第15話
ヤノシュの家に戻るとすぐに空いている部屋を借りたヴィヴィはそこに閉じこもった。扉が閉められる直前に見えた横顔はどこか青ざめていて、不安になったルカが呼び止めるも、「平気だ」と返ってくる。その場にいたヤノシュとグンタも心配そうに顔を見合わせていた。
その後、ルカはノーラの眠る部屋に立ち寄ってジュラと話をした。
妹がどんな性格でどんなに可愛いのかを教えてくれる。それを頷きながら聞いているうちに、メルが恋しくなる。ルカがメルを大事に想うように、ジュラもノーラがかけがえのない存在なのだ。
話を終えた最後に、明日にはノーラは治る、と確証がない言葉を送った。だが、ヴィヴィを信じるその気持ちが声となって伝わり、ジュラは笑顔を見せた。
それから、ルカも借りた個室のベッドに倒れ込んだ。
しばらくあれこれと考えているうちに、ヴィヴィの様子が気になって仕方がなくなってくる。部屋に行こうかとも思ったが、おそらく彼女は望んでいないだろう。弱っている姿を見られたくないはずだ。
そうやってどうしようもなく悶々としていると、夜は更けていつの間にか眠っていた。
日の出間近の薄明かるさを感じてルカが目を覚ます。
「朝か……」
ベッドから起き上がってベルトを巻き、軽く伸びをした。
「よし」
自らに気合いを入れて部屋の扉から廊下に出る。
ヴィヴィの所へ行こう。そう決意したルカは、弱った相棒がいる部屋へと向かう。
まだこの家の主であるヤノシュは眠っているはずだ。できるだけ足音を立てないように歩いていたのだが、
「――うおっ!」
曲がり角で誰かとぶつかりそうになり声を上げてしまった。慌てて口を押さえて何故か身も縮ませる。
「どうしたんだい。幽霊でもいたのか」
そんなルカの様子を見て、麗しい女性は微笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
ルカはそれに返答せずに黙っていた。ヤノシュが起きて来ないことがわかるとホッとする。
早まる鼓動を抑えながら目の前の女性にじろりと視線を向ける。
「ヴィヴィ……、朝から驚かすな……」
「キミが勝手に驚いただけだろ。何か悪さでもしようとしていたのかい?」
ドキッと心臓が跳ねた。
『いや、別に悪いことはしようとしていたわけじゃない。お前の様子を見に行こうとしていただけだ』という言葉を出すのも負けた気がするので、ルカは反論せずに目を逸らした。
「ふーん」
少年の反応に、ヴィヴィはすべてを見通しているかのように鼻を鳴らす。その視線にルカは居心地が悪くなり、今度は話を逸らそうと試みる。
「そんなことよりお前、体調が悪かったんじゃないのか?」
「おや、心配していてくれたのかい? 可愛いところもあるんだね」
「なっ――! そんなことある――」
大声を張り上げそうになったところを、ヴィヴィの白い手がルカの口をそっと塞いだ。
「声が大きい。ヤノシュが起きるよ」
目を見開いている少年から手が離れると、その顔が少しずつ赤みが帯びていく。
「お、お前のせいだろ……」
先ほどの勢いはすっかりと無くなり、ルカはそっぽを向いて小声で非難した。
「まあ、からかい過ぎた。すまないね」
それにひらひらと手を振りながら謝罪すると、ヴィヴィはそばにあった地下へと続く階段を降りていく。その先はノーラが眠っている部屋がある場所だ。慌ててその背中を追ってルカも階段を降りる。
「ノーラの治療をするのか?」
「ああ、もう道具は揃ったからね」
「でも、ヤノシュさんの許可は……」
「許可なんて後から取れば良いさ。それに、キミみたいに悪さをするわけじゃないんだから堂々とすれば良い」
「だからそれは――」
また大声が出そうになったので、自分で自分の口を押さえて難を逃れた。
そんな相棒の様子にほくそ笑みながら、ヴィヴィはノーラがいる部屋の扉に手を掛ける。すっかりやり込められたルカには、それを止めることはできなかった。
部屋に入ると、昨日と変わらず静かな空間に数々なきのこが並んでいる。
ルカが仕切られているカーテンを少し開いてノーラの様子を確認する。こちらも同じく静かに眠っているようだ。
そうしている間にも机の前に立つヴィヴィは、ガチャガチャと多種多様な器具を取り出して並べていく。
「なあ、本当にヤノシュさんに言わなくて良いのか……?」
「寝ているのに無理に起こすほどでもないだろう。キミは本当に心配性だなあ」
不安げな表情をしているルカとは対照的に、ヴィヴィはいつも通り平然としていた。
そして、透明なパックに細長いチューブが装着された器具と、チューブの先に針が付いた器具を手馴れた様子で接続する。取り付けられている調整具をいじってからルカに差し出した。
「悪いが持っていてくれ」
「あ、ああ」
パックと針を手渡し、今度は綿にアルコールを染み込ませて自身の腕を拭いた。ここまで来るとルカにも彼女が何をしようとしているのか察しがつく。
「血を抜くのか?」
「そうさ」
「どうして?」
「見てればわかるよ」
短い会話が交わされたが少年の疑問は解決されなかった。
「ん」
最小限の言葉とともに出された手のひらに、ルカは黙ったまま針先の向きに注意しながら渡されたものを返す。とても口を挟める空気ではないし、言っても意味がない。と、理解していた。
針を保護していたキャップが外される。細い針が先端からゆっくりと白い柔肌に深く沈んでいく。
完全に刺し込まれると、ヴィヴィは綿を取ってその上を押さえた。
「その二つの調整具を少しずつ回してくれ」
指示された通り、先ほど彼女がいじっていた調整具を指で摘まんで慎重に回す。すると、鮮血がチューブを流れ始めた。それが徐々にパックへと溜まっていく。
そして、ある程度溜まったところでまたルカに指示を出して、血が流れるのを止めてもらった。
針を抜くとヴィヴィはすぐにパックも受け取って、今度は注射器を手に取る。その針をパックの差込口に刺し、血液を吸引し容器に移していく。容量一杯近く採れたら、さらに試験管へと血液を移し変えた。次に栓をして上下を反転させる。それにより中の血液が混ぜられると、ぶつけないよう気をつけながら試験管立てに置いた。
「これでしばらく置いておく。さて、話でもするかい?」
近くにあった丸い椅子に座り、足を組んでから相棒に投げ掛ける。目の前で起こったことにどういう顔をすれば良いのかわからず、ルカも椅子に座ってわずかに頷いて見せた。
「まあ、キミの訊きたいこともわかる。昨日も言ったが、ボクもどうしてか訊きたいほどだ」
人差し指をくるくると回しながら、自分自身のことだというのに覚えがないと言う。
「記憶がないことに怖さはないのか……?」
「怖さか……、ないね。今のボクに満足しているから」
容姿端麗で身のこなしも軽やか。常識がないのは本当に玉に瑕だと言えるが、出会った頃と比べると少しはマシになっている……、はず、とルカは感じていた。
だが、ヴィヴィが満足しているのはそんなところではないだろう。
自由気ままに縛られることなく生きている。それに、冷淡に見えて意外と他者を慈しむ心も持っている。メルに対する接し方が良い例だ。
彼女が言いたいのはそういうことだろう、と思っていると、
「それに、キミと一緒にいれて楽しいからね。不満なんてあるわけない」
「ぶっ――!」
表情を変えることなくそんなことを言われ、ルカは思わず吹き出してしまう。
「げほっ、げほっ……、この……、またからかいやがって……」
「いや、本心だ」
「ぐっ……」
彼女の性格でそう言うのだからそうなのだろう。だが、ケレットの町の人々からもらった好意とはまた違う好意に、初心な少年はどう反応したら良いのかわからなかった。
そんなルカにできるのはただひとつ。
「やっぱりヤノシュさん呼んで来るよ。い、良いだろ?」
「ふむ、そうだね。お願いするよ」
話題を逸らしたルカは、立ち上がって少しギクシャクとしながら部屋を出て行った。
ヴィヴィはその変わった動きをする背中を見つめていた。
「やはりよくわからないな」
そう呟くと体をくるりと反転させ、机に肘をついて自身の血が入った試験管を眺めた。
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