2章-第1話

かけるに呼び出され、客間の扉を開けた瞬間、ミヤビは空気の重さを感じ取った。

かけるは窓辺に立ったまま、外を見ていたが、彼女の気配に気づくとすぐに振り返る。


「……戻ったか」


低く抑えた声。いつもの軽さはなく、目の奥には慎重な光が宿っていた。


「……何かあった?」


ミヤビが問いかけると、かけるは一歩近づき、小声で告げる。


「さっきな、廊下で使用人が世界日報の噂話をしてた。あの偽情報のことだ」


その言葉に、ミヤビはわずかに息をのむ。


「もう広まってるの……?」

「それだけじゃない」


かけるの視線が鋭くなる。


「その時、みちるの部下が通りかかった。無表情のまま、使用人に何か囁いて……そしたら、そいつらの顔色が変わって、足早にどっか行った」


ミヤビの心臓がひとつ、大きく跳ねた。


「……聞かれた?」

「いや、多分……あれは指示だ。何のかはわからねぇけど」


その言葉が部屋の中に沈黙を落とした。

外では昼の喧騒が続いているはずなのに、この部屋だけ音が遠くなったようだった。


(マズイな……)


部屋の空気が重く沈み込む中、ミヤビはかけるの言葉を聞きながら考えていた。

りんたろうがスパイだと露見すれば、宮廷での尋問や処罰は避けられない。


「……かける、そんなに深刻に考えないでほしい」


ミヤビはそっと声をかけ、彼の視線をじっと見つめた。


「りんたろうのことは、今はそっとしておこう。私たちがどうこうできる話じゃないと思うし」


かけるは一瞬、不満げな顔をしたが、すぐに小さく息を吐いた。


「……分かった。けど、どうすればいいんだ?」


ミヤビは柔らかく笑い、話題を変える。


「ねぇ、ちょっと気分転換に外に出てみない?

今日は城下町で小さなお祭りがあるって、みちるから聞いたの」


かけるは戸惑いながらも、その言葉にほんの少しだけ救われたような表情を見せた。


「祭り?」

「そう、お祭り。みちるから、一緒に行かないかって誘ってくれて……」

「お祭り、ねぇ……まぁ、息抜きも悪くねぇか」


かけるは少し肩の力を抜き、窓の外から視線を戻して軽く笑った。ミヤビの提案が、張り詰めていた部屋の空気をほんの少し和らげたようだった。


「じゃあ、決まり!」


ミヤビはパッと手を叩き、明るい声で続ける。


「みちるが待ってるはずだから、早く準備して! かける、だらしない格好で行ったらみちるに叱られるよ」

「はっ、アイツに叱られる筋合いねぇよ」


かけるは口ではそう言いながらも、部屋の隅に放り投げてあった上着を手に取り、さっと羽織った。

ミヤビはそんな彼の様子を見て小さく笑い、扉の方へ軽やかな足取りで向かう。


ーーーー


城下町へ続く石畳の道は、昼下がりの陽光に照らされてキラキラと輝いていた。

通りにはすでに祭りの準備が進み、色とりどりの提灯が軒先に吊るされ、屋台から漂う甘い匂いが風に乗って漂ってくる。

ミヤビとかけるが広場に着くと、ひときわ目立つ派手な着物姿の人物が手を振っていた。


「ほんと遅いんだから! みやびちゃん、かけるくん、待たせすぎよ!」


みちるは扇子をパタパタと振って、わざとらしく頬を膨らませる。彼女の着物は華やかな紅色に金の花模様が散りばめられ、まるで祭りの主役のような存在感を放っていた。


「みちる、随分派手だな? 目立ってしょうがねぇ」


かけるが苦笑しながら言うと、みちるはくるりと扇子を閉じ、彼を指さしてウインクする。


「ふふん、隠れてコソコソするなんて性にあわないわ。それにね、今日は特別な日なんだから、地味な格好なんてダメよ〜!」


その隣で、明らかに場違いな雰囲気を漂わせている人物がいた。とうまだ。

彼は渋い顔で、みちるに無理やり着せられたらしい深緑の着物姿で立っていた。

普段はピカピカの鎧に身を包む真面目な騎士の姿はそこになく、どこか居心地悪そうに立っていた。


「とうま、似合ってるね」


ミヤビがにこっと笑って声をかけると、とうまは顔を赤らめて咳払いをする。


「こんな格好で祭りに参加するなど……騎士としての務めにふさわしくない。みちるさん、俺は監視役なんだから鎧で良かったでしょう?」

「ダメよ〜、とうまちゃんったら堅いんだから」


みちるは大げさにため息をつき、扇子で軽くとうまの肩を叩く。


「鎧なんて重苦しくて、祭りの雰囲気ぶち壊しじゃない! ほら、みてみて! みやびちゃんもかけるくんも、ちゃんと祭り仕様の軽い装いじゃないの。あなたも楽しむ気満々でいればいいじゃない」

「楽しむ……?」


とうまは眉をひそめ、腕を組んで考え込む。


「祭りは民の安寧を確認する場でもある。警護の任を忘れるわけにはいきません」

「はいはい、とうまちゃんのその真面目さ、嫌いじゃないわよ。でもね、今日は私たちと一緒に楽しむのが任務! ほら、屋台で何か美味しいもの食べましょ!」


みちるはそう言って、とうまの腕をぐいっと引っ張り、屋台の並ぶ通りへと進む。


「急に引っ張らないでくださいよ!」


とうまが慌てて抗議するも、みちるの勢いに引きずられるように歩き出す。

ミヤビとかけるはそんな二人を見てクスクス笑いながら後を追った。


広場の中心では、太鼓の音が響き、子供たちが提灯を手に走り回っている。

屋台の焼きそばやリンゴ飴の香りが辺りに漂い、どこからか笛の音が聞こえてくる。

ミヤビは屋台の一つで綿菓子を手にし、ふわっとしたピンクの雲のようなそれを嬉しそうに見つめた。


「ねぇ、かける、これ食べてみて! 口の中で溶けるの、楽しいよ!」


ミヤビが綿菓子をちぎってかけるに差し出すと、彼は少し照れくさそうに受け取る。


「なんだよ、これ、子供の食いもんだろ……」


そう言いながらも、かけるは一口食べて、意外と悪くない、といった顔で頷いた。


「ふふ、かけるくんったら素直じゃないんだから。美味しいって顔に書いてあるわよ」


みちるが遠くからからかうように言うと、かけるは「うるせぇ!」と軽く睨み返す。

その横で、とうまは屋台の店主から手渡されたたこ焼きをじっと見つめていた。

串に刺さった熱々のたこ焼きをどうやって食べればいいのか、まるで戦術を考えるように真剣な表情だ。


「とうま、冷める前に食べなよ! こうやって、ふぅふぅして……ほら!」


ミヤビが自分のたこ焼きを口に運ぶ仕草を見せると、とうまは渋々真似をする。

だが、熱さに驚いたのか、慌てて口を押さえてむせる姿に、みちるが大笑いした。


「あらあら、そんな初々しい反応、騎士の訓練じゃ習わないでしょ?」

「からかわないでください! これは……その、慣れていないだけです!」


とうまは顔を真っ赤にして言い返す。

みちるがさらに扇子を振って楽しそうに笑う。


「ねぇ、みやびちゃん、かけるくん! あっちで輪投げやってるわよ」


みちるの提案に、ミヤビが目を輝かせて頷く。


「いいね! かけるもやろうよ! 負けた人はみちるの言うこと聞くってルールで!」

「はぁ? なんで俺がそんなルールに……まぁ、いいぜ。負ける気はねぇけどな!」


かけるがニヤリと笑い、輪投げの屋台に向かって歩き出す。

とうまは「ふ、騎士の名にかけて負けるわけにはいかん!」と気合を入れ、みちるは「ふふん、みんな本気ねぇ! アタシ、審判やるわ!」と楽しげに扇子を振りながらついていく。


広場は笑い声と音楽で満たされ、ここに来る前の重い空気はすっかり忘れ去られたようだった。

ミヤビは仲間たちの楽しそうな姿を見ながら、そっと胸を撫で下ろした。


(この時間が、ずっと続けばいいのに……)


そうミヤビは静かに願った。

祭りの喧騒の中、ミヤビたちの笑い声が響き合い、日が傾いていった。

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