1章-第2話
薄暗い森の道から抜け出ると、視界が開けた先に石畳の街道が続いていた。
道の先には、重厚な石造りの城壁に囲まれた、荘厳な都市が見える。王都だ。
その城門の前で、一人の人物が優雅な立ち姿で二人を待っていた。
顔の半分を覆うように深いフードを被っている。
しかし、そこから覗く端正な横顔と、繊細な金の刺繍が施された青いローブは、彼がただ者ではないことを物語っていた。
カラスがその人物の肩に止まると、フードの人物は顔をこちらに向けた。
顔にかかっていた陰が消え、美しい顔立ちが現れる。短く切り揃えられた髪に、柔和な微笑みを浮かべているが、その瞳はすべてを見通すかのように鋭かった。
「みやびちゃん。お久しぶりね。ちゃんと会いに来てくれて嬉しいわ」
艶のある低い声で、彼は言った。声の響きは男性的だが、その口調はどこか女性的で、優雅な仕草と相まって不思議な魅力を放っている。
彼こそが王宮筆頭賢者、みちるだった。
ミヤビの攻略対象であり、強い知識欲を持つ聡明な青年だった。
ミヤビは安堵と、少しの戸惑いを覚えながら、みちるに深々と頭を下げた。
「久しぶり、みちる。ご連絡、ありがとうございました」
「いいのよ、いいの。それより、そちらの方は?」
みちるの視線が、ミヤビの隣に立つかけるに向けられる。
かけるは警戒しながらも、冒険者としての礼儀を守り、軽く頭を下げた。
「ああ、彼は……」
ミヤビが説明しようとすると、みちるはふふ、と笑ってその言葉を遮った。
「知っているわ、もちろん。聖教に捕まっていた、かわいそうな冒険者さんでしょ? 随分とひどい目に遭ったそうじゃない。まあ、うちも聖教とは良い関係とは言えないから、気になってたのよね。連れてきてくれて嬉しいわ」
みちるは同情的な口調で語りながらも、その鋭い視線はかけるの全身を舐めるように見ていた。
そして、その紫に近い桃色の瞳が、彼の生き生きとした様子に微かな疑問の色を宿す。
「……でも、まあ、ずいぶん元気そうじゃない? 傷一つないみたいだし。ずいぶん回復が早かったのね。……まさか、みやびちゃんが何かしたのかしら?」
「え、いやぁ、その……」
ミヤビは言葉に詰まった。かけるの怪我が治った理由をどう説明すればいいのか迷う。
「みやびの……『魔法』のおかげです」
かけるが、少し照れくさそうに口を開いた。みちるはそれを聞いて、再びふふ、と笑う。
「まあ、そう。それは素晴らしいことだわ。でも、みやびちゃんの『魔法』は、そんなこともできたのね。……ふぅん」
みちるの言葉には、感心と同時に、何かを探るような響きが含まれていた。
ミヤビは言葉を濁しながらも、みちるの視線から逃れようとせず、まっすぐに見つめ返す。
「とにかく、中へどうぞ。陛下もお待ちかねよ」
みちるはそう言って、優雅に城門を指し示した。
王都の門番たちは、みちるの顔を見るやいなや、敬意を込めて門を開く。
三人は、王都の城壁をくぐり、その内部へと足を踏み入れた。
煌びやかな石畳の道には、活気に満ちた人々の声が響き、色とりどりの旗が風にはためいている。
道行く人々は、青いローブの賢者を見ては、敬意を込めて道を譲る。
「……すごいな」
かけるは、その華やかさに目を丸くした。
「ふふ、驚いたかしら。あなたのような冒険者さんにとっては、王都なんてめったに来る機会がないものね」
みちるは楽しげに話しかける。
「ま、でも、あなたたちにはこれからもっと驚くことが待っているわ。なんせ、ミヤビちゃんは『異端の魔女』として、私の同僚や信徒たちを跡形もなく消しちゃったんだから。……ね、ミヤビちゃん?」
みちるは意味深な笑みを浮かべ、ミヤビに視線を投げかける。
ミヤビは何も答えず、ただ静かにみちるの隣を歩く。
「……さて。どうするべきかしら」
みちるはふと、呟いた。
ミヤビとかけるは、顔を見合わせる。
「どう、とは?」
「あなたのことよ、かけるくん。ミヤビちゃんは陛下にお会いするとして、あなたをどうするか、ちょっと迷っているの」
みちるの言葉に、かけるの表情が固まる。
「……どうしたらいい」
「だから、いっそあなたをどこか安全な場所に隠そうかと」
みちるはにかっと笑った。
「賢者である私の館なら、どんなスパイだってそう簡単には入れないわ。ミヤビちゃん、預かってもいい?」
みちるはミヤビに問いかける。
ミヤビはかけるの顔を見た。かけるは不安そうな顔をしているが、ミヤビを守るためなら、一人でも賢者の館に残る覚悟を決めているようだった。
「……分かりました。お願いします」
ミヤビが頷くと、みちるは満足そうに頷いた。
「よし、じゃあ決まりね。私はミヤビちゃんと一緒に王宮へ、あなたは私の館へ行きなさい」
みちるはそう言うと、持っていた杖をくるりと回し、何もない空間から一人の男を呼び出した。
男はみちると同じ青いローブを纏い、顔には何も表情がない。
(あ、りんたろう……)
ミヤビはその人物に覚えがあった。
いずれは聖教側を裏切る立場にあるとはいえ、今はダメなんじゃなかろうか?
「この子が、あなたを私の館まで案内するわ。安心して、彼は私の忠実な部下だから、何も心配はいらないわ」
みちるは男を指差し、かけるに告げた。
かけるは男の無表情な顔を見て、少し戸惑っているようだった。
(あー……これどうしよう……)
ミヤビは思わず息をのんだ。りんたろうの存在は、この世界の物語にとって大きな鍵となる。彼を今かけると接触させてしまうのは危険だ。
かけるはまだ、聖教に対する恐怖心を拭いきれていない。もし過激になっている聖教が、りんたろうに何かしらの指示を出していたらすごく危ない。
「みちる、待って!」
ミヤビは思わず声を上げた。みちるは優雅な仕草で振り返り、ミヤビに視線を向ける。
「なあに? ミヤビちゃん?」
「その……彼を一人にするのは、まだちょっと……。ほら、色々と……あったから」
ミヤビはかけるの件を思い出しながら、必死に言葉を選んだ。
みちるはミヤビの表情をじっと見つめ、何かを察したように、ふぅ、と長い息を吐いた。
「あら、そう。まあ、仕方ないわね。じゃあ、彼も一緒に連れて行くことにしましょうか」
みちるはそう言うと、りんたろうに向かって手で合図を送った。
りんたろうは無言で、呼び出された空間の中へと消えていく。
「ごめんなさいね。急なことで、ちょっと色々と考えちゃって」
みちるはミヤビに優しく微笑みかける。
ミヤビは安堵の表情を浮かべながら、みちるに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。でも、彼には王宮の玉座の間には入れないわ。王の護衛兵が警戒してしまうもの。だから、待機所で待っていてもらいましょう」
みちるはそう言うと、再び二人の手を取り、王宮の奥へと歩き出した。
かけるは、ミヤビの隣で少し安心したような表情を浮かべている。
王宮の中は、外の華やかさとはまた違った、厳かな空気が漂っていた。
高い天井には、美しい装飾が施され、壁には歴代の王たちの肖像画が飾られている。
広い廊下を歩き、やがて三人は玉座の間にたどり着いた。
「じゃあ、かけるくんはここで待っててちょうだい。ミヤビちゃん、行きましょう」
みちるはかけるにそう言い残すと、ミヤビの手を引いて玉座の間へと入っていく。
玉座の間の中は、広々としていて、正面には豪華な玉座が鎮座していた。
玉座には、恰幅の良い、厳格な表情の国王が座っている。隣には凛とした表情の美しい女性が座っている。
「陛下、ミヤビ様をお連れいたしました」
みちるは国王に深々と頭を下げた。国王は鋭い視線をミヤビに向け、口を開く。
「花園雅よ、よくぞ参った。そなたが聖教の贄となった青年を救うために行った魔法について聞きたい。あれはなんだ? 聖教の神官も宮廷騎士も一瞬にして、跡形もなく消え去ったと聞いたぞ」
王の威厳に満ちた声が玉座の間に響き渡る。
ミヤビは背筋を伸ばし、国王の視線をまっすぐ受け止めた。その隣では、みちるが静かに微笑んでいる。
「はい、陛下。それは私の持つ、この世界を正しい姿に戻す『魔法』によるものです」
ミヤビは、淡々とした口調で答えた。国王は眉をひそめ、玉座で身を乗り出す。
「正しい姿に戻す、だと? 聞いたことがないな。どういうことか、詳しく説明してみよ」
「私が行ったのは、ただ『起こるはずのなかった出来事』を消し去るという、単純なことです。
具体的には聖教の神官がかけるに危害を加え、その命を奪うという出来事は、本来無かったのです」
ミヤビの言葉に、国王の表情が険しくなる。
「……危険な力だ。最初から存在しなかった、などと判断されれば、あのように全員消えてしまうのだろう。もしそなたが、我らの王国が『最初から無かった』と見なせば、どうなる?」
「そのようなことは、決してございません」
「本当か? 聖教はそなたを『魔女』と呼び、その力を危険視している。聖教の人間だけではなく、我が宮廷騎士までも消し去った。ミヤビ、そなたの真意はどこにある?」
国王は、じっとミヤビを見つめる。玉座の間の空気が張り詰め、重苦しい沈黙が流れた。
ミヤビは、覚悟を決めたように国王に語りかける。
「陛下、私はこの世界の作者です」
「作者……だと?」
「はい。ここは、私が元いた世界で書いた『迫害されてる魔女だけど、イケメンたちから溺愛されています』の世界です。
私はその小説の主人公の姿を借りて、この世界に転生しました。そして、かけるはこの主人公の恋人であり、大切な仲間です。彼を失うことなど、私には耐えられませんでした」
荒唐無稽と一蹴されてしまうだろうか。でもこれが真実なのだ。
玉座の間に、ざわめきが走った。
王の左右に控えていた近衛たちが、互いに小声で言葉を交わす。女王も一瞬目を見開き、ミヤビを凝視していた。
国王はしばらく沈黙を保ち、やがて深く息を吐くと、重々しく口を開いた。
「……奇妙な話だ。だが、そなたの声には虚飾がない。むしろ、虚構のような世界を知る者の目をしておる」
「陛下……」
「しかしだ。もしそなたの言が真であれば、この『小説』とやらには『結末』があるのだろう? そして、その結末が我らにとって幸福かどうか……誰も分からぬ」
ミヤビは口を開きかけ、そして辞めた。
(結末なんてない……ってのは言う必要ないか)
王の視線は冷たくも探るようで、ミヤビの胸を射抜く。
隣のみちるが、軽やかな笑みを浮かべて一歩進み出た。
「陛下、それこそが面白いではありませんか。未来が決まっているなら、それを変えることこそ、この『異端の魔女』の存在意義。
……それに、私が保証いたします。ミヤビちゃんは、王国の敵にはなりませんわ」
「ほう、賢者みちる。そなたがそこまで言うか」
「ええ。私の『眼』は真実を見抜きます。彼女がこの国を裏切る未来は、今のところ一つも視えません」
国王は腕を組み、長い沈黙を置いた。玉座の間の空気は張り詰めたまま、重く時が過ぎる。
やがて、王は決断を下すように頷いた。
「よかろう。ミヤビ、そなたを暫定的に客人として迎える。ただし――」
その声が低く、鋭く響く。
「この城においては、一挙手一投足を監視させてもらう。危険と判断すれば、即座に拘束する。それで構わぬな?」
「……はい」
ミヤビは迷わず頭を下げた。
王はそれを見届けると、隣に控える近衛騎士の一人に視線を向けた。
「宮廷騎士長、
呼ばれた男は、ゆっくりと前へ進み出る。
桃色の髪を後ろで束ね、切れ長の瞳には冷静さと剣のような鋭さが宿っていた。
甲冑の下から覗く立ち姿は隙がなく、まさに騎士そのものだ。
「この異端の魔女を、常に監視し、その動向を逐一報告せよ」
「御意」
とうまの声は低く、落ち着いていた。
しかし、その瞳が一瞬だけミヤビを見つめた時、どこか懐かしさにも似た揺らぎが宿った。
(……とうま……)
ミヤビは息を呑む。彼もまた、この世界の攻略対象の一人。小説では、冷徹な宮廷騎士として主人公を突き放すが、内心では誰よりも彼女を守ろうとする、不器用な優しさを持っていた人物だ。
王は続ける。
「とうま、そなたには彼女の護衛も兼ねさせる。危険が迫れば、命に代えても守れ」
「はっ」
短く答えると、とうまは無言でミヤビの前に立ち、軽く一礼した。
その所作はあくまで公務としてのものだが、ほんの僅かに視線の奥が柔らかくなったように感じられる。
みちるが、そのやり取りを面白そうに眺めながら口を挟む。
「ふふ、頼もしいじゃない。これなら私も安心してミヤビちゃんを預けられるわ。王命で護衛もつくんだし、これ以上の安全は無いものね」
そして、杖を軽く鳴らすと扉の向こうから足音が響き、かけるが再び近くに呼び入れられた。
「話は済んだわ。武田騎士長もついたことだし、あなたたち二人には、王命でしばらく王宮に滞在してもらうことになるわ」
みちるはにっこりと微笑んだ。
「護衛の手配もしやすいでしょう? ね、ミヤビちゃん」
みちるの瞳が、意味深に揺れた。
その言葉に、ミヤビは胸の奥がざわめくのを感じた。
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