天狗の初恋

涼月

第1話 約束

 夕風に紛れて、か細い幼子の泣き声がした。


 ふぇ〜ん ふぇ〜ん ぐすん


 銀星ぎんせいはさっと向きを変えると、杉枝を蹴り上げ飛び移り、声の主へと近づいていく。


 この辺りか?


 葉陰から見下ろせば、赤い着物のまん丸い背が見えた。


 やはり……幼子が一人。

 迷い子か? それとも捨て子か?


 それにしても、泣き虫だな。


 ふと、面倒くさくなって、このまま帰ってしまおうかと思案する。


 捨て子に関わるのはごめん被る。

 

 あー、でも、迷子だと後で面倒だな。

 探し人がうようよ訪れて、山が穢れてしまいかねない。


 覚悟を決めふうっと息を吐くと、静かに幼女の横に降り立った。


「お前、ここで何をしているんだ?」


 銀星の思い描く、なるべく優しい声で尋ねたつもりだった。


「!?」


 ぬばたまの瞳が大きく見開かれ、ほんの一時泣き声が止んだ、が次の瞬間。


「きゃーーー!?」


 叫んで後ろにひっくり返ってしまった。慌てて呼びかけるも、ぎゅっと閉じた目は開かない。


 くそっ……やっぱり面倒な事になった。

 おろおろあたふたと幼子の周りを歩き回る。


 どうしようか。


 すると、気を失ったはずの幼女が、目を擦りながら起き上がった。


 早いっ。まだ、何にも決めてないのに。


 それにしても……


 鳥の嘴に黒い翼。高下駄を履いた大男の俺を見て、こんなに早く回復するはずがない。


 そう疑問に思った時、己の身体の違和感に気づいた。


 あれ? 手が小さい。

 背も腕も足も、細くて小さくて子どものようだぞ!


 ああ、だから、こいつも直ぐに気がついたのか。


 カチリと―――視線が重なった。


 幼女の無垢な瞳と真正面から向き合いながら、この状況、以前にもあったぞと記憶を手繰り寄せる。


「ねぇ、お名前なんて言うの?」

「俺の名前は銀星。ここ神山に住む、天狗一族の末裔さ」

「天狗さん! かっこいいっ」


 不安と恐怖の瞳が、安堵と好奇心に色づけば、ぱあっと輝く笑顔が花開いた。


 ドキン!


 幼い頃の銀星に芽生えた甘酸っぱい想い。


 照れ隠しに、思わず幼女の頬を突いた。


「そういうお前はふにふにの餅みたいだなっ」


 想像以上に柔らかい指の感触と、ふわりと香る甘い匂い……銀星の心臓は更に大きな音を立て始める。


「お、送っていってやるよ、家まで」 

「ほんとう! 銀星はあたしのお家がわかるの?」

「いや、わかんねぇけど、名前聞いたら、もしかしたら分かるかもしれないし、分からねぇかもしれねぇし……」


「じゃぁ、あたしが名前を教えたら、銀星はまた明日もあたしと遊んでくれる?」

「明日も……会える……こほん。ああ、いいぞ。遊んでやるよ」

「わーい! 約束だよっ」

「お、おう」


 突然、彼女の細い指先が銀星の小指に絡められた。思わず、ビクリと体が跳ねる。


 なっ、いきなり!


 そんな銀星の様子に頓着無く、楽しげに歌い出す娘。


「指切りげんまん嘘ついたら……こちょこちょしちゃうよ」

「な、なんだそれ」

「えへへ〜、だって、痛いの嫌だもん」

「……まあ、そうだな。で、お前の名前は?」

「うん、あのね、あたしの名前はねっ」


 その時、バサバサと大きな羽音が入り乱れ、銀星と幼女の間に割り込んで来た。

 物凄い力で肩を押さえつけられ、ぐわっと見開いた父親の赤い目が近づいて来て、逸らすこともできない。


 そのまま記憶を失った。

 多分、あの子も。


 名前……知りたかったな。


 そう思ったところで覚醒。



 ああ、またこの夢か……


 幼い頃から幾度となく繰り返し見ている夢。


 どこまでが事実で、どこからが幻想なのか。今の銀星には分からない。

 それでも、何の意味もなく何度も見るはずは無い。


 きっと、俺は思い出しかけているんだ。

 本当は忘れたくなかった、大切な記憶を。


 橙に染まる明け方の空気を思い切り吸い込むと、つるりと端正な顔を一撫で。そのまま顎を支えて胡座をかくと物思いにふけりだした。


 引き締まった体躯に浅黒い肌。

 変身術も武術も、鍛錬を怠ってはいない。

 毎日毎夜、山の中を駆け巡り怪異に備えているのは、次期天狗一族頭領の責務。


 わかってはいるけれど、諦めきれない想いが燻っている。



 だから、絶対に思い出したい。


 遅くなっちまったけど……約束を果たしてぇからな。


 彼女は今、何してるだろうか―――


 想うだけで胸が熱くなる。


 頭じゃ忘れていても、身体には刻まれているってぇことか。


 悩ましげな吐息を一つ。

 切れ長な金の目元に紅が差す。

 

 彼の女の元へ届けと願いつつ……視線を空へ投げた。


 


 

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