第6話

 翌朝。

 ルカが目を覚ますと、隣のベッドはもぬけの殻であった。

 まさか、と思いつつベルトを手にして居間に向かう。


「やあ、おはよう。お先にいただいているよ」


 そこには椅子に座って優雅そうにパンをかじるヴィヴィの姿があった。ルカは、ホッと息を吐くも、なぜ安堵しなければいけないんだ、と自分自身を責める。


「ルカお兄ちゃん、おはよー」

「おはよう。ルカの分も作ってあるから顔を洗ったら食べなさい」

「あっ、おはようございます。メルも、おはよう。すぐ身支度してきます」


 姿の見えない感情に苛立ちを覚えたが、ヴィヴィの隣に座るメルと、台所に立つフィルの顔を見て落ち着きを取り戻す。ルカは洗面所に向かい、ベルトを巻いてから顔を洗った。それから居間に戻っても、先ほどと同じ光景があった。

 だが、そんな穏やかな時間を打ち破る悲鳴が外から響いてきた。


「な、なんだ!」


 ただならぬ声に、母子はその場で動けなくなっている。ルカが外の様子を探ろうと急いで窓際に駆け寄り、ヴィヴィもその肩越しにガラスの向こうを見遣る。


「人が倒れてる……。それも何人も……」


 ルカの言う通り、窓から見える範囲だけでも五人以上がうずくまっていた。何かから逃げるように這っている人もいる。

 それを聞いたメルが、


「お父さん……!」


 血相を変えて家から飛び出した。異様な雰囲気から来る恐怖よりも、父を心配する気持ちが勝ってしまったためだ。


「メル! 待ちなさい!」

「フィルさん! 俺が――、クソッ!」


 ルカが呼び止めたが、フィルも慌ててメルの後を追い、戸がバタンと閉じられる。


「ボクが先に追うからルカは防護服を着てから来い。嫌な予感がする」

「お、おい!」


 壁に立てかけて置いた弓と矢筒を乱暴に取るとヴィヴィも走って二人の後を追った。


「一体なんだっていうんだよ……!」


 残されたルカは突然の出来事に困惑する。だが、悠長にしている暇はない。

 メルとフィルが防護服を着ずに出て行ってしまったが、まだ朝方で胞子が少ないとはいえ危険であることは変わりない。

 はやる気持ちを抑えてルカは防護服に素早く袖を通し、防護マスクを被る。そして、自身の武器であるシャベルを斧に変形させて三人を追いかけた。



 外に出たルカは辺りを見回すも、近くにメルたちの姿は見えない。ポーターがいる門の方へ行ってしまったのだろう。

 自分も早く追いつこうと駆け出したが、


「た、助けて……」

「――!」


 すぐ近くでうずくまっていた人物が助けを求めてきたので足を止めた。


「何があったんですか!」


 そばに駆け寄るとルカは異常な点に気がつく。

 その人物の防護服に、不可解な穴がいくつも空いていたのだ。血は出ていないようだが、何か細い棒で突かれたような。


「男が……、襲ってき――」


 言葉が途絶える。

 と思うが早いか、緑色の触手が血とともに体内から幾多も飛び出した。


「なっ――!」


 ルカはすぐさま地を蹴って跳び退く。向かってきた触手を斧で断ち切った。

 絶命したであろう体を触手が内から次々と突き破り、巻き込むようにうねうねと蠢いている。


「これは……」


 斧を前に構えるルカの額に冷たい汗が流れた。

 ――昨日、家に来た男性から飛び出してきた化け物と同じだ。

 驚愕するルカに、触手が再び容赦なく襲い掛かってくる。


「くっ!」


 その攻撃を足さばきですべて避けると、化け物から背を向けて走り出した。ヴィヴィがついているとはいえ、メルとフィルの身が心配だからだ。化け物の相手をしている場合ではないと門へ向かう。他にも倒れている人が何人もいるが、脇目も振らずに駆け抜ける。

 そして、大きな門の前で泣き叫ぶ子供とうろたえる女性の声が耳に届いた。

 うずくまるポーターを中心にメルとフィルが必死に呼びかけている。そのそばには辺りを警戒するヴィヴィの姿があった。

 ルカは振り絞るように声を上げる。


「離れろー!」


 三人が一斉にルカの方に顔を向けた。

 次の瞬間、ポーターの体を突き破った触手は、その勢いのままフィルの胸や腹に突き刺さった。


「えっ……?」


 自分自身に何が起こったのかわからない。我が子の方へ目を向けると、父親を心配して泣き腫らした目を見開いてこちらを見ていた。

 フィルは自然とメルに手を伸ばす。

 しかし、一本の触手がフィルの額を突き刺し、子を思う母の腕は力なく垂れ下がった。


「お母さ――」

「メル!」


 さらにポーターの体から飛び出てきた触手がメルに襲い掛かったが、ヴィヴィが抱きかかえて横へ転がった。メルは無事であったが、ヴィヴィの背中に数本の触手が突き刺さる。


「うおおおおおお!」


 駆けつけたルカがそれらを斧で断ち切り、本体へ向けても斧を振り下ろしたが、危険を察知した触手が跳び退き攻撃をかわされた。

 舌打ちを鳴らしてから二人の無事を確認する。


「ヴィヴィ! 立てるか!」

「あ、ああ」


 抱いていたメルを先に座らせてヴィヴィが立ち上がる。


「痛むかもだけど我慢しろ」


 切られてもなお彼女の背で痙攣している触手の切れ端をルカが引き抜く。その痛みで端正な顔がわずかに歪んだ。

 手にした触手を放り投げ、ルカは斧を構える。


「お父さん……、お母さん……」

「……っ」


 触手が纏わりつき変わり果ててしまった父。動かなくなった体を宙でぶらぶらと揺らされている母。その二人を呆然とした表情でメルは呼んだ。ルカの心が激しく痛む。


「ヴィヴィ、メルを抱えて走れるか?」

「ああ、できるけど」

「一旦ここから離れる。……メルをこれ以上ここに居させたくない」

「……わかった」


 触手が三人に向かって飛んでくる。後ろの二人を守るようにルカがすべて断ち切った。


「走れ!」


 ルカの合図とともにヴィヴィがメルを抱き上げて駆け出した。

 頭を垂らす夫妻の姿に奥歯を噛む。ヴィヴィがメルを助ける際に落とした弓を拾い、ルカもその場を離れた。

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