6章-第4話
ミヤビは震える手で机の上の分厚い封筒を開けた。中から現れたのは、何冊もの古い日記帳。
この世界の本来の主人公、みやびが書いたものだった。
ページをめくるたび、過去の自分が息を吹き返すような、重苦しい空気が部屋に満ちていく。
情報屋から受け取った断片的な情報が、今、日記の文字によって鮮烈な物語として眼前に広がっていく。孤児となり、村人から疎まれ、孤独の中でひっそりと生きてきた少女の人生。
そしてひょんなことから、イケメンたち……攻略対象から愛され、大事にされる。少しずつ回復する自尊心と、幸せな日々。
そして気づいてしまう。この世界が進まないことを。同じ日が繰り返され、同じ言葉が繰り返される。
「今日も、何も変わらなかった。誰も私を見つけてくれない。この世界の誰も、本当の私を必要としていない」
「彼らは私の笑顔を愛し、私の優しさを愛する。でもそれは、私が村で虐められた傷を隠すための仮面だ。誰も、私が夜に泣きながら祈る姿を知らない。彼らが愛するのは、完璧な“みやび”という幻だ」
その静かな絶望は、「ある日」を境に劇的な変貌を遂げる。日記には、自分が「星核」として覚醒した、その衝撃的な事実が綴られていた。
しかし、その「ある日」以降の日記は、狂気にも似た深い闇へと沈んでいく。
「星核として覚醒した日、私は初めて自分が特別だと感じた。世界が変わると思った。でも、すぐに気づいた。誰も私の本当の姿を見ていない。彼らの愛は、私を縛る鎖でしかない」
「こんなにも優しい言葉をかけられるのに、なぜだろう、心の奥で憎しみが渦巻く。彼らの愛が、嘘だと思えてしまう。この胸を切り裂くような痛みが、本物だと叫んでいる」
乱れた筆跡、時に震えるような小さな文字。日記に刻まれた言葉は、魂の叫びそのものだった。
雅は、その激しい感情の奔流が、自分自身の内に確かに流れていることを痛いほど感じた。自分が作り、放棄した物語が、みやびをこんなにも深い闇に突き落としたのだ。彼女の憎しみは、ミヤビ自身の罪の鏡だった。
「愛しているのに、憎んでしまう。この矛盾を、誰が理解できるのだろう」
静かに日記を閉じたミヤビの指先は、ひどく冷たかった。封筒の重みは消え、代わりに胸の奥に深く突き刺さった。
ミヤビはしばらく動けなかった。心の中に渦巻く言葉たちが、まるで棘のように刺さり、息を詰まらせる。
部屋の隅で小さく揺れるランプの炎が、その冷たさを際立たせていた。
「こんなにも苦しいのに、どうして前に進めないのだろう……」
彼女は再び日記を手に取り、ページをめくった。
そこには、星核としての覚醒がもたらした変化と、その代償が詳細に綴られていた。
「私は、誰かのために生きているのではない。ただ、世界の歯車の一部として動いているだけ。自分の意思ではなく、運命の糸に操られているだけ」
その日記の最後に、一行だけ、まるで血で殴り書きされたような赤い文字が浮かび上がった。
「ならみんなで死んだ方が、きっと幸せだ」
悲しみの中に見出された、歪な幸せ。
みやびの絶望は、彼女が投げ出した物語の傷だった。でも、だからこそ、彼女にはそれを癒す責任がある。
ミヤビは封筒をそっと机の端に置いた。
そしてとうまから貰った壊れたペンダントを取り出す。
壊れた鎖の先で揺れる小さな金属片は、かつての輝きを失い、まるで命を吸い取られたようにくすんでいた。
彼女の指先がその表面をなぞると、かすかな熱が伝わってくる。まるで、ペンダントがまだ何かを囁いているかのように。
「とうま……なんでこれを渡してきたんだろ……」
彼女の呟きは、部屋の静寂に溶け、答えのないまま宙に浮いた。だが、ペンダントを握りしめるほどに、胸の奥で何かが疼く。まるで心臓の鼓動とは別の、深い脈動。
ミヤビは目を閉じ、深く息を吸った。ペンダントから放たれる微かな熱は、淡い光を放ち映像を見せてきた。
とうまと初めて出会った日のこと。彼の優しい笑顔、村の外れで交わしたささやかな会話。
そして、みやびがこのペンダントを彼に贈った日――「完璧なみやび」として振る舞う自分を、彼に愛してほしかったあの瞬間。
だが、ペンダントは今、壊れている。まるで、みやびの心が壊れたように。
ミヤビの目が再び日記のページに落ちる。
「私は、誰かのために生きているのではない。ただ、世界の歯車の一部として動いているだけ。」
その言葉が、ペンダントの重みと共鳴する。
突然、ペンダントが一瞬だけ強く熱を帯び、ミヤビの指先に鋭い痛みが走った。
彼女は思わず手を離し、床に落ちたペンダントを見つめる。すると、壊れた鎖の隙間から、微かな光が漏れ出した。青く、冷たく、まるで星の欠片のような輝き。
「これは……」
ミヤビは震える手でペンダントを拾い上げ、光を凝視した。光は彼女の視界を飲み込み、意識を過去へと引きずり込む。そこには、ループする世界の断片が映し出されていた。
彼女は見る。星核として覚醒したあの「ある日」。
村の広場で、突然空が裂け、青い光が彼女の身体を貫いた瞬間。みやびは力に飲み込まれ、時間が歪み、世界が繰り返しをやめたのだ。
みやびは、少女は、高らかに笑いだした。
この力があれば、望む結末が手に入る。終わらない世界を終わらせることができるーー
ミヤビはハッと目を開けた。ペンダントの光は消え、部屋は再び静寂に包まれている。だが、彼女の胸には、みやびの声とビジョンの記憶が焼き付いていた。
彼女は日記の最後のページをもう一度開いた。
赤い文字が、まるで彼女を嘲笑うようにそこにあった。だが、今、ミヤビの心には別の感情が芽生えていた。
彼女は立ち上がり、ランプの揺れる光の下で呟いた。
「みやびを、救わなきゃ。それでエンドだ」
ペンダントの微かな熱が、彼女の決意に応えるように脈打った。
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