第8話

 両者が同時に地を蹴った。

 男は怒りに任せて大量の触手を纏った右腕を容赦なく振るう。ヴィヴィはそれを軽々とかわすと反撃の一振りで触手を数本斬り落とした。

 さらに激昂した男は体からも触手を伸ばし、ヴィヴィに休む間も与えない触手の雨を降らせる。ヴィヴィはそれを足さばきでかわし、時にナイフで切り裂いて、一本も体に届かせない。

 そんな一進一退の攻防を武器を構えたまま見守るルカは、ハッと気づく。あのヴィヴィの余裕の源がわかったのだ。

 彼女は嘘を吐いていた。

 食い破られる前に――、と。

 そんなことは起こらないと、今までヴィヴィ自身が証明していた。


「クソッ! なんだよ、早く死ねよ! 馬鹿みたいに血を噴き上げて死にやがれ! クソ野郎があああああああああ!」


 いつまで経ってもコンターギオが目の前の敵から姿を現さない。それに男は業を煮やし、叫び声とともにさらに触手を体から伸ばした。

 その一瞬の隙に、ヴィヴィは男に肉薄しその胸にナイフを深々と突き刺す。


「ぐがあああああああ!」


 激痛に叫ぶ男が触手で巨大化させた右腕を振り下ろした。ヴィヴィはナイフを引き抜くと同時に後ろに跳んでかわす。空振った男の攻撃は地面を叩き割った。


「なんでだ! なんでだ! なんでだ!」


 もうヴィヴィはそこにいないというのに、男は何度も何度も地面を叩く。


「教えてやるよ」

「んだと……!」


 ヴィヴィの言葉に男は動きを止めて睨んだ。彼女はその視線を意に介さず、わずかに笑みを携えて続ける。


「ボクの体からきのこの胞子が発芽することはない。貴様の言う、コンターギオも例外ではなかったようだ」


 その通りであった。ヴィヴィ自身も、なぜ発芽しないのかという理由はわかっていないが、この場で理屈は必要ない。男の頼みの綱を叩き切るには事実だけで十分だ。

 それを聞いた男は、ポカーンとした表情で直立姿勢になる。


「ああ、そうか。オマエ、劣等種のくせに防護マスクしてないもんな」


 抑揚のない声でヴィヴィを指差しそう言った。

 ルカは眉根を寄せる。ずっと激昂していた男から、するっと感情が抜け落ちたからだ。


「カッカッカ……、カッカッカッカ!」


 かと思えば、今度は面白い冗談でも聞いたように、目元を手で押さえて笑い始めた。

 メルが震えている。感情のある生物だというのに、その感情が破綻している男に恐怖していた。ルカは歯を食いしばり、斧を持つ両手に力を込める。


「クカカカカ! カッカッカッカ……。あーあ……」


 笑いが収まると、男はうなだれて静かになった。そして、


「――んだよそれ! おかしいだろ! なんで劣等種のオマエが……! ルトゥタイの力を手にした俺様――、ブルゴー様の! おかしい……! おかしいだろおおおおおおおお!」


 再び、感情を爆発させて叫び、自身をブルゴーと呼んだ男の体から無数の触手が伸びて暴れ狂う。

 まるで八つ当たりをするかのように、周りの地面を叩きまくる。

 そんなブルゴーをヴィヴィは鼻で笑い、挑発するように言う。


「ははっ、貴様はさっきから人を劣等種劣等種と呼んでいるが、ボクは言った通りきのこの支配を受けない。そんなボクと違って、貴様こそ、そのルトゥタイの力とやらに支配されているだけの劣等種なんじゃないのか?」

「……俺様が、劣等種、だと」


 目を見開いたブルゴーは半歩下がる。暴れていた触手はピタリと止まってしまった。


「違う……、違う……、違う、チガウ、チガウ、チガウ! 俺様は劣等種なんかじゃ――、失敗作なんかじゃない! なあ、そうだと言ってくれ『ラドカーン』! 俺様を処分するなんてよお! オマエのために働いてやるから……、俺様にもっと力を、力をよこせえええええええええ!」


 天を仰いで狂乱する。その感情に呼応するように再び触手が暴れ出す。

 ヴィヴィはどう感じているかわからないが、ルカは男の言葉を聞き逃さなかった。

 ――ラドカーン。支離滅裂なブルゴーだが、文脈から考えるに誰かの名前を口にしたのだろう。そして、そのラドカーンという人物の意思によりブルゴーは動いている。この町の惨状を裏から作り出した人物ということだ。


「ルカ!」


 ヴィヴィの声にハッとする。目の前に触手が迫ってきていた。常に備えていた体が反応し、向かってきたすべてを叩き切った。ブルゴーの顔が怒りでさらに歪む。


「クソッ! クソッ! どいつもこいつも……! クソッおおおおおおおお!」


 ヴィヴィには適わないと悟ってルカとメルを狙ったが、その攻撃が防がれて男は地団駄を踏んで悔しがる。

 冷静な表情をしたままヴィヴィが、


「じゃあ、そろそろ殺してやるよ。バラバラにして燃やしてしまえば再生もできないだろ」


 ルカたちを狙うほどに追い詰められたブルゴーに、そう宣告した。ナイフを構えて飛び込む体勢に入る。


「俺を……、殺す……? ハハッ……、そんなこと、できるわけがねえ……、俺が、死ぬ?」


 放心したような表情で自身にしか聞こえないような声量で囁いている。

 そして、その顔が恐怖に飲まれた人間のものに変わると、


「嫌だあああああああああああああああ!」


 びりびりと空気が震えそうなほどの叫び声を上げた。ルカたちは戸惑いながらも耳を塞ぐ。


「『トゥルル』!」


 続いて、ブルゴーは何かを呼ぶをように空に向かって声を響かせた。すると、それに応えるかのように、耳をつんざくほどの甲高い音が空から降ってくる。

 そして、地面に巨大な影が走った。

 ルカたちが上空を見上げると、そこには一羽の鳥が翼を広げて飛んでいた。普通の鳥の何倍の大きさなのだろうか。それすら計れないほど巨大である。鳥が旋回した際に、その背中に赤い傘の大きなきのこが生えているのが目に入った。


「俺様は死なねえ! ラドカーンにもっと強くしてもらうんだ!」


 ブルゴーは右腕を高々と上げると触手を空へ飛ばす。それを巨大な怪鳥、トゥルルが足で掴まえると急上昇してブルゴーの体を宙高く持ち上げた。


「あばよ、劣等種共! ヒャッハッハッハッハッハ!」


 勝ち誇ったように笑い声を上げ、トゥルルに連れられ町の外へと飛び去っていく。

 今から弓を拾って射っても間に合わない。そう判断したヴィヴィは静かに腰後ろの鞘にナイフを納めた。


「ヴィヴィ……」


 ルカが心配する声で名を呼んだ。


「すまない、逃がした」

「いや、俺こそ何もできなくてすまない……」


 防護マスクでハッキリと表情は見えないが、役に立たなかった、と肩を落とす。それに対してヴィヴィは、先ほどまで殺意を纏わせていたのが嘘のような微笑みを向ける。


「キミはメルを守った。十分だ。それに比べボクは……」


 ポーターの体からコンターギオが出現した時を思い出し、ヴィヴィの表情が曇る。

 あの時、周囲にだけでなく倒れているポーターにも注意を向けていれば、少なくともフィルは救えたかもしれない。メルに、父だけでなく母の最期を見せることもなかった。そう、後悔の念が絡みついてくる。

 だが、それはルカも同様だ。彼の方が付き合いが長い分、無念が大きいだろう。今はこの少年と女の子の不安を和らげるのが先決だ。ヴィヴィは軽く頭を振ってから、いつもの落ち着いた調子で言う。


「とりあえず、メルを屋内に避難させないといけない。あと、散らばった奴の腕や触手は燃やした方が良いだろう」

「ああ……、そうだな。町にいる化け物もどうにかしないといけないし……」


 ブルゴーが逃げ去ったとはいえ、まだ町が安全になったわけではない。門から少し町中に入った所までを中心に、コンターギオが蠢いている。


「俺、レイジさんに人を集めてもらうよう頼みに行ってくるよ。メルもレイジさんと面識あるし一緒に預かってもらう。ヴィヴィは逃げ遅れた人がいないか見て回ってくれないか?」

「ああ、もちろん」

「……一応言っておくけど、あの爆発する鏃は使うなよ。俺たちもそれに頼らないで処理する方法を考えるから」

「わかってるよ」


 肩をすくめてそういい残すと、ヴィヴィは自分の弓と矢筒を拾い、町中へと歩いて行った。

 その背中を見送りながら、内心ホッとする。殺意という感情をむき出しにしていたが、いつものヴィヴィに戻っていた。それと、普段何を考えているかわからない彼女が、しっかりと人間らしい感情を持っていたことに。


「ルカお兄ちゃん……」


 ルカの防護服を弱々しく掴んでいるメルが見上げながら名を呼んだ。安心させるようにゴーグル越しでも伝わる笑顔を作り、ルカは優しく頭を撫でる。


「レイジさんの所に行こうか。いつもお菓子もらってただろ?」

「うん……」

「疲れただろうからベッドも借りよう。メルが寝るまで俺がそばに居てあげるから」

「うん……」


 小さな手が震えていた。

 ああ、泣いても良いのに。

 ルカはもう一度頭を撫でてあげると、メルと手を繋いでレイジの店へと向かった。

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