夜の魔法使い

天使 逢(あまつか あい)

プロローグ:夜の魔法

 夜の帳が降り、人々は眠る時間帯。もしくは、酒に酔って街をフラフラしている。

 そんな中、一人の少女が魔獣と対峙していた。

 相手は三メートルを超える巨躯。禍々しい気配を放つ魔獣は、一人、また一人とその鋭い爪で薙ぎ払う。

 

「お前ら怯むな! こっちには歴代最強の魔法使い様がいるんだ!」


 騎士の一人がそう叫び、取り巻きの魔獣を難なく倒していく。


 数十人いた騎士たちは、もはや壊滅寸前。この騎士団の中には、魔術師もいたが、それでもその魔獣の巨躯を沈めれるほどの力はすでに残ってなどいなかった。

 しかし、それを一瞬にして覆す一人の天才がいた。


「はぁ、私は騎士団ではないのだがね」


 凛とした鈴のような声色が夜の静寂に響き渡る。


 彼女の瞳には星を模した紋章がある。その目を細め、やれやれといった仕草でスッと右手を振る。


 すると、禍々しい気配は薄れ、見ると地面から土にも鉄にも似た棘が生えており、その魔獣の巨躯を貫いていた。


「さあ、討伐は終わりだ。早く報告しに行くと良い。私は忙しいのでね」


 夜明けが近くなってきて、空の端がわずかに白んでいた。

 騎士団たちに後処理を任せ、少女は優雅に歩き始める。

 早く部屋に戻らないと、魔法が解けてしまいそうだ。


 そんな、詩人めいたことをポツリとつぶやきながらその場を立ち去った。


「……そろそろか。あと一時間もないな」


 彼女の声にはわずかな焦りが混じる。

 昼が来れば、再び無力な“少年”に戻ってしまうのだ。


「この姿でいられる間に、少しでも“意味”を見出さねば……」


―――――――――――――――――――――――


 数日後……。


 綺羅びやかな装飾に施された天井は、いつになく、華やかに映し出している。


 まだ、明るい時間だというのにもかかわらず、宴は開催されていた。


 それは、アルベルト・ベルゼルガ第一王子の希望あってのこと。

 しかし彼の周りには、誰一人として、近寄るものはいなかった。

 理由は単純。魔素が無く、剣の才能もない。


 そのため友人はおろか、社交界でも殆ど一人であった。

 いつしかアルベルトは無能の第一王子と呼ばれていた。


 このベルゼルガ王国は、王族は魔法が使えるのが当たり前。


 騎士団にいる魔術師は呪文書を持って、詠唱し訓練人形に攻撃していた。

 また、魔法陣を描き、そこに魔素を流して武器や防具、様々なものを生み出す。

 そして、魔道具を使って風呂を沸かしたり、水道を使うのだ。 


 だが、アルベルトに至っては、そのどれもが何一つ出来なかった。 

 魔素がないから魔法陣に流し込むこともできず、呪文書を読み上げても発動しない。魔道具さえも扱うことはできなかった。

 

 婚約を正式に発表するこの日。アルベルトは見てくれだけでも、しっかりと整えていた。

 もしかしたら心は浮かれていたのかもしれない。


 だが、そんな彼の記念の式典。

 こんなにも華やかな会場で、たった一人の少女に強く拒絶されていた。

 

「あなたの事は、嫌いです。なので、婚約は破棄します」

 

 アルベルトは、自分自身でも何が起きたのかわからなかった。

 いつも優しかったはずの、ノエル・ランページ公爵令嬢がオレンジ色の瞳で、アルベルトを睨みつけていた。

 

「なぜだ! ノエル嬢。私の何が行けなかったのだ!?」

「…………」

  

 そう言うも、ノエルはアルベルトの顔を見ようともしない。かわりにもう一人の人物に向けていた。


 その顔は以前アルベルトに向けていたはずの微笑み。その微笑みは今やアルベルトではなく、なぜか横ノエルの横にいるアルベルトの実弟。


 レオリス・ベルゼルガが嘲笑しながら言った。

 

「魔法の使えない王族なんぞ、何の役にも立たぬ。僕のノエルに近づくな。汚らわしい。兄上などと呼んでいた過去の僕に反吐が出る」

 

 昨日まで優しかった、レオリスまでもがアルベルトに罵詈雑言を浴びせていた。

 

「出ていくといい。この国から」

 

 そう告げられた。


 周りの貴族も、そうだと言わんばかりにアルベルトにこれでもかと罵詈雑言を浴びせる。

 

「魔法も使えなくて剣も平均以下ですって」

「であれば、レオニス様のほうが優秀ですな」


 誰もが思っている事実。


 そして、自分自身に対しての言葉。

 

「相手に申し訳ないと思わないのかねぇ……」

「確かに、ノエル嬢が可哀想……」

 

 挙げ句には、食べかけの肉やワインも投げられる。本来であれば、王族にそのようなことをすれば不敬罪で、即刻死刑。


 だが、アルベルトには誰一人として味方はいなかった。


 そんな不憫なことをされ、助けを求めようと父である国王グリフィン・ベルゼルガに目を向ける。


 そんなグリフィンも哀れみの目ではなく、蔑んだ目でアルベルトを見据える。

  

「アルベルト。貴様を王位継承権から剥奪させる。魔法も、剣も全くできぬ。そんな無能はこの国にいらぬ。息子とも思いたくない。この国から出ていけ! この出来損ないが!」

 

 父にそう言われ、母エレオノーラ・ベルゼルガに縋ろうとするが、彼女もまた蔑んだ目で見てきた。


「産むのは失敗したわ。この出来損ない」


 そう、両親から吐き捨てられた。

 婚約ができないと言われ続けてきた。

 二年ほど前に婚約の話が舞い込んで来た。

 その時には驚きのあまり、勉強していた魔法理論の紙にインクをこぼして、初めから書き直したほど。


 その後、用意していた燕尾服に袖を通して鏡の前で、何度も着心地を確かめながら、誰よりも幸せそうに笑っていた。


 歳も十六。本来であれば婚約をして結婚をしていてもおかしくはない。

 みんな祝ってくれる。こんな無能で出来損ないの自分でも、幸せを望める。


 そう思っていた。

 だが、現実は違った。


 すでに、アルベルトは捨てられていた。

 婚約者に、弟に、父に、母に。


 こんな自分でも幸せになってもいいと思えた。なれると思った。魔素がなくて魔法が使えなくても、剣が下手くそでも。


 人を愛してもいいと、ようやく掴めたはずの幸せが音を立てて崩れ落ちた。 


―――――――――――――――――――――――


 日も落ち始め、気づけば、アルベルトは森の中を走っていた。


 森の中でたった一人、涙をこらえていた。


 せっかく頑張って用意した衣装。白に青色の装飾が施された燕尾服は、走ったせいか、シワになっていた。さらにはワインで白色が少し淡い赤色に染まり、肉やワインで不快な匂いを放っていた。


 どうしてなのか……そう考える余裕も今のアルベルトにはなかった。


 走っていると足がもつれ転ぶ。


 立ち上がろうとするも起き上がるだけで精一杯。感情がぐちゃぐちゃになっていた。


 懐に入れていた、万が一のときに隠し持っていた護身用の短剣を取り出す。


 その柄には、ベルゼルガ王家の紋章である竜が彫られている。

 魔素も持たず、剣の才能もない。けれど唯一の護身用として短剣だけは持たされていた。


 持たされていたというよりも、護衛をつけるのは無意味だと言われていた。だから、持たざるを得なかった。


 アルベルトは何も迷うことはなかった。鞘からスルリと抜き出した銀白の剣身は、夜の月の光に照らされて淡くも妖しい輝きを放っている。


 切っ先を喉元に向ける。


 短剣を持つ手は、悲しみなのか寒さからのなのか震えていた。だが、その手は固く握りしめていた。

 あぁ、生きる意味なんて、とうの昔からなかったのだ。

 

「このまま、いっそ……」

 

 死んでしまおう、そう考えを巡らせた刹那、身体は淡い輝きを放つ。


 燕尾服は、蒼色の装飾を施した美しい白いドレスに姿を変え、銀白色の短髪は、腰まで流れるふわふわのストレートロングになった。


紫水晶の瞳の中には星の紋章が描かれ、その瞳を持つ瞼は、女性らしさを強め、まつ毛もとても長く綺麗な形になる。ビスクドールを思わせる程、綺麗で可憐な顔。


 ある程度鍛え上げられたであろう胸板も、女性の身体の輪郭が出て、胸も出る。けして大きくはないが、ないとも言えないちょうどいい大きさ。


 身体の重心も少しだけ下に下がる。そして、仕草も筋肉でがっしりとした体躯であったはずの身体は今となってはしなやかさが際立っていた。


 一息小さく吐く。先ほどまで肩で息をしていたアルベルトは、今は身長も十五センチほど縮み、もはや男性とは言えない身体。少女の姿になっていた。


 手に持っている短剣を見据え、今置かれている状況を整理する。

 その思考はとても早く、自分が今何をしようとしていたのかを瞬時で把握する。 

 

「ふむ、もう十八時か。それにしても、私ともあろう者が、自決しようなどありえぬことだ」

 

 ふと、漏らした声は男性のものではなく、きれいなソプラノの声色に変わっていた。


 喉に切っ先を向けた短剣を鞘にしまって、懐……はないため、ドレスのスカートの内側にしまう。

 

「便利なドレスだ。作ったものには褒美を与えないといけないが……生憎、今の私には何の権限もないからな。また後日ということで」

 

 少女はドレスについた泥を払い落とし、指をひとふりして綺麗にする。


 すると先程まであったワインのシミや肉の匂いは消え去り、ふわりと体から甘い香りが放たれる。

 そう、アルベルトは夜の十八時になると、性別が変わる呪いが掛かっていたのだ。


 それだけではない。この姿限定ではあるが魔法が使えるようになる。


 彼女の名前はステラ・ノワール。


 アルベルトが十二歳の頃に魔法が使いたいと強く願い、祈り、心の叫びの姿である。


 魔素がなくて魔法の才能も剣の才能もないアルベルトの理想。


 同一人物であるが、アルベルトとステラはお互い別の人格だと思っている。が、記憶は共有されるという奇妙な関係であった。

 勿論、思考も行動もアルベルトとステラは全くと言っていいほど違っている。


 対極の存在というわけではない。いや、性別は男と女で違うか……。

 

「全く……アルベルト君も、もう少し度胸をつけてほしいものだ。これでは私の身が持たないのだがね」

 

 独りごちるステラは、アルベルトが走ってきたであろう道を、優雅に、そして華麗に、軽い足取りで家出の準備をするために王都に戻る。

 

「ほんと、アルベルト君は誰にでも優しいな。こんなにも否定されて悲しいという感情がある。にも関わらず、誰かを傷つけるよりも、自分が消えてしまえばいいと考える。そんな優しさは時に残酷だよ。けどまぁ、そんなところが愛おしいのだがね」


 ふふっと笑う。月光に照らされる銀白色の髪は妖しく反射していた。アルベルトの未来を思うと、自然と笑みがこぼれる。 


 アルベルト・ベルゼルガは特殊な体の持ち主だ。

 ステラになると同時に、魔素の気配が濃くなる。それは、彼女が夜になれば現れるからではない。


 星の声が聞こえるのだ。


 けれども、別段と本当に星の声が聞こえるわけではない。感覚的に、風の流れに乗り、音として聞こえてくる。


 全身で感じる感覚。


 魔法を媒介するモノが必要な訳では無い。

 ましてや呪文書を用いて詠唱が必要でも、魔法陣を描いて魔法を使うこともしない。王国の人たちとは違う。


 ステラ・ノワールという人物は、感覚的に、星から詠み取り、大気中にある魔素に命令して発動することができる。唯一無二の魔法使いなのだ。


 それが、宮廷魔術師や旅人の集会所でも引けを取らないほど、最強と謳われる理由。


 ただ、夜にしか現れないという事で、ステラは人々からこう呼ばれている。


 【夜の魔法使い】と……。

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