1章-第3話

玉座の間での謁見が終わると、みちるが軽く杖を鳴らした。


「それじゃあ、ミヤビちゃんとかけるくん。私ととうまちゃんで客室までご案内するわ。

今日は長旅だったでしょう? まずは休まなくちゃ」


扉の外で控えていたかけるが呼び入れられ、ミヤビの隣に立つ。彼は玉座の間の荘厳さに圧倒されつつも、落ち着かない様子で視線を泳がせていた。


みちるがゆったりと歩いて先導し、とうまは無言のまま二人の後ろを着いていく。

王宮の廊下は高い天井と白大理石の柱に彩られ、窓からは夏の強い陽光が差し込んでいた。

外の賑わいとは異なり、ここは張り詰めたような静けさが漂っている。

やがて、かけるが小さく息を吐き、ぽつりと口を開いた。


「……なあ、ミヤビ。宮廷って……信用できるのか?」


その声には、微かな震えが混じっている。

彼は歩きながらも視線を下げ、拳を軽く握りしめていた。


「……どうして、そう思うの?」


ミヤビが問い返す。


「俺は……聖教に捕まってたとき、同じような立派な場所に連れて行かれたことがある。

玉座みたいな場所で、笑って、優しく話しかけてきて……でも、結局は俺を痛めつけるための口実だった。

だから……こういう場所の人間は、みんな同じじゃないかって……」


言葉を切ると、かけるは苦笑を浮かべ、首を振った。


「……悪い、変なこと言ったな」


そのお前で、みちるが静かに口を開く。


「かけるくん、王宮は聖教とは違うわ。でも、信用しすぎるのも危険。ここは『国』の心臓部だからね」


その声は柔らかくも、どこか含みがあった。

それは単に安心させるだけの言葉ではない、彼らしい物言いだった。

後ろから着いてきているとうまが、不意に口を開く。


「俺は宮廷騎士だ。俺の任務は『監視』と『護衛』だが……護衛を優先する。

ここで危害を加える者がいれば、相手が誰であろうと斬る。例えそれが宮廷騎士だったとしても、だ」


淡々としたその言葉に、かけるは一瞬目を見開いた。

その表情にはまだ迷いがあるが、僅かに肩の力が抜けたようだった。


「……分かった」


とうまは再び無言で歩き出し、やがて重厚な扉の前で立ち止まる。


「ここが客室。二人分の部屋を隣り合わせにしてあるわ」


みちるが微笑み、鍵を二つ差し出す。


「荷物は後で運ばせるわね。晩餐の時間になったら、また迎えに来るから」


扉が開くと、上質なカーペットと大きな窓を備えた部屋が現れた。

柔らかな光が差し込み、外の庭園が見える。


ミヤビはその景色を見やりながら、ここが安全であってほしいと静かに願った。

かけるが先に部屋へ入り、ミヤビも部屋に入ろうとした時、とうまが静かに近づいてきた。

甲冑の金具がわずかに鳴る音のあと、低く抑えた声が耳元に届く。


「……安心しろ。俺は監視だけではなく、お前の味方だ」


その一言に、ミヤビは思わず彼を見上げる。

とうまの表情は相変わらず無機質で、視線も真正面を向いたまま。

だが、その瞳の奥に宿る、かすかな熱をミヤビは感じ取った。


「どういう……意味?」


問いかけると、彼はわずかに口の端を上げる。


「意味を知りたければ、しばらく俺の目を見て生きろ……やがて分かる」


そう言って、彼は何事もなかったかのように背を向け、自分の持ち場へ歩き出す。

ミヤビは彼の背中を見送ると、扉が閉まった。


部屋には一瞬の安らぎと静けさが訪れた、その時。

窓の外から、軽く二度、コツコツと小石を叩くような音が響いた。


「……?」


近づいてカーテンを開くと、そこに逆さまになった顔があった。

乱れた深緑の髪、にやりと笑う口元、そして月色の瞳を持つ青年、つむぐ。


「よっ、お姫さま。久しぶり〜!」

「つむぐ!? なんでこんな所に……」

「んー、たまたま近くに用事があってさ。『王宮に異端の魔女が来た』って噂を耳にして、そりゃ行くしかないじゃん?」


軽口を叩きながら、彼はするりと窓から室内へ入り込む。動きは猫のように軽く、靴音すらしない。

紡三織は闇市で名の知れた情報屋で、軽薄そうな口調とは裏腹に、掴む情報はどれも確かだった。

攻略対象の一人であり、過去のトラウマから孤独を恐れ、かまってちゃんな可愛い一面がある。


「にしても、相変わらずお堅いとこに縁があるねぇ。あんたに王宮とかぴったりすぎて笑っちゃう」

「笑わなくていいから」

「はは、冗談だって。……でも、ここにいるってことは、保護されるんだろ?」


ミヤビは一瞬、息を呑む。

つむぐの目は笑っているようで、底の方には計算された鋭さがあった。


「……あんまり言いふらさないでよ」

「分かってるって。俺の仕事柄、秘密は守るのが鉄則。

ただし――見返りがあるなら、もっと守るけどね?」


ミヤビは何も返さず、ただつむぐをじっと見つめた。

つむぐもしばらく何も言わずにこちらを見ていたが、ニヤッと笑って体勢を変えた。


「ま、今日は顔見せに来ただけ。晩餐、頑張れよ。あんたのこと、ちゃんと見てるから」


軽く指先で帽子を押さえ、彼は再び窓から身を翻し、闇に溶けるように消えていった。


胸に残ったのは、懐かしさだけではなかった。

妙な不安の入り混じった感情も、そこにあった。


ーーーー


王宮の大広間には、煌びやかな装飾と料理の香りが満ちていた。

長いテーブルの上には豪華な料理が並び、杯を持つ貴族たちの囁きが、まるで目に見えぬ糸のように絡み合っている。

ミヤビは末席に座り、隣にはかける、その向こうにはとうま。少し離れた斜め前にみちるがいて、その傍らには彼の部下としてりんたろうが控えていた。

かけるは料理には手をつけつつも、落ち着かない視線で周囲を観察している。


「……なあ、ミヤビ。なんか、俺ら見られすぎじゃないか?」


彼の声は低く抑えられていたが、緊張が滲んでいた。


「気にしないで。きっと珍しいだけ」


そう言うと、かけるは唇を結びつつも、皿の上の肉を切った。

すると、向かい側の貴族の一人が、あからさまに小声で笑い声を漏らす。

「異端の……」と聞こえた瞬間、ミヤビの隣で、とうまのワイングラスを置く音が、カツンと乾いた音を立てて響いた。


「……客人への侮辱は、この場の礼を欠く」


低く通る声に、空気が一瞬凍る。貴族たちは顔を見合わせ、視線を逸らした。

みちるがすかさず笑顔で空気をほぐす。


「さて、陛下。ミヤビちゃんは遠路はるばるここまで来てくれたんですもの、歓迎の杯を捧げましょう?」


場の注目がそちらへ向かい、ささやき声は潮のように引いていった。

ミヤビは内心で二人に感謝しつつ、さりげなくりんたろうの方へ視線を向ける。

背の高い彼は、無表情のまま控えの位置に立ち、静かに杯を手にしていた。

彼は聖教側のスパイだ。今はみちるも気づいていない。

ミヤビは一拍置いてから、まるで初対面のように声をかけた。


「……あ、さっきの。みちるさんの部下だよね?」


りんたろうの瞳がわずかに揺れた。


「はい。宮廷騎士団、賢者部隊所属、和泉倫太郎と申します」


感情の読めない声色。

だが、その一瞬の目の奥に『あなただと分かっている』という微かな熱が走った。


「よろしく」


ミヤビがそう言うと、彼はほんの少しだけ顎を引き、静かに頷いた。

みちるがその様子を横目で見て、にこやかに杯を傾ける。


「あの、さっきはごめんなさい」


りんたろうは変わらない表情を向けたが、意味を掴み損ねているような雰囲気を感じた。


「……さっき?」

「王との謁見前、かけるの監視を断ったこと。かけるが心配であなたの仕事を奪っちゃった」

「ああ」


短く言葉を切り、りんたろうは軽く目を伏せる。


「お気になさらないでください。かける様の身の上に起こったことを考えれば、当然のご判断かと」

「ありがとう」


そう言いながら、りんたろうは無表情のまま、ミヤビの手元に布ナプキンを直すふりをして、薄い封筒を滑り込ませた。


「……後ほどご確認を。あなたと……かける様のための情報です」


低い声が、さらに小さく続く。


「聖教が、まだ彼を狙っています」


言い終えると、りんたろうは何事もなかったかのように一歩下がり、再びみちるの背後に戻った。

その間、彼の顔には一切の感情が浮かんでいない。

だがミヤビは、その言葉の重みと、そこに込められた感情の温度を、はっきりと感じ取っていた。

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