第一話:王都ベルゼルガ

 王都ベルゼルガでは、レオニスとノエルの婚約式が執り行われお祭り騒ぎになっていた。

 先程まで、アルベルト第一王子とノエルとの婚約式と大々的に垂れ幕が下がっていたのに、今では、【レオニス王子婚約おめでとう】へと変わっていた。


「これでは、アルベルト君があまりにも哀れではないか……あとで何か甘いものでも食べさせてやろう」


 ステラはその垂れ幕を見て、すぐに目を逸らす。

 今やっている出店へと足を向ける。

 そういえば、アルベルトは式典が楽しみで、集中したいからと何も口をつけず、ずっとソワソワしていたのを思い出す。


 ――くぅぅ、と腹が鳴った。


(困ったものだ。空腹なのは、昼の彼が何も口にしなかったせいだろう。私が何か食せねばならないではないか)


 ふと、目に入ったクレープの出店に行く。


「あれ! もしかしてステラ様? 何しに来たんだい?もしかしてクレープを所望か? 何がいい!」


「すみません。生憎、持ち合わせがなくて……何があるのかだけ見に来たのです。冷やかしと思われたら申し訳ありません」


「それなら、これ食ってください。お代は結構! いつも助けられてますからな」


 店主がそう言って、チョコたっぷりのホイップクレープを渡してきた。

 金を払わなくてもいいのであれば、お言葉に甘えよう。


「そうですか? それなら遠慮なく。今度はちゃんとお支払いしますね」


「いいってことよ」


 ステラは自分の可愛さ故か、それとも、いつも夜に魔物や盗賊を排除しているからか。真意は分からないが、貰えるものは貰う主義だ。


「チョコのほろ苦さがたまらない。アルベルト君にも食べさせたいが……まぁ今は休ませてやろう」


 そういえば、アルベルトは甘いものが苦手だった気がするが、それでも彼にこれを食べさせたい。


 きっと、苦味の奥にある甘さを感じれば、少しはこの世界に居場所があると思えるのではないかと、そんなことを夢想する。


 まったく、甘ったるいのはクレープだけで充分だ。


 ……だが、嫌いじゃない。


 小さな口であむあむと食べつつ、王都の祭りを練り歩く。食べ終わるころには、本来アルベルトが主役の会場の王宮ホールに来ていた。


 無論、"ステラ"は招待されていないため、入ることはできない。だが万が一されたとしても行かないだろう。


 (アルベルト君を虐めたのだ。私が出席したところでただの謙りが待っている。なら出ないほうがマシだ。まぁ、招待されてないから問題はないか)


 ただ、少し気になるのが今のレオニス第二王子とノエル嬢の状態。きっと、楽しくパーティでもしているのだろう。


 覗く、などという無粋な真似はしたくはない。それでも、アルベルトに対してどう考えているか知る必要がある。


 この後、というより明日の朝にアルベルトが少し辛い思いをするだろうが、それは手紙で慰めてやったら良いと考える。


 瞳の星の紋章が淡く光り、婚約パーティの会場を覗き見る。

 それは見るだけではなく、音も全て聞こえる。そういう魔法だ。

 会場の中は、華やかで楽しげなパーティが執り行われていた。


 誰一人として、アルベルトのことを忘れているかのようにレオニスとノエルの婚約を祝っている。


「あの出来損ないが兄だと思うと、反吐が出る。そうは思わないか? ノエル」


「ええ、思いますとも。嫌々婚約を受けましたが、あの時、次期国王であるレオニス殿下に声をかけられたときは心が躍るようでした」

 

 レオニスはノエルを抱き寄せて平然と座りながらワインを傾けていた。本来であればそこに座するのはアルベルトのはずだった。


 しかし、それだけの会話ならまだ良かった。


「にしても、あの出来損ないとは過ごしたことはないのか? まぁ、あんな男より僕のほうが魅力的か……」


「良いのですよ。あんな男に汚されなくて済んで良かったわ。レオニス殿下のほうが私としても光栄の極みです」


 そう言いながら熱烈なキスを交わし、周りも野次を飛ばしていた。

 すぐに見ることをやめ、ステラは少し後悔した。


「……見るんじゃなかった。アルベルト君が知れば、どれほど傷つくか……」


 胸の奥が、焼けるように痛んだ。ただの嫉妬だと笑い飛ばせば楽だった。だが、それは違う。


 アルベルトが、自分を捨てた人々に踏みにじられていく――その姿が、どうしようもなく悔しかった。


 自分がどんなに強くなっても、この場に踏み込むことはできない。

 昼のアルベルトが、あまりにも弱く、優しすぎるから。 


 まさか、大切にしてきた婚約者を弟に寝取られているとは露も知らなかった。

 それを見て聞いてしまったことに対して、ステラはアルベルトに、とても申し訳なく思った。

 ぐっと拳を握りしめると、先ほど食べていたクレープの包み紙が手を伝う。 


 そういえば、クレープは食べ終わっていたのだった。

 食べ終わったクレープの包み紙を燃やし、そっと灰を指先から払い落とす。祭りの喧騒も、今はもう遠い。


 地面に捨てるなど無粋な真似は避けたい。せめて、魔法で燃やすのが礼儀というものだろう。

 リサイクルも頭によぎったのだが、クレープの包み紙をワザワザ不要なアイテムに変えるくらいなら燃やしたほうが楽だ。


「さてさて、嫌なものをみてしまったが、この街の祭りも楽しんだことだし、王都から離れて寝るとするかな」


 王都の外れには、廃墟となった小屋があることを思い出す。

 魔法でぴょいっといくのは簡単だが、アルベルトの事がある。ステラは少しだけストレスが溜まっていた。


 (本来であれば、一発ぶん殴ってやりたいのだが、生憎面倒事は好まないからな。乗り込まずに堪えたのだ、多少は褒めてほしいものだな)


 お腹も満たされたことだし、ちょっとは文句を言ってやろうと考えていたのだが、そもそもの話、パーティに誘われてすらいない。


 その上、勝手に入れば反逆罪だなんだで面倒になることは目に見えている。


 つまるところ、本当に何もできない。


 それなら……アルベルトが安心して眠れるように、翌日困らないように服を持って家出すればいいだけのこと。


 ステラ自身、夜はいつも王城のアルベルトの自室の窓から出入りしている。


 いつものように、人に見られない場所に行き、気配遮断の魔法を使う。


 そして、まるでそこに地面があるかのように空を歩く。歩いた先はアルベルトの自室。


 そこはいつも、窓の鍵を外している。


 もちろんステラの仕業だ。鍵をかけても十八時になると同時に外れるように、解錠の魔法を仕込んである。


 ガラリと窓を開け、勝手知ったる自室に入る。


「……いつ見ても第一王子に対しての部屋ではないな」


 まるで物置部屋だ。これでも王子なのだから笑ってしまう。いや、笑えないな。息子を“王族の失敗作”と断じたあの両親らしい、せめてもの情けなのかもしれない。


 いや、お情けにしてはやり方が幼稚すぎる。ステラにとっては面白みの欠片もない。


「ほんと、つくづく反吐が出る。"私のアルベルト君"に対してこのような仕打ち。許せない。本来であれば、顔の形が変わる程度にお仕置きをしたうえで、磔にでもしてやりたいところだが……アルベルト君がそれを許さないからな。本当、感謝してほしいものだ」


そんな毒を吐きつつ、箪笥からある程度の服を取り出し、大きめのバッグに丁寧に詰め込む。


 アルベルトの服を数着入れる。箪笥の中には何故か女性モノの服も入っている。


 アルベルトがステラのために買って使っても良いと、昔、手紙に書いていたことを思い出す。


 そして、机の上においてある、懐中時計を手に取る。


「懐かしいものだ」

 

 これは、以前ステラが魔封狼まふうろうとか言う、魔獣を討伐した時に入手した代物だ。


 これをアルベルトに手紙付きで枕元に置いたのは、もはや懐かしい。


 その懐中時計は、彼がどれほど繊細で、記憶を大事にしているかを物語っていた。


 ステラとして贈った小物を、こうして毎日磨き、傷一つつけずに持ってくれている。

 そこにはきっと、ステラへの想いも宿っている。そう信じたい。


 もし彼が“ステラ”を好きになってくれるのなら、それは喜ぶべきことなのだろうか。


 ――でも、今のステラは“彼の一部”でしかない。 

 ただ、今日に限っては浮かれていたのだろう。机の上に放置されていた。


 無能と呼ばれた自分が、ようやく婚約式が送れると思っていたのだから……。


 突然、部屋のものがなくなってしまえば、城のものが驚くだろうと考えて引き出しから便箋を取り出す。


『ベルゼルガ王国の皆様へ

 第一王子アルベルト様は、しばらくの間、わたくしが保護いたします。

 彼にふさわしい場所が整い次第、お返ししましょう。

 ――夜の魔法使い ステラ・ノワール』


「随分と大仰な物言いだが……それくらいの意地は見せてやらないとな」


 紙を折り、わかりやすく誰が来ても読むだろうという場所に置く。


 城の誰かがこの手紙を読んでも、恐らく“悪戯”だと思うだろう。


 それくらい、今のアルベルトは誰からも期待されていない。


「せめて、私くらいはアルベルト君に優しくしてあげよう」

 

 この身が彼の中に生まれた“願い”に過ぎないのなら、ステラはその願いのままに在ろう。彼を守り、彼を慰め、彼を導く存在として。

 けれど、それ以上を求めてしまうのは、やはり罪なのだろうか。


 (愛してるよ、アルベルト君。たとえその心が、君に届かなくても。)

 

 ステラはふわりと笑う。 


 部屋を出て、空へと足を踏み出す。夜の風は柔らかく、けれどほんの少し、寂しさを運んでいた。

 この風の冷たさが、アルベルトの胸を刺していなければいいと、そう思う。


 空を歩く、という行為自体に意味はない。何の障害もなく、ただまっすぐ歩けるから便利なだけだ。


 もちろん飛ぶこともできるが、ステラ自身空を歩くのには、思考を巡らせる行為と同義。


 アルベルトとステラは、同じ体に宿っている別人格みたいなものだ。

 夜の十八時にステラに成り、朝六時には、アルベルトに戻る。


 その間の見たもの、聞いたもの、触れたもの、そういった記憶は引き継がれる。ただ決定的に違うのは、思考は引き継がれない。


 つまり、アルベルトが考えていることはステラにはわからないし、ステラが考えていることもアルベルトにはわからない。


 だから、ステラの想いが届くことは手紙を通してでしか分からないのだ。

 

 

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