第14話
ヤノシュの家を出ると、黒に染まっていた森に茜色が掛かっていた。ルトゥタイの影から外れたようだ。
多少明るくなったとはいえ、直に夜になる。多くの荷物を持っているルカに代わってヴィヴィが火のついた松明を手に、グンタに教えてもらった場所を目指す。
と、言っても集落の近くなので、夜になる前には到着することができた。
小さくはないが決して大きくはない泉を目の前に、ヴィヴィは辺りを見渡す。
「あそこに岩山があるね。行こう」
さっさと歩き出す彼女の後ろを、ルカは何も言わずについて行く。これまで散々振り回されてきたので、今更どうと言うことはない。それに、今回はノーラを救いたいという気持ちが伝わってきている。素直に従わざるを得ないということだ。
泉をぐるっと回って、ルカたちの背丈より少し高い切り立った岩山の前に立つ。松明の灯りを近づけると岩肌が鈍く光を反射していた。
そして、その岩の壁からにょきりと黒っぽいきのこがいくつも生えている。
「やはりここか。ルカ、この中から赤錆色のきのこを探してくれ」
「わかった」
承知したルカはリュックなどの荷物を地面に下ろし、さほど大きくないきのこたちを目を凝らし順番に見ていく。手分けするようにヴィヴィも反対側から探し始めた。
それからしばらくして、また暗闇に戻った森に声が上がる。
「あった! おい、あったぞ!」
置かれていたツルハシを手にして声がした方へヴィヴィが行くと、一つのきのこを指差すルカの姿があった。その先に目を向けると確かに赤錆色のきのこが生えている。
「よし、じゃあ採ってくれ」
「……わかったよ」
特に褒められること無く次の指示を出されて少し不満はあったが、ルカは言われた通りにきのこの軸を掴んだ。
「な、なんだこれ……! めちゃくちゃ硬い……、引っ張っても抜けないし……!」
足を岩壁に置いて力任せに抜こうとする姿に、ヴィヴィは呆れたように言う。
「やれやれ、なんのためにツルハシを持ってきたと思っているんだい。ほら、途中で折れても良いから」
「…………」
ツルハシを受け取ったルカは一段と不満そうな顔をした。防護マスク越しから見える目元だけでもそう判断できるほどだ。
カーン、カーン、と高い音が静寂な森に響き渡る。
そして、最後の一撃を振り下ろした。的確な箇所を叩かれ、きのこは軸の根元からポッキリと折れる。
「よし、じゃあそれを茹でてくれ」
「はあ? どうして?」
「食べるからに決まっているだろ。そいつは茹でると柔らかくなるんだ」
当たり前のように指示されているが、とても納得できるものでは無く、ルカは混乱する。
「ちょ、ちょっと待てよ! これでノーラを助けるんじゃなかったのか?」
「そうさ、助けるために必要なんだ」
「どういうことだよ……」
このきのこを何らかの方法で薬にし、それをノーラに使用するとばかりと思っていた。だが、彼女は採れたてで金属のように硬いきのこを食べると言い出したのだ。理解できなくて当然と言えよう。
しかし、ここまで付き合ったのだから最後までヴィヴィの言う通りにしようと、リュックの中から鍋や火をつけるための道具を取り出した。
ぐつぐつと煮え始めた湯の中に、石よりも硬いきのこを入れる。ゴトッと底に沈んで小さな泡を纏い始めた。
ルカは地面に腰を下ろすと、対面で片膝を立てて座っているヴィヴィに訊ねる。
「なあ、なんでノーラの治療方法がわかったんだ? このきのこも当然のように知っているみたいだったし。記憶がなかったんじゃないのか?」
だが、返答は無い。彼女は鍋を温める火を見つめていた。
しばし薪が燃える音だけが二人の間で鳴る。
ルカも深く追求する気は無く、彼女と同じように揺らめく火をゴーグルに映していた。
ふと、ヴィヴィが顔を上げる。
「記憶がないのは本当さ。だが、この辺りのことは何故か知っているようでね。あの子の症状やきのこも、体が覚えているような感じだ」
「そうか……。まあ、ここに居たとしたらヤノシュさんが覚えているだろうし……」
ルカが、うーん、と唸る。
嘘をつくような人間ではないので、信じるしかない。まだノーラが完治するかわからないが、自信に満ちているヴィヴィを見ていると本当に治療できると思ってしまう。まあ、自信満々なのはいつものことでもあるが。
そんなことを考えていると、ヴィヴィが「ところで」と口を開く。
「キミ、ノーラの体を見て顔を背けていたけど苦手なのかい? そういうものには慣れていると思っていたから意外だったよ」
「ああ、それは……」
今度はルカが口をつぐむ。
ヴィヴィは答えを急かさず、火の大きさを調整するために薪を入れた。湯の中に沈むきのこはまだまだ硬そうだ。
パチッと弾けた音が響き、意を決したように、ルカはぽつりぽつりと語り始める。
「俺、こことは違う地域だけど、ルトゥタイのそばにある森の中の町で生まれたんだ。ある日、誰かがきのこの胞子に侵されてしまった。だけど自覚症状が無くて普通に生活していたんだ。気づいた時には町のほとんどの人がその人を介して感染し……、次々に発芽したきのこは皆を死に至らしめた。幸い、感染していなかった俺は必死に逃げた。怖かったんだ。みんなの体が変色し、死体を養分として成長しようとするきのこが……」
独白のように語る様子を、ヴィヴィは黙って頷きもせずに聞いていた。
「それで行商人の世話になったりしながら、ケレットの町にたどり着いた。お前も知っている通り、良い人ばかりだったけど、あそこも森の中だからか落ち着かなかったんだ。それでレイジさんに無理を言って、周りにきのこが少ないあの荒野に家を建ててもらったんだ。訪ねて来る旅人の中には胞子に侵されてしまった人もいたけど、慣れそうにはなかったな」
しんみりと過去を語り終え、ルカは一度息を吐く。
「なるほどね。すまない、嫌なことを喋らせた」
「いや、気にしなくて良い。誰かに話せて楽になれたぐらいだ」
「それは良かった」
ヴィヴィは哀れみとはほど遠い柔らかな笑みを浮かべた。その優しさとも取れる表情に、ルカは少し気恥ずかしくなってわざとらしく話題を変える。
「あっ、きのこが浮いてきたぞ。取り出すから器を取ってくれ」
「わかった」
トングで突っつくとあれだけ硬かったきのこが、ぷよんと弾力のあるものになっていた。ルカの気持ちを知ってか知らずか、ヴィヴィはいつも通り冷静な様子で準備をする。
そして、木の器に入れられたきのこにフォークを刺す。艶のある唇の隙間から息を吹きかけ、綺麗な白い歯で傘の部分をかじった。
彼女の体質を知っているとはいえ、明らかに毒がありそうなものを食して大丈夫なのだろうか、とルカは悟られない程度に心配そうな表情をしている。
何度か咀嚼してから飲み込み開口一番、
「うん、まずい」
「そりゃ、そうだろうな……」
涼しい顔のままそう言った。
茹でただけで味付けはしておらず、食感も悪そうだ。何より茹でたことによって赤錆色が色鮮やかになっており、明らかに食べるようなものではないことがわかる。
しかし、ヴィヴィはその後黙々と食べ進めて完食した。
「ふう、これで準備は整った。戻ろうか」
「準備って……、きのこを食っただけだろ」
「まあ、明日の朝にはあの子を治せるよ。ボクの知らないボクがそう言っている」
摩訶不思議な言葉にルカは顔をしかめる。本当に大丈夫なんだろうか、と。
そんな相棒の不安を他所に、ヴィヴィは立ち上がってさっさと集落へ帰ろうと足を踏み出した。それをルカが慌てて引き留める。
「お、おい、待てよ! 鍋洗ったり後始末しないといけないだろ!」
「あっ、そうか。じゃあ待っているよ」
まったく手伝う気は無さそうだ。ルカはため息をついてから、致し方ないとばかりに泉で鍋を洗い始めた。
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