　ようやくレベルアップの瞬間（しゅんかん）が来（き）た。私たちの体力（たいりょく）や魔力（まりょく）が完全（かんぜん）に回復（かいふく）する。この仕様（しよう）があるから、私たちに休養（きゅうよう）は大（たい）して必要（ひつよう）ないのであった。そうはいっても、それは理屈（りくつ）だけの話（はなし）で、変（か）わらない景色（けしき）の小（ちい）さな島（しま）にいる閉塞（へいそく）感（かん）は筆舌（ひつぜつ）に尽（つ）くしがたい。

「こういうときはさ、もっと辛（つら）い事態（じたい）を考（かんが）えようよ。私たちとは別（べつ）の、画面（モニター）の外（そと）の世界（せかい）を」

　再（ふたた）び、敵（てき）と戦（たたか）いながら、気（き）を紛（まぎ）らわすように私は相棒（あいぼう）へ言（い）った。うん、と彼女（かのじょ）が返（かえ）す。この程度（ていど）の雑談（ざつだん）でもしないと、魔物（まもの）の血潮（ちしお）が飛（と）び散（ち）る、今（いま）の瞬間（しゅんかん）を乗（の）り越（こ）え続（つづ）けることは難（むずか）しかった。狂気（きょうき）が私の脳（のう）を支配（しはい）してくる感覚（かんかく）があるのだ。

「八十年（はちじゅうねん）前（まえ）に終（お）わった、世界（せかい）大戦（たいせん）があったよね。私たちとは、時間（じかん）の流（なが）れも違（ちが）う世界（せかい）の話（はなし）だけど。ガダルカナル島（とう）だっけ。たくさんの兵士（へいし）さんが、飢（う）えと病気（びょうき）で亡（な）くなったらしくて」

「敵（てき）に殺（ころ）されるかもしれない中（なか）で、それは苦（くる）しかっただろうね。安（やす）らぎなんか得（え）られないんだから。私たちは、少（すく）なくとも飢（う）えや病気（びょうき）とは縁（えん）がないわ」

　敵（てき）の魔法（まほう）攻撃（こうげき）が、ちくちくと私たちにダメージを与（あた）える。すぐに反撃（はんげき）して殺（ころ）すけれど、さっと逃（に）げる敵（てき）も多（おお）くてストレスが溜（た）まった。全身（ぜんしん）に蛭（ひる）が、まとわりつくような不快（ふかい）感（かん）だ。致命（ちめい）的（てき）なダメージこそないけど、私たちの身体（からだ）はいつも何処（どこ）かしらが出血（しゅっけつ）していた。

「次（つぎ）のレベルアップまで、傷（きず）は治（なお）らないけど。医者（いしゃ）を呼（よ）ぶほどじゃないわよね。そもそも、この世界（せかい）で医術（いじゅつ）なんか発展（はってん）してないし」

　私たちの世界（せかい）では、科学（かがく）に代（か）わって魔法（まほう）が発達（はったつ）していた。画面（モニター）の外側（そとがわ）でいうところの、中世（ちゅうせい）に似（に）た文化（ぶんか）レベルである。教会（きょうかい）で僧侶（そうりょ）が回復（かいふく）呪文（じゅもん）を唱（とな）えれば、死者（ししゃ）でさえ蘇生（そせい）が可能（かのう）なのだから、確（たし）かに医者（いしゃ）は不（ふ）必要（ひつよう）なのだろう。その教会（きょうかい）も、貧（まず）しい人間（にんげん）を簡（かん）単（たん）に見捨（みす）てたりするのだが。

「私も死（し）にたくはないから、回復（かいふく）魔法（まほう）の存在（そんざい）はありがたいけれど。でも、どうなんだろうね。戦死（せんし）しても甦（よみがえ）らされて、無限（むげん）に戦場（せんじょう）へ送（おく）られ続（つづ）けるとしたら、それこそ本当（ほんとう）の地獄（じごく）じゃないかしら」

「……それは考（かんが）えたこと、なかったけど。少（すく）なくとも、私たちの立場（たちば）はそうじゃないわ。魔王（まおう）軍（ぐん）との戦（たたか）いには、はっきりと終（お）わりがある。戦（たたか）いは、何度（なんど）も繰（く）り返（かえ）されてきたんだもの。知（し）ってるでしょう？」

　相棒（あいぼう）の声音（こわね）に絶望感（ぜつぼうかん）が滲（にじ）んでいて、思（おも）わず私は励（はげ）ましたくなる。そうね、とだけ彼女（かのじょ）は返（かえ）した。私は言葉（ことば）を続（つづ）けてみる。

「この世界（せかい）の仕様（しよう）は、貴女（あなた）も知（し）ってのとおりよ。勇者（ゆうしゃ）が魔王（まおう）を倒（たお）して、世界（せかい）の課題（かだい）は達成（クリア）された。でも道化（どうけ）の神（かみ）さまが『やりこみ要素（ようそ）』を用意（ようい）していて、新（あら）たな敵（てき）を倒（たお）す必要（ひつよう）が出（で）てきて……」

「知（し）ってるわよ。勇者（ゆうしゃ）はモチベーションを無（な）くして、今（いま）は休養（きゅうよう）してる。この世界（せかい）の時空（じくう）は何層（なんそう）かのパラレルワールドになってて、それぞれの世界（せかい）で、勇者（ゆうしゃ）がいなくなった後（あと）の戦（たたか）いが繰（く）り広（ひろ）げられてる。そういうことでしょ」

　そうだ。セーブデータというらしい。魔王（まおう）がいなくなり、勇者（ゆうしゃ）も半（なか）ば引退（いんたい）していて、いま私たちがいる世界（せかい）では二人（ふたり）の存在（そんざい）が救世（きゅうせい）主（しゅ）として期待（きたい）されている。すなわち、私と相棒（あいぼう）のことであった。別（べつ）の時空（じくう）だと救世（きゅうせい）主（しゅ）の存在（そんざい）は男女（だんじょ）だったり、三人（さんにん）だったり四人（よにん）だったりするのだ。

「そうだよ。それぞれの時空（じくう）を越（こ）えて、戦（たたか）いの知識（ちしき）は共有（きょうゆう）されてるわ。いわゆる『攻略（こうりゃく）法（ほう）』がね。二人（ふたり）だけでの戦（たたか）いは困難（こんなん）だけど、決（けっ）して不（ふ）可能（かのう）じゃない。世界（せかい）を救（すく）うのよ。私たちなら、必（かなら）ず実現（じつげん）できるわ」

　寄（よ）せては返（かえ）す、敵（てき）の波（なみ）は止（や）むことがない。私たちは画面（モニター）の中（なか）にいて、画面（がめん）の前（まえ）には現在（げんざい）、誰（だれ）もいなかった。しかし操作機（コントローラー）は連射（れんしゃ）設定（せってい）となっていて、自動（じどう）的（てき）に私たちの戦闘（せんとう）は延々（えんえん）と継続（けいぞく）されているのだ。

　それでいい。画面（モニター）の外（そと）から飽（あ）きられるよりはマシだ。そのときは私たちの世界（せかい）が、消（き）えてなくなるのだから。苦痛（くつう）を感（かん）じるということは、まだ私たちが生（い）きていて、希望（きぼう）を胸（むね）に進（すす）むことができるということでもあった。私と相棒（あいぼう）は、ひたすらに敵（てき）を殺（ころ）し続（つづ）ける。

　絶（た）え間（ま）ない戦（たたか）いの中（なか）で、私は魔物（まもの）のことを考（かんが）える。同情（どうじょう）はしない。奴（やつ）らは私たちの領土（りょうど）を脅（おびや）かす侵略（しんりゃく）者（しゃ）なのだから。胸（むね）に、いくらかの罪悪（ざいあく）感（かん）はあっても、私と相棒（あいぼう）は敵（てき）を機械（きかい）的（てき）に殺（ころ）し続（つづ）ける。

　しかし、魔物（まもの）の立場（たちば）から見（み）たら、どうだろう。この島（しま）に現（あらわ）れる魔物（まもの）は、絶対（ぜったい）に私たちには勝（か）てないのだ。レベル差（さ）がありすぎるからで、私たちはレベルアップを狙（ねら）うのに都合（つごう）がよいから、この島（しま）に留（とど）まって戦（たたか）い続（つづ）けている。

　魔物（まもの）から見（み）れば、この島（しま）に居座（いすわ）る私たちこそ侵略（しんりゃく）者（しゃ）なのかもしれない。そして、島（しま）を取（と）り戻（もど）すために、魔王（まおう）軍（ぐん）は次々（つぎつぎ）に戦力（せんりょく）を投入（とうにゅう）してくるのだ。どれほど自（じ）軍（ぐん）に被害（ひがい）が出（で）ようが、気（き）にも留（と）めずに。

　すでに魔王（まおう）は倒（たお）されているから、『魔王（まおう）軍（ぐん）』という呼（よ）び方（かた）が正（ただ）しいかはわからない。敵（てき）の指揮（しき）系統（けいとう）がどうなっているのかも私たちは知（し）らなかった。わかっているのは命（いのち）を軽視（けいし）する姿勢（しせい）で、それは私たち人類（じんるい）だけでなく、魔物（まもの）の命（いのち）もおそらくは何（なん）とも思（おも）っていない。そういう敵（てき）軍（ぐん）の姿勢（しせい）が、私は大（だい）嫌（きら）いだった。

「飢（う）えて死（し）んでいった兵士（へいし）たちを、軍（ぐん）の上層（じょうそう）部（ぶ）はどの程度（ていど）、気遣（きづか）っていたのかしらね」

　意識（いしき）が朦朧（もうろう）としていた私は、相棒（あいぼう）の言葉（ことば）で覚醒（かくせい）する。地面（じめん）から足元（あしもと）に迫（せま）る粘（ねん）液（えき）状（じょう）の生物（せいぶつ）を蹴（け）り飛（と）ばして、私は戦闘（せんとう）へ復帰（ふっき）する。彼女（かのじょ）がモニターの外（そと）の世界（せかい）について語（かた）っていたのは、すぐにわかった。

「さぁ、外（そと）の世界（せかい）は良（よ）くわからないから。まあ気遣（きづか）っていたら、人（じん）的（てき）被害（ひがい）はもっと少（すく）なく済（す）んでいただろうね」

　モニターの外（そと）から、中（なか）の世界（せかい）をのぞき込（こ）めるのと同様（どうよう）に、私たちもモニター内部（ないぶ）から外（そと）の世界（せかい）を見（み）ることはできる。と言（い）っても細（こま）かい部分（ぶぶん）についてはピンと来（こ）ないのだけど。外（そと）の世界（せかい）は今（いま）、平和（へいわ）なのだろうか。そうだといいなぁと思（おも）う。私たちが戦（たたか）って、その分（ぶん）、何処（どこ）かの誰（だれ）かが幸（しあわ）せでいられるのなら。私たちの行為（こうい）には、それなりの意味（いみ）があると信（しん）じられるのだ。