと触れ――翡翠色のインクがかすかに白い花を咲かせた。
「開花反応……!」
「冷却ミント帯に、鐘の周波数が誘導されてる」
エルノアの瞳が大きくなる。
朝鐘ネットβで合わせた冷却周波数が、夜の鐘にもうっすら乗ってきている。
「生活が儀式を侵食していく音がする」
「言い方」
※※※
“最終チェック”。
リリアが版下をもう一度なぞり、白印の抜け漏れがないか確認。
セレスは祭文に**“祝聴”を埋め込み、エルノアは香の火加減を微風に調整。
ツバサ丸は梁の上から『(既読)』と『(至急)』**を交互に貼って遊ぶ。やめて。
「――撤収。足跡は白印で」
床の細い粉跡をすっと拭い、在室/祈り中/回覧印中を祈り中にして退室。
扉が閉まる瞬間、リリアは石台の端に小さな木札を一枚置いた。
アラン製、すこしだけ風で鳴る札だ。
〈ここは耳に冷たい部屋。
ワン・ツー・おすわりの後、よしは各自で〉
「職人の筆致、最高」
「事実です」
※※※
鐘楼の外廊。
風が強くなり、下の広場では夜間モードの朝鐘ネット――すなわち**“夜網”がちーんを試している。
特例のスリッパは今日はカスタネット**。かわいい。
「次は外。共同儀・v0.9、夜間テンポに合わせて署名様式を整えます」
「回覧印地獄の覚悟は?」
「白印の在庫は倍あります」
「強い」
セレスが深く息を吸い、胸に手を当てる。
「……正直、怖いです。大鐘は人の足を簡単に揃えてしまう。
でも――矢印があれば、耳は自分で立ち位置を選べる」
「UIは自由の道具。生活魔術は自由の練習」
「出た、最近よく出るやつ(総集編)」
ツバサ丸が肩へどすん。
足で**『(了解)』をぽん**、そしておまけに**『(ミント)』**。
見て覚えるタイプ。
「行こう。今夜は**“称号再聴”の試聴会**だ」
アランが足場を肩に、軽くこん。
木の音が、遠い大鐘と短く和音になって、夜に溶けた。
――“ミント作戦”、完了。
灼熱は冷却へ、遮断は開耳へ、剥奪は再聴へ。
この小さな生活の置換が、やがて儀式を上書きする。
ちーん――からん――クル。
次の合図は、きっと市民の拍だ。
(つづく)
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