第18話 歓喜の瞬間
そうしているうちに高島様のご自宅に到着。
今根課長も合流し、座敷に上がらせて貰った。大野ブロック長にご挨拶をしてもらい、雑談をしている最中、お父様からD社から本社案内を誘われている話を耳にした。1度はD社で話を進める予定だった為、お父様も断りづらいのだろう。少しバツの悪そうなお父様に星夜は、
「律儀なお父様の事です。なかなかお断りしづらいですよね。折角の機会なので、その後に改めてご決断して頂いても大丈夫ですよ。」
隣には大野ブロック長がいるが、星夜は人道的にそれが正しいと思いお父様にそう伝えたのだ。お父様は少し微笑みながら
『悪いな。』と言った。
その話を隣で聞いていたご長女は、
「本社案内は私も一緒に行って来ます。お父さん1人だと心配なので。」
このやりとりを大野ブロック長は静かに見守っていた。家を出る際に、
「今後とも宜しくお願い申し上げます。」
と大野ブロック長が一言添えてくださり、
高島様親子も
「わかりました。宜しくお願いします。」
と返してくれた。
帰りの車内で大野ブロック長からは、
「あれで良かったと思いますよ。ここまで来てジタバタするよりも。成田所長と今根課長との関係性も見ていましたが、大丈夫ですよ。」
と安心する言葉をかけて貰った。
このタイミングで大野ブロック長に来て頂いてとても良かったと思う。
出来る事、やるべき事は全てやった。悔いは何も無い。後は高島様の返事を待つだけだった。そして、予定通り1日空けて高島様のご自宅に再度訪問した。ご長女も顔を出してくれた。
本社案内では色々なおもてなしをして貰ったが、最終的にこちらと同じプランに変えて来たものを見せられ、これがベストプランだと言われた事に嫌気がさしたとご長女が教えてくれた。お父様も決意は固まった。高島様はD社にしっかりお断りを入れてくれていた。
契約日は、1時間程でスムーズに全ての手続きが完了した。高島様からはこれから末永く宜しくお願いしますとのお言葉を頂いた。とても和気あいあいとしていて皆が笑顔だった。星夜は、この時の事をきっとこの先も忘れないだろう。勿論それは、担当者の今根課長も同じだと思う。
振り返ってみれば、この短期間で良く決断してくれたとこの時も感謝と感心している自分がいた。終始良い雰囲気で高島様宅をあとにした。星夜は、土橋支社長、そして大野ブロック長に契約の報告を入れた。お二人とも労いの言葉をかけてくれたし、とても喜んでくれた。
社内の共有ツールに契約速報も流れ、川崎支店の三谷さんや太田営業所の青薙さん、墨田営業所の秋田さん等…。多くの人が祝福の連絡をくれた。営業所に戻り、町田さんや宮田さん、そして他の営業社員数名と喜びを分かち合った。そして、今根課長がこの世田谷営業所開所以来初契約をとった営業マンだ。まだ20代半ばの若き戦士が数々の逆境を跳ね返してくれた。
本当に対したものだ。
星夜は、「ありがとう!」
と今根課長へ心からの感謝の思いを伝えた。
彼にずっとこれを言いたかった。
やっとその日が来た…。
今回の今根課長の契約に奔走している際に、
星夜は確かな手応えを感じていた。若い彼が獲ってくれた事も嬉しかったが、町田さんや宮田さんらが加わってから、組織力が少しづつついて来たからだ。
今回の契約もこの『チーム』で成し遂げた結果だ。営業所内で他にも案件が出始めていたし、他の営業社員達の目の色も変わって来た。このままもっと人員も増やしていけばやっていける兆しが見えていたのだ。しかしその希望の灯火も、情熱的に燃え上がる事は無かった。
丁度このタイミングで、世界中を混乱させたあの『新型コロナウィルス』のパンデミックが起こる。都内でも日に日に感染者が増大。
これは未だかつて無い大事件だった。
前例の無い出来事に会社は勿論、どの企業も対応に追われる。何が正解かもわからない緊急事態。そのうち日本でも『緊急事態宣言』なるものが出た。基本的に外出禁止という重い通知に、星夜も含め皆混乱していた。
そして会社からも通知が出た。
『出勤停止』。
これは、文字通り仕事は休んで家にいてくださいと言う事だ。多くの人々が時代に翻弄された生涯忘れる事のない出来事だったはずだ。
星夜は、正直かなり落胆していた。皆の安全の為、休みになるのは仕方がないし、勿論そうするべきだった。ただこの異常事態は、先行きのわからない未知の怖さを与えつつも、世田谷営業所の様に小規模の組織にはこの先どんなリスクがあるか何となく想像がついてしまうからだ。しばらく皆ともお別れ。
ここからあの『ステイホーム』が始まっていく。
この期間は、まるで映画の世界にいるようだったと思った人も多いだろう。今まで生きて来てこんな事ははじめて起こった。まあ皮肉な事にこのような強制ストップがかかった事で、星夜は久々に家族と一緒に過ごす時間が増えた。
1日中家にいると言う事が、星夜のこれまでの人生には体調不良になった時以外には無かった。これがこれから毎日続くのだ。
溜まっていた録画のドラマなどを観たり、娘と遊んだり、最初は今まで出来なかった事を出来る喜びがあったが、それが当たり前になると、今度はアイディアが必要になってくる。
例えば、ご飯やおやつの時間をバルコニーで過ごしてみるとか、やった事もないうどんをこねてみるとか、一昔前に流行った『ビリーズブートキャンプ』で一緒に運動したり…。たまに近所を散歩したり。
当たり前だが、毎日家族でずっと一緒にいる為、娘の成長を日々感じる事が出来た。
この期間に『オンライン飲み会』が流行った事も記憶に新しいだろう。この穏やかな日々は、色々考えさせられる事もあった。仕事がある事も当たり前ではない事。家族と過ごす時間もそうだし、友人・知人に会って話せる事もそう。健康に過ごせる事も当たり前では無い。
ニュースを見れば、感染者は日々増えていくし、高齢者や疾患のある方はどんどん亡くなっていく。誰もが知るあの有名な芸能人の死が、このウィルスの怖さを増大させる。今まで当たり前にあった事は音もなく崩れ去っていった。皆さんはこの時代に何を思っただろうか?
1ヶ月程の月日が流れた頃に仕事は再開したが、それは希望に満ちた再開とは程遠かった。
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