第4話「学校での出来事」

その日の夕食は、普段より少しだけ静かだった。


沙優は、いつもなら今日学校で起きた面白い出来事を話してくれるのに、今日は黙々と味噌汁をすすっている。吉田はそんな沙優の様子に、何か違和感を覚えた。


「……どうかしたか?味噌汁、美味くないか?」


「いえ、美味しいです!すごく美味しいです!」


沙優は、慌ててそう答える。だが、その声はいつもの弾けるような明るさではなく、どこか無理をしているように聞こえた。


(……おかしいな)


吉田の頭の中で、推理モードが発動する。


(味噌汁はいつも通りだ。味が薄いとか、濃いとか、そういうんじゃない。じゃあ、原因は他にある。朝は元気だった。ということは、学校で何かあったのか?クラスの誰かと喧嘩した?いや、沙優はそういうタイプじゃない。誰かに意地悪された?それも考えにくい。じゃあ、何だ?もしかして、学校で好きな人ができたとか……!?)


吉田の思考が、無駄な方向に暴走を始める。好きな人。もしかして、沙優は今、誰かのことを考えているのだろうか。俺が知らない、別の男のことを。もしそうだったら……いや、待て待て。そんなのは勝手な妄想だ。そうに決まってる。だが、もし本当だったら?その男が沙優に告白して、沙優が「吉田さんとの生活が……」って悩んでたらどうしよう。


「……吉田さん?味噌汁、冷めちゃいますよ?」


「ああ、悪い」


沙優の声に、吉田は現実へと引き戻される。味噌汁を一口すすると、いつもの優しい味がした。


「あのね、吉田さん」


沙優が、少しだけ声を落として話しかける。


「私、学校で、みんなと仲良くしてるんですよ」


「ああ、知ってるよ。沙優は人当たりがいいからな」


「そう、人当たり……。みんなに嫌われないように、笑顔でいるようにしてるんです。クラスのムードメーカーになれるように、頑張ってて」


沙優は、ぽつりぽつりと話す。その言葉には、少しだけ疲労の色が滲んでいる。


「でも、なんか……疲れちゃった、かなって」


「……そうか」


吉田は、特に何かを言うわけでもなく、ただ沙優の言葉に耳を傾けていた。学校という、特殊なコミュニティの中で、沙優は自分の居場所を守るために、必死に頑張っていたのだ。


「誰にでも優しくして、誰にでも笑顔で……。でも、なんか、本当の自分じゃない気がして」


沙優は、そう言って俯いてしまう。その肩が、少しだけ震えているように見えた。


「……大変だな」


吉田は、そう呟くと、席を立った。沙優は驚いたように顔を上げる。


「え、吉田さん……?」


吉田は、何も言わずに電気ポットを手に取り、沙優のマグカップに熱いお茶を淹れた。


「……無理しなくていいんだぞ」


そう言って、吉田はマグカップを沙優の前に置いた。沙優は、その言葉の意味を理解しようとするように、吉田の顔を見つめる。


「誰にでも好かれようなんて、思う必要はない。俺は、お前が疲れてるなら、無理して笑わなくてもいいと思ってる。ここでくらい、本当の自分でいていいんだからな」


吉田の何気ない一言が、沙優の心に深く響く。


「……はい」


沙優は、そう言うと、吉田の淹れてくれた熱いお茶を両手で包み込むようにして飲んだ。湯気で少しだけ潤んだ瞳が、吉田の目に映る。


無理に明るく振る舞う必要のないこの場所。気を遣うことなく、ただありのままの自分でいられるこの家。沙優は、吉田の淹れてくれたお茶の温かさを感じながら、この場所の安堵感を噛み締め、少しだけ微笑んだ。


静かだった夕食の時間が、ゆっくりと穏やかな空気に満ちていく。吉田は、沙優がまた、一つ強くなったことを感じていた。

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