8章-第4話
王都の夜は、闇に沈んでいた。月は厚い雲に覆われ、街灯の明かりだけが頼りない光を放っている。
りんたろうとミヤビは、それぞれ別の道から、敵の本拠地へと向かっていた。
りんたろうは、王都の地下水路の入り口に立っていた。錆びついた鉄格子を押し開けると、冷たく湿った空気が顔に当たる。彼は懐中電灯を点け、地下へと続く階段を降りていった。
一方、ミヤビは、寂れた路地裏の片隅にある、忘れ去られた地下室の扉の前に立っていた。 カラスが持ってきた地図に記されていた、もう一つの入り口だ。彼女は深呼吸をし、扉に手をかけた。
地下通路は、複雑に入り組んでいた。 りんたろうは、地図を頼りに、ひたすら奥へと進んでいく。時折、物音に気づき、剣を構えるが、それはただのネズミや水滴の音だった。 しかし、進むにつれて、空気は次第に重くなり、瘴気の匂いが濃くなっていく。
ミヤビもまた、闇の中を進んでいた。彼女の足元を照らすのは、彼女自身の体から放たれる、淡い光だけだ。 その光は瘴気を打ち消し、彼女の進む道を清めていく。しかし、それと同時に、彼女の力は、周囲の瘴気を呼び寄せ、仮面の男たちの注意を引いている。
「……見つけたぞ、異端の魔女」
背後から、冷たい声が響いた。 振り返ると、そこには、数人の仮面の男たちが立っていた。
「……っ!」
ミヤビは剣を構えるが、男たちは彼女に襲いかかろうとしない。ただ、呪文を唱え、彼女の周囲に瘴気の壁を作り始めた。それは、彼女の光を封じ込め、その力を弱めるための罠だった。
「これで、お前の力も終わりだ」
男が嘲笑う。だが、その時、背後から一陣の風が吹き抜け、男たちの体が大きく揺らいだ。
「あなたがたの相手は私です!」
りんたろうの声だ。彼は、別の通路から現れ、男たちを背後から切り伏せたのだ。
「りんたろう!」
ミヤビが駆け寄ると、彼は血のついた剣を収め、静かに言った。
「まだ作戦通りですよ。あなたは、奥へ急いでください。私がここにいる奴らを食い止めます」
「……分かった」
りんたろうの言葉にミヤビは頷いた。彼女は、再び走り出す。 りんたろうは、残りの男たちと対峙する。瘴気によって操られた彼らは、一切の躊躇いなく、りんたろうへと襲いかかってくる。
「申し訳ありませんが、もう私は負けませんよ」
彼は、聖教の治癒魔法で癒された身体で、剣を振るう。その剣筋は、以前よりも鋭く、速かった。男たちは、次々と倒れていく。 その頃、ミヤビは地下水路の終着点にたどり着いた。そこには、巨大な石造りの扉があった。 扉には、不気味な模様が刻まれている。
「……ここが、本拠地……」
ミヤビは扉に触れる。扉の模様が光を放ち、ゆっくりと開いていった。 扉の奥には、広大な空間が広がっていた。空間の中央には、巨大な祭壇があり、その上に、黒く輝く石が置かれている。 そして、その星核の周りには、意識を失ったかける、みちる、とうま、つづる、つむぐの五人が、鎖に繋がれていた。
「……かける! みんな!」
ミヤビが駆け寄ろうとすると、その前に、青い仮面の男が立ちはだかった。
「よく来たな、異端の魔女よ」
男の口元が、仮面の下で歪む。
「だが、残念だったな。もう遅い」
男は、祭壇に手をかざす。すると、星核が禍々しい光を放ち、五人の身体に、黒い瘴気が流れ込んでいく。
「やめて!」
ミヤビが叫ぶが、男は嘲笑うだけだ。
「この者たちは、私の新たな道具となる。そして、お前は……星核の、最高の生贄となるのだ」
男がそう言い放つと、五人の瞳が、不気味な闇色に染まっていく。 そして、彼らはミヤビに向け、ゆっくりと剣を構えた。
「……っ……」
ミヤビは、その光景に絶望する。 その時、背後から、新たな足音が聞こえた。 振り返ると、そこには、剣を構え、血まみれのりんたろうが立っていた。
「……私の大切な方の友人たちを、解放してください」
彼の瞳には、怒りと、そして、燃え盛るような闘志が宿っていた。 ミヤビは絶望に打ちひしがれていた。 その光景は、地下で見た悪夢の再来だった。目の前で、仲間たちが操り人形と化していく。
「やめて……! お願い……!」
ミヤビが叫ぶが、青い仮面の男は嘲笑うだけだ。
「まずはそいつらを殺すか。邪魔な存在なのだからな」
男がそう言い終えた瞬間。 操られている5人に変化があった。それぞれ持っていた武器を、自害するかのように自分の首に当てた。
「っ! やめて!」
ミヤビは思わず叫んだ。 しかし彼らの表情は虚ろで何も反応はない。 ただじっと自分の首を見つめているだけだ。 そんな彼らに焦って、ミヤビは動揺する。
「星核はバッドエンドをお望みだ。作者らしく、早く終わらせてみせろ。攻略対象たちは死に、その死を見た主人公は悲しみのあまり自ら命を絶つ。それでこの物語は完結する!」
男は高らかにそう告げる。まるで自分こそがこの世界の中心だと言わんばかりに。
「そんなの嫌だ! そりゃ、私が物語を完結させなかったのが悪いのは分かってる! でも、みんな生きてハッピーエンドでも良いじゃん! 星核も、私も、全員で幸せになろうよ!」
ミヤビは悔しさと憎しみを滲ませた声で訴える。 しかし男はそれを鼻で笑い飛ばす。 そして更に追い討ちをかけるような言葉を口にする。
「星核は常に最悪の結末を求めるものだ。だから私はあの方のために最善を尽くしている。星核が望むものを叶えて差し上げようではないか。それが私の使命なのだ。……それにしても貴様はつくづく愚かだな」
男の口調からは明らかな侮蔑の感情を感じ取ることが出来る。 ミヤビは光を放って、何とか仲間の正気を取り戻そうとするが、全てが無駄に終わる。 そんな彼女に向かって最後の通告が為される。 それは死刑宣告にも等しい言葉だった。
「もう終わりにしてやろう」
男の冷酷非情な声と共に、五人が動き出した。 彼らはお互いの顔を見合わせると無言で頷きあう。そしてーー
「俺は幸せになりてぇな。こんな所で死にたかねぇ」
かけるの剣の柄が、仮面の男の脇腹を薙ぎ払う。 ミヤビは息を呑んだ。
「……え?」
青い仮面の男も驚愕の声をあげる。
「何だと!? 何故だ!? 星核の欠片は!?」
続いてつづるとつむぐが星核に向けて飛びかかる。二人の手が祭壇に触れると、そこに刻まれた文字が反応し光を放つ。
「俺は独りになりたくないね! ミヤビとずっと一緒にいたい!」
「僕は世界の端にまで真実を届けるまでは死ねませんね!」
二人の叫びと共に星核の輝きが弱まり始める。 みちるととうまも素早く立ち上がり、鎖を引きちぎるようにして拘束から逃れた。そして青い仮面の男に向かって突進する。
「この世の全てを知るまで死んでたまるもんですか!」
「守り抜く! この身が朽ち果てるまで!」
二人の連携攻撃が男を圧倒し始める。 その時、りんたろうも信徒たちとの戦いを終え、彼らのもとに駆けつけた。血まみれの剣を手にしたまま、状況を把握しようとしていた。
「これは一体……?」
彼は混乱しながらもすぐに状況を理解する。仮面の男と5人が戦っている様子を見て、りんたろうは加勢すべく飛び込んだ。
「みんな……」
ミヤビは驚きと感動で言葉を失っていたが、すぐに我に返った。彼女もまた立ち上がり、戦う決意を固めた。
全員が集結し、力を合わせて青い仮面の男に立ち向かう。星核の光が完全に消えると同時に、男は崩れ落ちるように膝をついた。
「なんてことだ……私は……星核に選ばれし者なのに……」
「その星核本人に合わせて欲しい」
ミヤビが男に向かって告げる。
「そんなことが許されーー」
すると男の口から禍々しい瘴気が溢れ、それが大きな形となり、星核ーーミヤビと瓜二つの少女が現れた。 その目には強い恨みを宿している。
「やはり……あなたは私を受け入れてくれないのね」
星核の少女の声は底知れない怒りと悲しみに満ちていた。その目は鋭く光り、まるで全てを焼き尽くすような力を持っていた。しかし、ミヤビは怯むことなく彼女を見つめ返す。
「私はもう逃げない。ちゃんとこの物語を終わらせる。だからあなたも、殺そうとはしないで欲しい」
「私はあなたたちのことが嫌いだ。作られた好意、私を好きになることが最初から決まってて、私は愛されるだけの存在。そんな関係性で、誰が本当の私を、彼らを見てくれるんだ」
星核の少女の言葉に、ミヤビは深く考え込む。
「確かに……私が作った好意で、みんなはあなたを好きになったかもしれない。 でも、それはきっかけに過ぎないよ。みんなはあなたの本当の姿を見ようとしていたし、あなたもそれを望んでいた」
「私の本当の姿……?」
星核の少女は呟き、そして沈黙した。
「そうだよ。あなたは自分の本当の姿を知りたかったし、みんなにも知って欲しかったんでしょ? だからあなたのことを愛してる」
ミヤビは微笑みながら星核の少女に語りかける。
そのまなざしは、まるで妹を見守る姉のようだった。少女の心がわずかに揺らぐのが、ミヤビには見えた。
しかし彼女の表情は変わらなかった。 むしろどんどんと憎しみが増長しているようにも見えた。
「でも私はあなたたちの愛なんか要らない! もう騙されたくない!」
彼女は叫ぶと同時に黒い瘴気を放出した。その勢いは凄まじく、5人だけでなくりんたろうや信徒たちまでも巻き込むほどだった。 ミヤビは星核の少女に必死に語りかける。
「お願い! みんなを傷つけないで!」
ミヤビの叫びは、瘴気の渦に飲み込まれそうになりながらも、決して消えることはなかった。彼女の体から放たれる淡い光が、瘴気の勢いをわずかに押し返し、仲間たちを守ろうと奮闘する。 しかし、星核の少女の憎しみはあまりにも深い。
「偽りの愛で塗り固められた世界など、消えてしまえ! 私を愛するフリをしたあなたたちなど、消えてしまえ!」
少女の言葉と同時に、瘴気の勢いはさらに増し、ミヤビの光を完全に圧倒しようとしていた。
「……フリなんかじゃない」
その時、かけるが、瘴気に押し潰されそうになりながらも、一歩前に踏み出した。
「たしかに作られたキャラクターかもしれねぇけど、あんたを好きになるっていうこの心は、間違いなく俺自身のものだ。俺は、俺の意志で、あんたを愛してる!」
彼の言葉に、星核の少女の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。その隙に、とうまが言葉を続けた。
「私たちは、あなたという存在を、心から愛している。それは、あなたが私たちに与えた感情ではなく、私たちがあなたと共に過ごした時間の中で育んだ、かけがえのない想いだ」
「あなたは私たちに死んでほしいみたいだけど、生きてなきゃ何も知ることなんてできないわよ? ましてや、誰かを愛して理解してあげることなんて、もっと難しいのに」
みちるが、とうまの言葉に重ねるように、はっきりと言い放つ。
「……そんなものは、偽りだ……!」
少女の瞳が、憎しみに揺れる。
「偽りなんかじゃない! 今、俺たちは、ここにいる! あんたが望まなかったこの世界で、俺たちずっと一緒に生きてきたじゃん!」
つむぐが叫ぶと、つづるも頷いた。
「あんたが望まなかった世界でも、あなたの善行が、誰かの悪行が常に情報として溢れていた。生きているんですよ、みんな。あなたへの愛だって、血が通っている」
仲間たちの言葉が、星核の少女の心を少しずつ溶かしていく。そして、その光景を、静かにみていたりんたろうが一歩前に出る。
「……紛い物だったとしても、今まで過ごした日々が消えるわけじゃありません。私たちは、この世界のどこかで、確かに生きていた。それが真実です」
りんたろうの言葉が、少女の心に静かに響く。
「……違う……」
少女の声が、震え始める。瘴気の勢いが、少しずつ弱まっていく。
「違う……。私を愛してくれるなんて、嘘だ……!」
「嘘なんかじゃない!」
ミヤビが、力を振り絞り、叫んだ。
「嘘なんて何一つない! みんなずっとあなたが好きなんだ! ずっとずっと、私が入れ替わっても、私じゃなくてあなたを好きでいてくれた! この話の主人公は、あなたじゃなきゃダメなんだよ!」
ミヤビの光が、少女の心を包み込む。それは、瘴気を打ち消す光ではなく、純粋な愛と希望に満ちた光だった。
少女は、ミヤビの光に包まれながら、堰を切ったように泣き崩れた。それは、憎しみや悲しみから解放され、初めて本当の自分を見つけてもらった安堵の涙だった。その体から、黒い瘴気が、すーっと消えていく。
「……もう、終わりにしたい……。こんな苦しい物語、もう、終わりにしたいの……」
「終わりにしよう。今あなたは、この世界と、私たちのすべてを受け入れてくれた。だから誰も死なずに済んだ、ハッピーエンドだよ」
ミヤビの言葉は、少女の心に優しく響き渡る。彼女は、まるで夢から覚めたように、静かに目を閉じた。
星核の光は、再び輝きを取り戻した。しかし、それは禍々しい闇の光ではなく、温かく、優しい光だった。
星核の温かい光は、地下空間を照らし、そして、王都の夜空へと昇っていった。 夜空に昇った光は、街を優しく包み込み、そして夜明けを告げるように、空に溶けていく。 王都の夜は、闇から、温かい光へと、姿を変えた。
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