7章-第1話
数日後の昼下がり。宮廷の執務室で、みやびが書類仕事に追われていると、窓の外から聞き慣れた声が聞こえた。
「やぁ、姫。元気?」
見上げると、いつも通りひらりと窓枠に飛び乗ったつむぐの姿があった。その表情はいつものように飄々としており、口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「つむぐ。また窓から……」
ミヤビが呆れたように言うと、つむぐはドアからなんてつまらないじゃん、と笑って応じた。
「姫ってさ、一応客人って扱いじゃなかった?」
「手伝いたいって言ったの。そしたらみちるさんが仕事をくれて」
「やるじゃん。これはもう気軽にデートに連れ出せないなぁ」
つむぐはミヤビの背後から机の上の書類をのぞき込む。その時、強い血の匂いが鼻を突いた。
「つむぐ……?」
ミヤビが彼の異変に気づき、振り返ったとき、つむぐは力なく微笑んだ。
「ごめん、姫……」
その言葉を最後に、彼はふらりと体勢を崩し、ミヤビに寄りかかるように倒れ込んできた。
「つむぐっ!」
ミヤビは必死に彼の身体を支える。
そこで、彼女は初めて彼の胸から腹にかけて巻かれた包帯から血が滲んでいることに気づいた。
血は止まらず、衣服にも赤黒い染みが広がり、その奥に深い傷があることを物語っていた。
「しっかりして、つむぐ! 一体何があったの!?」
ミヤビの焦る声に、つむぐは力なく首を振った。
「夜の街で……少し、厄介な奴に絡まれちゃってさ……」
彼の言葉は途切れ途切れだった。その傷が、ただのチンピラにやられたものではないと、ミヤビは直感的に悟った。
ミヤビはすぐに助けを呼ぼうとしたが、つむぐはそれを制した。
「大丈夫……ちょっと、休ませて……」
そう言うと、彼はみやびの腕の中で、意識を失った。
ーーーー
ミヤビの悲鳴を聞きつけ、駆けつけたとうまが、意識を失ったつむぐを抱きかかえて医務室へと運んだ。
王宮の医者が応急処置を施す間、ミヤビとかける、そしてとうまは、心配そうに彼のそばに寄り添っていた。
胸から腹部にかけての深い傷は、治癒魔法でも完全には塞がらないほど、酷いものだった。
「命に別状はありませんが、完全に治るにはかなりの時間がかかるでしょう」
「一体、何があったの……」
ミヤビは、ぐったりとベッドに横たわるつむぐを見つめ、震える声で呟いた。
「こいつは、ただの情報屋ではない。何度か、こいつの腕前を見たことがあるが、並の冒険者じゃ相手にならないくらいには戦える男だ」
とうまの言葉に、みやびは息をのんだ。
かけるは、険しい表情でその傷跡を見つめていた。
冒険者として、数々の死闘を経験してきた彼だからこそ、その傷の異様さが理解できた。
「そのつむぐが、これほどの深手を負うなんて……尋常じゃない。相当な手練れが、こいつを狙ったとしか考えられねぇ」
かけるは静かにそう言い放つと、握りしめた拳に力を込めた。そして険しい表情でその傷跡を見つめ、静かに口を開いた。
「この傷は、並大抵の武器でつけられたもんじゃねえな。まるで、肉体を無理やり引き裂いたような……そんな痕跡だ」
医者は、かけるの言葉を裏付けるように頷く。
「はい。通常の刃物で負った傷とは異なり、周囲の細胞組織が破壊されています。治癒魔法でも完全に回復させるのが困難なのは、そのためかと」
その医者の言葉に、みやびははっとした。
「それって……」
とうまが呪いに蝕まれていた時、彼女の身体に現れていたものと似ている。
「星核の力だ」
とうまが、低い声で呟いた。その言葉に、三人の間に緊張が走る。
「つむぐを襲ったのは、あの生物兵器……いや、星核そのものかもしれない。星核の真の目的に関する情報を手に入れたのかも」
ミヤビの言葉に、かけるは鋭い眼差しで彼女を見つめた。
「真の目的……? 星核の目的は、全員を死に至らせる『バッドエンド』ってやつじゃねぇのか?」
ミヤビは頷いた。
「そう。みんな死んで……きっと自分も最期はその後を追っての、バッドエンド。んな結末にさせたくないけどね」
その時、ベッドに横たわるつむぐの指先が、かすかに動いた。
「つむぐ、どうしたんだ!?」
とうまが尋ねると、つむぐは意識が朦朧としながらも、懸命に言葉を紡ごうとする。
つむぐは、浅く荒い呼吸を繰り返しながら、唇をわずかに動かした。
「……あいつら……」
その声はかすれていて、耳を近づけなければ聞き取れないほどだ。
みやびが身を乗り出すと、彼は途切れ途切れに続けた。
「……全員……呪う……つもりだ……」
部屋の空気が凍りついた。
「呪う……?」
かけるが低く問い返す。だが、つむぐは答える代わりに苦しげに眉をひそめた。
「……俺の中に……仕込まれた……時限……」
その瞬間、とうまが顔色を変える。
「時限……って、おい、まさか」
「……星核の欠片……埋め込まれた……時間が……ない……」
それは告白というより、呻きに近かった。
みやびは思わず彼の手を握りしめる。
「大丈夫、必ず助けるから……」
だが、つむぐの視線は天井のどこか遠くを彷徨い、最後にぽつりと別の言葉を落とした。
「……青い……仮面……」
その直後、彼の体ががくりと力を失い、再び深い眠りに沈んでいく。
残された三人は、互いに視線を交わした。
「呪いと時限付きの星核の欠片、青い仮面……」
とうまが険しい声でまとめると、かけるは無言で拳を握りしめた。
刻一刻と、彼の命を削る見えない刃が進んでいる。
時間との戦いが、もう始まっていた。
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