第19話 天狗の子

 ぶるりと寒さに身を震わせた。

 いつの間にか布団も掛けずに寝ていたりん。


 ぼうっと起き上がると微かに、月の光が差し込んでいた。


 淡い光に手をかざし、ほうっとため息を吐く。部屋の中はめちゃくちゃに物が乱れ落ちていた。


「夢じゃ無かったのね」


 夢なら良かったのに……と思い気づく。

 頬を伝い落ちる涙。無意識に泣いていた。


 父さん、ごめんね。

 私を命懸けで守ってくれたのに、忘れていたなんて、酷い娘だよね。


 申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 でも……なんで覚えていなかったんだろう。


 幼い頃のりんは綺麗な着物を着ていたようだ。父親は刀を振るっていた。


 父さんはお侍さんだったの!?


 にわかには信じられなかった。


 どういうことかしら。

 母さんの話では下総で蒔絵師をしていたはず。そう言えば、父さんが作ってくれたって嬉しそうに見せてくれた綺麗な印籠があったわ。


 確かこの辺りに入れていたと思うんだけど。


 鏡台の引き出しを開けてみた。

 黒地に南天の実と葉が描かれた美しい印籠だが、金箔も少なく市井でよく売られているものと変わりなかった。

 入れ子形式で五段。中には布端に包まれた咳止めが残っていただけ。

 

 武士の身分と結び付くような高価な品では無いわね。


 中を覗き込んで気付いた。

 段の底のところに薄っすらと、金字の文字が書かれていた。


 たまたまかしら?

 それとも五段全部に書かれているのかな。


 月明かりの中、確認してみる。


『 清 倫 葵 女 光 』


 何だろう? 一段に一文字ずつ。

 でも、並べて見ても意味がわからないわ。


 諦めて薬を戻し組み立て直した。

 ふと、床に転がる玉簪を見つけて拾い上げた。


 この簪が私を助けてくれたんだわ。


 今でも、思い出すだけで身体が震える。

 血走った巨大な目。血だらけで戦う父親の姿。


 でも、風が護ってくれて、簪が焼き尽くしてくれた―――


 不思議な力を持った紅島瑪瑙の玉簪。

 壊れなくて良かった……


 端切れで丁寧に拭き清める。

 

 でもこれ、誰に貰ったんだっけ?



『じゃあ、花冠作るか、りん』


 突然、頭の中に男子おのこの声が響いてきた。よく通る澄んだ声。

 聞くだけで嬉しくてわくわくして、温かくて懐かしい気持ちになった。


 彼の名前は……


『銀星、綺麗なお花畑に連れてきてくれてありがとう』


 銀星!


 初めて聞いた時、綺麗でかっこいい響きだなと思ったことも思い出した。 

 

 一面の桃色。桜草が風に揺れている。

 その間を、りんは銀星と手を繋いで歩いていた。

 彼の真っ黒い服は見慣れた着物とちょっと形が違っていて、足元には高下駄、背には小さな黒い翼があった。頭の上には、先ほど外した鳥の嘴のような被り物。


 変わってる子だなと思ったけれど、陽の光を映してきらきらと輝く金の瞳に魅せられた。


 優しい声も、手の温もりも……


 大好きなお兄さんだったのに、どうして忘れていたんだろう。

 それに、あの花畑はどこ?


 一つだけ気づいたことがある。


 多分、銀星は天狗の子だったんだわ!


 と言うことは、どこか山の中で……幼い私は、その近くに住んでいたはず。

 父さんと母さんと一緒に。


 一体、父さんが亡くなった場所はどこなの?


 全てを思い出せなくてもやもやする。


 ぎゅっと紅島瑪瑙の玉簪を抱きしめた。


 おりん―――


 今度は包み込むような柔らかな男の声。


 胸が、肌が、身体の奥底が甘く疼いた。


 ……誰?


 その顔は靄の向こう。


 もう少し……


 必死で手を伸ばすも、きーんと耳障りな音に阻まれてしまった。



 その時、とんとんと控えめに木戸を叩く音がした。

 びくりとして震え出すりん。先程の恐怖が蘇る。


 今度は何!?


 とんとん とんとん


「お休みのところ申し訳ございません。おりん様」


 静かな男の声。


 おりん様?


 父親を思い出し不思議な気持ちになった。


 私、自分のことがわからなくなっちゃった……


 それはとても心細くて心許なくて、己の身体をぎゅっと抱きしめる。


「私は天狗の里から参りました白露と申します。大変不躾なお願いにあがりました。おりん様のお力で、ある御方おかたを救っていただきたいのです」


 天狗の里……もしかしてお兄さんの里から!?


 図ったような来訪にただならぬ事態を察すると共に、運命的なものも感じた。


 木戸の向こうでは数人の足音がずざっと平伏す気配がした。異様な雰囲気に気圧されながらも、りんは健気に尋ねる。


「助けがいる方のお名前は、もしかしてして銀」

「はいっ、銀星様です」


 こころなしか喜びが混じる声は、おりんの中の義侠心を揺さぶった。


 きっとこの先に、私の知りたい答えもあるはず―――


 紅島瑪瑙の玉簪を胸元で握りしめながら答えた。


「しばしお待ちください。支度をしますので」

「ありがとうございます」


 頭を擦りつけるほどの謝意がひしひしと伝わってきて、りんを奮い立たせた。



 身支度を整え意を決して扉を開けた。

 

 辺りはまだ真っ暗な寅の刻(現在の午前三時から五時の間)。

 ぽうと灯る提灯に浮かび上がったのは黒い姿の男たち。さっと道を開け輿へと導いた。


「おりん様、白露でございます。我々の願いを聞き届けてくださりありがとうございます」


 そう言って輿の前に跪く。


 銀星さんの仲間だわ!


 確信を得て少しだけ警戒を解いた。

 びゅうと駆け抜けた寒風を遮るように、白露が素早く壁を作ってくれた。


「ありがとう」

「少し揺れるかもしれませんが、決して振り落とすことはありませんので安心していてください」



 白露の言葉とは違い、輿は滑るように走り抜けた。そのうち足音が消え風音が激しくなる。身体がふわりとして腹の底できゅっと押さえた。


 何だろう? このふわふわした感じは。


 気になってつい、物見ものみの隙間から外を覗き見た。


 雲が近い……えっ!? 

 空を飛んでる。


 ひゅうひゅうと風が鳴る目の前には、白く棚引く雲、月明かりに照らされて輿の内側がきらりと光った。蒔絵や金工が施された豪華な乗物だと気付く。


 綺麗……まるで御殿にいるみたい。

 銀星さんって、天狗の里で大切にされているのね。


 幼い日に手を引いてくれた銀星の横顔が蘇る。


 不思議。なんか私、うきうきしてる。

 ほんのり熱持つ頬に手を添えた。



 バリッ バキバキバキッ

 ビリビリッ ビビビーー


 突然切り裂くような轟音と激しい光の点滅が夜空を駆け抜けた。


「雷!」


 輿の中で縮み上がったりんに、白露が落ち着いた声で教えてくれた。


「ご心配なく。これは我らが頭領、雷傅様の力。我々に当たることはありませんので」


 天狗の頭領って、雷を操れるの!

 凄いっ。


 震えながらも安堵した。


 一方の白露達。

 りんには悟られぬよう表には出さなかったが、内心危機感を覚えていた。


 雷傅様、結界の修復より先に襲撃を受けていらっしゃるようだ。

 早く帰還して応援に駆けつけねば……

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る