1章-第4話
晩餐が終わり、王宮の廊下は静まり返っていた。
外では虫の声が遠くに響き、蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。
ミヤビは、かけるの部屋の扉をノックした。
「……入っていい?」
「おう、もう片付け終わってる」
中からかけるの声が返る。
部屋に入ると、彼は装備の一部を外し、椅子に腰かけていた。
まだ少し疲れの色が残る表情。それでも、晩餐の時よりは柔らかい目をしている。
「晩餐、疲れたろ」
「うん。やっぱり、いろいろ気を張ったから」
ミヤビはそう言いながら、ポケットの中の薄い封筒を取り出した。
「それ……何だ?」
「情報……だって。かけるの」
「俺の?」
かけるが怪訝そうに眉をひそめる。
ミヤビは少し迷った末、椅子に腰かけ、封を切った。
中から出てきたのは、短くまとめられた書簡と数枚の地図。
地図には王都周辺の路地や建物の印が細かく記され、いくつかの場所には赤い印が付いていた。
書簡には簡潔な筆跡でこう書かれていた。
《聖教、再び風間翔を捕縛予定
期日は未定、実行犯は王都潜伏中
印の箇所は彼らの潜伏・接触地点と推測
外出時は必ず同行者をつけること》
かけるは読み終えるなり、口を引き結んだ。
「……俺を狙ってる……か」
その声は低く、怒りと諦めが混じっていた。
沈黙の後、かけるが視線を鋭く向ける。
「……ミヤビ。この情報、どこからだ?」
ミヤビは一瞬、胸の奥が詰まるのを感じた。
りんたろうの名も、彼が聖教のスパイである事実も――かけるには言えない。
「……分からない」
「分からない?」
ミヤビがそう呟くと、かけるは怪訝な顔をした。
「気がついたら近くに置いてあって……でも、信じていいと思う」
そう告げると、かけるはしばらく黙っていたが、やがて苦笑を漏らした。
「お前がそう言うなら、信じてやるよ」
蝋燭の炎が二人の間で揺れ、その揺らめきの中で、外の虫の声がまた遠くで響いた。
「……みちるに指示を仰ごっか。私たちだけで決めていいものじゃないよね?」
「そうだな」
ミヤビは封筒を握りしめ、立ち上がった。
かけるも椅子から立ち上がる。
「俺も行く」
「いや……かけるが一緒だと、逆に警戒されるかもしれない。ここで待ってて」
彼は少し不満げに眉を寄せたが、黙って頷いた。
ーーーー
ミヤビは部屋を出て、宮廷の奥、書庫兼執務室へ向かう。
扉を叩くと、中から軽やかな声が返った。
「はぁい、お入りなさい」
扉を開けると、みちるが大きな机の向こうで書類をめくっていた。
隣にはとうまが立っていた。恐らく作戦会議をしていたのだろう。
「晩餐のあとに珍しいわねぇ。何かあったの?」
「これ……」
ミヤビは封筒を机の上に置き、事情を簡潔に説明する。
みちるは目を細め、地図を指でなぞった。
「……ふぅん。これ、本当に確かな情報なの?」
「はい。信頼できる相手からのものです」
「そう……」
みちるは短く息を吐き、顔を上げた。
「じゃあ、私が王様に直接報告するわ。その間、あなたとかけるは不用意に外に出ないこと。護衛はとうまちゃんに任せるわ」
その声色は、晩餐での朗らかさとは違い、完全に賢者としての冷徹さが宿っていた。
とうまを見上げると、こちらを真っ直ぐ見据えたまま頷いてくれた。
「うん、お願い」
ミヤビは小さく頷いて、封筒を彼に渡して部屋を出ようとする。そこに声をかけられた。
「そうだ、あなたに会ってほしい人がいるの」
みちるは意味深な笑みを浮かべ、手元の書簡を閉じる。
「彼の筆は一級品よ。……まぁ、ちょっと難があるけど」
「分かった」
その言葉に、ミヤビは小さく頷いた。
みちると共に王宮の渡り廊下を抜け、石造りの塔の一室へ向かう。
離の塔の扉を開けると、紙とインクの匂いが鼻をつく。
机の上には整然と並べられた原稿用紙の山、インク壺、そして無数のペン先。
その中心に座っていたのは
背筋をぴんと伸ばし、原稿に視線を落としながらも、扉が開く音にペンを止めた。
第四勢力と呼ばれる世界日報の特派員であり、数々の記事を世に送り出した記者だ。
彼もまた攻略対象の1人であり、ミヤビは面識があった。
「……やぁ。久しぶりだね、みやび」
低く落ち着いた声。だが、視線はどこかじっとりと観察するような鋭さを帯びている。
「あら、お知り合い?」
「ええ、まぁ。以前世話になったことがありまして」
「相変わらず、世間は狭いのね」
みちるが驚いた顔をする。そして小さく咳払いをした。
「じゃ、早速本題だけど。今回は、彼の筆を利用するの」
「利用って……?」
ミヤビの問いに、みちるは唇をゆるく吊り上げた。
「あなたたちが動いている情報を、あえて歪めて世間に流す。
聖教の連中がその噂を追ってくれれば、本当の行動は隠せるわ」
つづるは机から数枚の紙を取る。
そこには、現実とは異なる詳細な記事案が並んでいた。
――速報:異端の魔女、東方国境で密談か
「王都に保護されたとされるミヤビが、昨晩、国境都市エルミナにて謎の男と極秘接触。複数の商人が『黒いローブの男と密談していた』と証言。宮廷の保護は表向きに過ぎないとの憶測も」
――風間翔、北部領で目撃情報
「元聖教の囚人・風間翔が、王宮から姿を消し北部領の都市フォルティアで目撃された。地元住民は『見慣れない男が町の外れで何者かと接触していた』と証言。聖教から逃亡したとの見方が強まる」
一行一行が現実味を帯びていて、知らぬ者が読めば完全に信じるだろう。
「……あいかわらず、筆が鋭いね」
ミヤビが呟くと、つづるはわずかに口元を緩める。
「事実を書くだけが記者じゃない。嘘を真実に見せかけるのも、腕のうちさ」
その眼差しは、記事の中の虚構すらも真実に変えてしまいそうな、危ういほどの熱を帯びていた。
つづるはインクの染みた指先で、机の端を軽く叩いた。
「それで……本当の動きはどうするんだい?」
ミヤビは一瞬、答えに迷った。
机の上に並ぶ嘘の情報と、昨日手に入れた本物の情報。
そのどちらも、軽々しく口にすべきものではない。
「……詳しいことは、まだ言えない」
そう答えると、つづるは片眉をわずかに上げて笑う。
「ふぅん……慎重なんだね。でも、そういうの、嫌いじゃない」
彼は椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。
机を回り込み、みちるにちらりと視線を送る
まるで彼の存在など気にも留めないかのように、ミヤビの前で止まった。
「……でもね、ミヤビ。本物の情報は、僕にだけ教えてくれないか?」
声は低く、囁くようだが、その奥には確かな熱がある。
「君が何をしようとしているのか、何を守ろうとしているのか……僕は知っていたい。
それに、本物を知っているほうが、嘘を書くのもずっと巧くなる」
近くで見るつづるの瞳は、紙面に落ちるインクよりも深く、底が見えない。
まるで、情報ではなく『ミヤビそのもの』を知りたいという欲求が透けて見えるようだった。
ミヤビは一歩だけ距離を取り、笑みを作った。
「……考えとく」
「考えとく、か。ふふ、いい答えだ」
つづるはまた机に戻り、原稿用紙の束を整える。
「じゃあ、まずは聖教の目を引きそうな第一稿をすぐに書こう。
今日中に街に流せば、向こうは少なくとも数日はそっちに気を取られる」
みちるが短く頷く。
「じゃあ、お願いね」
「はい。騎士様の命令は絶対だ」
つづるはおどけて手をひらひら振ったが、その目は最後までミヤビから逸れなかった。
一方客間ではかけるが、窓辺に腰かけていた。夜の月明かりが優しく差し込むが、気持ちは落ち着かない。
部屋の外、廊下の方から小さな声が聞こえてくる。
「……ねぇ、聞いた? 東方国境で密談してたって話」
「ええ、しかも相手は商人だって……。本当かしら」
「だって世界日報に出てたんだもの。宮廷も動くらしいわよ」
使用人たちが、盆を抱えて足早に通り過ぎながらも、ひそひそと噂を交わしている。
かけるは眉をひそめた。
(……偽情報、ってやつか? けど、妙にみんな信じてやがる。まるで意図的に誰かが流しているみてぇだ)
その時廊下の端を、背の高い影が横切った。
りんたろうだった。
無表情のまま、廊下の壁際を歩き、使用人たちとすれ違う。
立ち止まったかと思うと、りんたろうは何かを短く囁き、そのまま振り返らず奥へと歩き去った。
使用人たちは一瞬、こわばった顔になり、互いに頷き合うと足早に別の方向へ消えていく。
(……今の、なんだ?)
かけるの背筋に薄い冷気が走る。
そして、今の小さなやり取りが、ただの雑談じゃないと直感した。冒険者としての勘だった。
部屋の中は静かだ。
けれど、その静けさの裏で何かがじわじわと動き出している――かけるはそう感じていた。
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