第7話

 門に向かう途中で倒れていた人たちからも触手が体内から突き出し、次々と化け物と化していく。ルカたちはそれらを避けながら町の奥へとひた走る。

 異変に気づいた人々は屋内に避難したようだ。ルカもメルを家まで連れて行こうとしたが、玄関前に先ほど襲ってきた化け物がいたので諦めた。

 メルだけでも屋内に――、と手当たり次第に戸を叩いたが誰も受け入れてはくれなかった。

 怒鳴りたい気持ちを抑えて走ること数分。周りに家も人影もない広場にたどり着いた。化け物の姿も見当たらない。

 肩で息をするルカが、息ひとつ切らしていないヴィヴィの腕に抱かれるメルの様子を窺う。泣くこともなくヴィヴィの胸に顔を埋めているが、その心情はありありと伝わってくる。


「メル……」


 ルカが頭を撫でようとゆっくり手を伸ばした。

 そこに――、


「危ない!」

「――ぐっ!」


 三人を目掛けて頭上から触手が襲い掛かってきた。それに気づいたヴィヴィがルカを蹴り飛ばして転ばせる。そして、その反動で自らも後ろへ跳び、メルを守るようにして背中から地面に倒れた。

 触手は舗装に使われていた石を割って地面に突き刺さっている。当たっていればどうなっていたは自明の理だ。

 広場に声が響く。


「おいおいおいおいおい、なーに避けてんだ? 俺様の攻撃をよお!」


 男の声だ。

 そう判別すると同時に上空から何かが降ってきた。ルカとヴィヴィから少し離れた所に着地したそれがゆらりと立ち上がる。

 人であった。銀色の短髪をした男で、上半身が裸な上に防護マスクすらしていない。だが、この男がそんな物が必要ないことはすぐに見て取れる。

 右肩から腕や手に纏わりつくように触手が生えているのだ。にたにたと下卑た笑いを浮かべ、目も焦点があっておらず狂気に満ちている。

 地面に突き刺さっていた触手が抜けると、しゅるしゅると縮んで男の背中に収まった。

 すべてを察したルカの目に怒りが宿り、立ち上がると男に向かって吼える。


「お前が――、お前が皆を化け物に変えたのか!」


 ヴィヴィの弓を足元に落とし、両手で斧を構えた。返答次第でいつでも切りかかれるよう地を踏み締める。

 そのルカに男がちらりと目を向けたかと思うと、


「……うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせえ、うるせええええええええ!」


 叫びながら自分の頭を掻き毟った。その反応にルカはわずかに戸惑う。

 生じた隙を狙うかのように、触手が再び男の背中から飛び出してルカに向かってくる。その速さは今までの化け物の比ではない。虚を突かれたルカは斧で断ち切ることはせずに、身を翻してなんとか攻撃をかわす。


「劣等種如きがよお、俺様に口を利いてるんじゃねえええええええ!」


 地を蹴った男が直接ルカに襲い掛かった。一瞬で間合いを詰め、触手を纏わせた右腕がルカを貫くべく振りかぶられる。

 ルカの方は先ほどの触手をかわした体勢が悪く、この攻撃をかわすことも斧で受けることもできそうにない。

 触手の先端がルカを捉える刹那――、男の腕が宙に飛んだ。


「ぐぎゃあああああああああ!」


 町全体に響き渡るような叫び声が上がった。短くなった右腕から緑色の液体が噴き出している。

 ルカは目を丸くしつつも、体勢を立て直して男から距離を取った。

 そして、今度はハッキリと目に映る。

 刃渡りの長い黒いナイフを手にしたヴィヴィが男の腹を斬る瞬間を。


「あああああああ! この野郎おおおおおお!」


 痛みに悶える男が瞬時に左腕に触手を纏わせると反撃する。しかし、ヴィヴィはそれを軽やかにかわし、隙が出来た男の喉元にナイフを突き刺した。


「――!」


 今度は声にならない声が上がる。

 ヴィヴィはナイフを引き抜き続けて攻撃しようとしたが、男が大きく後ろに下がり完全に仕留めることはできなかった。

 体中から緑色の血を流す男が憤怒の形相でヴィヴィを睨む。彼女はそれに睨み返しながら、後ろで状況が掴めず茫然としているルカに静かな口調で言う。


「メルを守ってくれ。あいつは、ボクが殺す」


 ルカの背に寒気が走る。

 いつもの冷静な声に聞こえるが、その言葉には果てのない怒りが込められていた。ルカに向けられたものではないとはいえ、動物の本能としての怯えを刺激されたのだ。


「ああ、任せろ……」


 そう答えるのが精一杯であった。一緒に戦おうという言葉が出てこない。先ほどのヴィヴィの動きを目の当たりにし、ルカは圧倒されていた。

 自分は邪魔になる、と。

 応援する言葉を掛けることもなく、すぐさま立ちすくむメルの元に駆け寄った。


「ひゅー……! ひゅー……!」


 男が残った左手で刺された首元を押さえながら怒りの声を上げようとするも、空気が抜けるような音が鳴るだけであった。

 ヴィヴィが表情を変えずに左手で持ったナイフの切っ先を目の前の男に向ける。

 すると、痛めつけられたというのに、男がニタッと笑みを浮かべた。


「ヒッ……、ヒッヒッ……、ヒャハハハハハハ!」


 つい先ほどまで息をするのもままならなかった男が高笑いをする。傷口を押さえている手を下ろすと流血は止まっており、それどころか傷の痕すら残っていなかった。


「なっ……!」


 ルカは我が目を疑うが、男の傷が癒えたのは事実だ。さらに、


「ああ、いてえ……、いてえなあ……、いてえよお……」


 ぶつぶつとぼやく男の体から触手が伸び、斬られた腕や腹に纏わりつく。その触手が役目を終えた時、ぱっくりと割れていた腹だけでなく、失った右腕までも元通りに再生していた。

 悪魔のような笑みを浮かべながら男は言う。


「オマエ、見ていたぞ。『コンターギオ』にぶっ刺されるところをなあ! さあ、産まれろ! 俺様に傷を負わせたクソ野郎の体を食い破れ!」

「コンターギオ……、あの触手のことか」


 男に向けていたナイフを下ろしてヴィヴィが呟いた。

 この男はルカの家に来た男性や、町の人たちの体を突き破って出てきた触手の化け物をコンターギオと呼んだ。自分が刺されたというのは、ポーターに寄生した、そのコンターギオからメルを助けた際に触手を背中に数本刺されたことだろう。

 そう思考すると、ヴィヴィの顔にも笑みが浮かぶ。ただし、男のような醜悪なものではなく涼やかなものだ。


「テメエ……! なに笑ってやがる!」


 それが癪に障った男が怒声を上げた。しかし、それがまた可笑しかったのか、ヴィヴィは、くっくっく、と声を抑えきれないといったように笑い出す。

 メルを守るルカも、その余裕がどこから来るものなのか、と心配した眼差しでヴィヴィを見ている。


「なら、食い破られる前に貴様を殺してやる!」


 そう啖呵を切り、腰に携えている矢筒を地面に落とした。

 それに対し、男が吼える。


「――劣等種があああ! 生意気をほざきやがってええええええ!」

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