8章-第3話

りんたろうが眠りについてから、どれほどの時間が経っただろうか。

礼拝堂の静けさが、ミヤビの心に重くのしかかっていた。仲間を失い、行く当てもなく、そして今、唯一の頼みの綱であったりんたろうまでもが倒れてしまった。


「私、どうすれば……」


孤独と不安に押しつぶされそうになったその時、カリカリと窓を叩く音が聞こえた。ミヤビが音のする方を見ると、そこには一羽の黒いカラスが止まっている。その足には、小さな皮の筒が結びつけられていた。

ミヤビは、そっと窓を開け、カラスの足から筒を受け取る。不審に思いながらも中身を取り出すと、そこには見覚えのある筆跡で書かれた手紙と、一枚の地図が入っていた。

手紙には、簡潔なメッセージが書かれている。


《このカラスはみちる様のものだ。こいつが運んできた情報はおそらく本物だろう。急いでくれ》


手紙の送り主は明かされていなかった。

ミヤビは、その手紙を握りしめ、地図に目を落とした。

そこに記されていたのは、王都の地下にある、誰も知るはずのない秘密の通路。そして、その終着点に記された、赤い印。


《星核の本拠地》


地図の隅には、そう書き加えられていた。

ミヤビは、手紙と地図を交互に見つめる。

地下迷宮の奥深くで、自分を逃がしてくれた姿が目に浮かぶ。


迷っている暇はない。りんたろうは今、動けない。

ミヤビは、地図を握りしめ、立ち上がった。


「私が……行くんだ」

「待ってください」


りんたろうの声が、背後から響いた。

ミヤビは一瞬だけ足を止め、振り返る。ベッドに横たわっているはずのりんたろうが、痛みに顔を歪ませながらも、半身を起こしていた。


「どうして……」


ミヤビが駆け寄ろうとするが、りんたろうは首を横に振る。その瞳は、彼女の決意を、そしてその危険を、真っ直ぐに見据えていた。


「いけません。お一人で行かれては、意味がありません」

「でも、りんたろうはまだ……!」

「はい。でも行かせられません。彼らは強い。正直に申し上げて、あなた様に出来ることなどありません」


りんたろうは、震える手で、ベッドの端を強く握りしめる。


「ミヤビ様。どうか、お時間をくださいませんか。私は……5日でこの怪我を治します。聖教の治癒魔法なら可能です」


彼は、自らの過去を、そして今ある力を、信じていた。


「5日……? そんなに早く……?」


ミヤビは、驚きと戸惑いの表情を浮かべる。

しかし、りんたろうの瞳には、一切の迷いがなかった。


「はい。我らが神に誓ってお約束しましょう。だから、それまで待っていてください。私と一緒に、かける様たちを助けに行きましょう」


その言葉に、ミヤビは、地図を握りしめた手を緩める。一人で行くことの不安と、りんたろうの言葉の力強さが、彼女の心を揺り動かしていた。


「……分かった。5日、待つ。でも、絶対に無理はしないで」


ミヤビの言葉に、りんたろうは、深く頷いた。


「はい。絶対です」


二人の間に、新たな約束が交わされた。そして、彼らは、来るべき戦いに向けて、それぞれの準備を始めるのだった。


ーーーー


約束から五日後、ミヤビは静かにりんたろうの部屋の扉を開けた。彼の顔色はまだ完全に戻ってはいないものの、ベッドから降り、軽く剣を振るう姿があった。

その動きに、以前のような痛みに耐える様子はない。


「りんたろう!」


ミヤビが驚いて声を上げると、りんたろうは満足げな笑みを浮かべて剣を収めた。


「お約束通り、完治させました」


彼の言葉は自信に満ちていた。


「聖教の医療技術は、宮廷のものよりもさらに進んでいます。瘴気に侵された傷であっても、治癒魔法と薬草を組み合わせることで、ここまで回復させることができました。さらに……」


りんたろうは、手のひらをミヤビに見せる。

そこには、以前まであったはずの、瘴気に蝕まれた痕跡が消え、新しい皮膚が再生されていた。


「星核の欠片も、完全に抜き取ることができました。もう、私が瘴気によって操られる心配はありません」


その言葉に、ミヤビは安堵の息を漏らす。


「よかった……本当に、よかった」

「ええ。おかげさまで、いつでも出発できます。かける様たちを助けに行きましょう」


りんたろうの瞳は、以前よりも強い光を宿していた。

彼の顔には、もう迷いはなかった。

二人は聖教本部の奥、かつての司祭たちが集ったという円卓を囲んだ。

りんたろうは、カラスが持ってきた地図を広げ、その上に燭台を置く。揺れる炎が、地図に描かれた王都の地下通路と、赤い印を不気味に照らし出した。


「ここが、敵の本拠地……」


ミヤビが呟くと、りんたろうは深く頷いた。


「ええ。王都の地下には、我々宮廷騎士ですら知らない秘密の通路網が張り巡らされています。おそらく、青い仮面の男たちは、その一部を利用しているのでしょう」


彼は、地図の上を指でなぞる。


「我々が潜入するためには、この通路を使うのが最も確実です。ですが、敵も警戒しているはず。恐らく、入口には何らかの罠か、番人がいると思われます」

「……どうするの?」


りんたろうは、一度目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。その瞳には、すでに作戦の輪郭が描かれている。


「二手に分かれましょう」


ミヤビは、その言葉に驚いた表情を浮かべる。


「二手に? でも、それだと……」

「ええ、危険なのは承知の上です。ですが、二人で正面から突っ込んでも、返り討ちにあう可能性が高いでしょう。

私たちの目的は、敵を倒すことだけではありません。かける様たちを救い出し、瘴気を操る男を止めることです」


りんたろうは、そう言って、作戦の概要を説明し始めた。


「まず、あなたには、王都の地下通路の別の入り口から潜入していただきます。そこは、敵の監視が手薄な場所です。

その清らかな光の力で、瘴気に侵された人々を解放し、混乱を引き起こしていただきたいのです。それが、私たちの作戦の要となるでしょう」

「私が、混乱を……」


ミヤビは、不安げな表情を浮かべる。


「大丈夫ですよ。あなたの力は、希望の光です。これはあなたにしかできないことです」


りんたろうは、ミヤビの目を真っ直ぐに見つめ、力強く言い聞かせた。


「その隙に、私は正面から本拠地に乗り込みます。

敵の注意を俺に引きつけ、奥へと進む時間を稼ぎます。そして、かける様たちを救い出します」

「でも、それはあまりにも危険じゃない? りんたろう一人に、そんな……」

「問題ありませんよ。私はもう、以前の私ではありません」


りんたろうの言葉に、ミヤビは何も言い返すことができなかった。彼の決意は固く、揺るぎないものだった。


「……分かった。でも、無理はしないで。絶対に、生きて帰ってきて」


ミヤビの言葉に、りんたろうは深く頷く。


「必ず。お約束しましょう」


そして、彼は、地図をミヤビに差し出した。


「作戦は、今夜の月が天頂に達する頃です。それまで、各自準備を」


ミヤビは地図を受け取り、再びりんたろうの目を見つめた。

二人の間に、言葉はなかったが、互いの決意は、しっかりと伝わっていた。


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