第9話

シトシトと雨が降り続く梅雨に、アサミに誘われた私は、大き目の白いシャツに黒色のパンツといった地味な格好で、豪邸とも呼べる大きなアサミの家に遊びに来ていた。アサミの家は広く、お金持ちが収集するような美術品や骨董品が飾られていた。

 家の中に入ってすぐに玄関先で灰色のスウェットを着たアサミの兄のアキタカに挨拶され、お久しぶりですと返すとアサミの部屋へと向かった。

 大きなリビングにある高そうな古時計が存在感を放っていた。

 いったい何部屋あるのか分からないくらいドアがあり、私はその一室であるアサミの部屋でまったりと過ごすことになった。

 部屋の中は割と普通の女の子の部屋で、それほど飾らずにシンプルに必要なものが置いてあるだけだった。

 アサミは相変わらずフリフリの洋服で、フリルのついたピンクのワンピースを着ていた。

「最近学校はどう?」

 黒いハートのクッションに寝転がりながら、私は座椅子に座るアサミに聞いてみた。

「進学校だからねえ。勉強ばっかりで特に何もないよ」

 苦笑いしながらアサミは答えるが、私にはどうしても皮肉に聞こえてしまう。

 私の高校は願書を出して試験に出席すれば誰でも合格出来るような学校だが、アサミが通っているのは、お金持ちばかりが通う私立の進学校である。

 アサミの父親は上場企業の社長で、何があっても生活に困ることはなさそうな一家である。

 まあ、別にそれを羨ましいとは思わないのだが。勉強も嫌いだし……。

「そうそう、アサミのお兄ちゃんとアスカちゃんは元気?」

「いつも通りだよ。何も変わらない。アスカはまあ、ちょっと反抗期に入ったけど」

 アサミは三人兄弟の真ん中で、兄のアキタカと妹のアスカが一緒に暮らしていた。

 私はひとりっ子なので、兄弟がいることが少しうらやましかった。

「へえ、あのアスカちゃんが反抗期か。時が経つのは早いねえ」

「ナナハが最後に家に来たのって小学生の時だっけ?あの時はアスカも小学一年生だったからね」

「そういえばアサミのお兄ちゃんって大学生だっけ?」

「そうよ。まあ、地元の大学に入って遊んでばかりみたいだけど」

「へえ。もっといい大学行くと思ってた」

「高校生の時までは勤勉だったんだけどね。大学入ってからは楽しいことを優先しているみたい」

「まあ私はそれも悪くないとは思うけどね」

 私が本音を言うと、アサミは苦笑いをしてみせるしかなかった。

「まっ、どうせお父さんの会社に入れるからね」

 アサミの言葉に私は「いいなあ」と返事をすることしか出来なかった。

「とはいえ、最近はお父さんの会社の経営も厳しいらしいんだけどね」

 アサミは薄暗くなってきた窓の外を見ながら言った。

「じゃあ、アサミのお兄ちゃんも、将来のことは安心ってわけにはいかないんだね」

「そうなの。だから最近は好きなバイクだったり、友達との遊びにも断ったりして部屋にこもりがちなんだ」

「そっか……」

「それにアスカも悪い友達とつるんでいるみたいで、夜中まで帰ってこなかったり、親にお小遣いをせびったりしてるし……」

 突然の暗い話に、私はどう返事していいか分からず黙って聞いていた。

「そうそう、お父さんとお母さんの仲も最近険悪で、いっつも喧嘩しているから私も勉強に集中出来なくて困ってるんだ」

「……」

「なんか最近悪いことばっかり……」

 ジメジメとしているのは季節だけではなく、アサミの家にも浸食しているようだった。

 突如、ボーンボーンと大きな音が一階から響いてきた。  

 私は足の低い、円形のテーブルに置いたスマートフォンを確認する。午後六時になったばかりだった。

 ベッドに置かれた大きなネズミのぬいぐるみが、こっちを見ているような気がした。

「じゃあ、そろそろ帰るね」

 私が立ち上がろうとすると、アサミは私の腕を掴んで言った。

「もうちょっといてよ。お願いだから……」

 アサミの言葉にデジャヴに襲われる。

 この空気に耐え切れず、謝ってから帰宅すると家でテンションが低いままつまらなく過ごす光景が頭に浮かんでいた。

「……じゃあ、もう少しだけね」

 私はアサミを心配したのもあり、もうしばらくアサミと過ごすことにした。

「そういえば、今の音ってリビングにあった大きな時計の音?」

 私は、重苦しい雰囲気を変えるため、どうでもいい質問をした。

「うん。かなり昔のもので、数百万円の価値があるってお父さんが言ってた」

「す…、すうひゃくまん?あははははは、桁がすげーな」

 私は、無理やり大きく笑いながら答えた。

「私は、もっとかわいい時計を置いて欲しいんだけどね」

 アサミはそう言うと、お茶を持ってくるねと言って部屋を出て行った。

 それから数分経って私がスマホをいじろうとした時、突然アサミの悲鳴が廊下から聞こえた。

「きゃあー!お兄ちゃん!」

 私は一瞬何が起こったのか分からずにスマホを持ったまま凍りついていたが、とにかく何かが起こったことを理解すると、スマホをテーブルに置いて廊下へと飛び出した。

「アサミ!どうしたの?」

 廊下の少し離れた場所で腰を抜かしているアサミを見つけると私は駆け寄った。

「お…、お兄ちゃんが……」

 アサミは、目の前にある半開きのドアを指差して小さな声を振り絞っていた。

 その指先に見える半開きのドアを私はそっと開けてみた。

 私は絶句して立ち尽くした。部屋の真ん中で人がうつ伏せに倒れており、その中心から赤い液体が流れていたのだ。

 どう見てもそれは血だまりで、そしてアサミの言葉から、どう考えてもアサミの兄のアキタカだという事が分かった。

「アサミ…。落ち着いて」

 そう言って混乱しながらも、アサミの肩にそっと手をやることしか出来なかった。

「お兄ちゃん…。なんでこんなことに」

 アサミは目に涙を溜めながら、ゆっくりと立ち上がった。

「どう見ても、誰かに殺されたんだよね」

 アサミは私に同意を求めるかのように言った。

「う、うん。そうかも……」

 私はハッとした。

 と、言うことは犯人がいるということ。

 そして、その犯人はこの家から逃げていったのかそれとも……。

「アサミ!警察!電話!」

 私はアサミの肩をぎゅっと握り、アサミの部屋へとスマホを取りに戻った。

 足の低いテーブルに寄ってスマホを探す。

「え?なんで」

 確かにテーブルに置きっぱなしにしてあったスマホが無くなっていたのだ。

 私はテーブルの下や辺りを探すが、きれいな部屋のどこにも落ちてはなかった。

「アサミ。アサミのスマホは?」

 私は部屋へ戻ってきたアサミに聞いた。

「テーブルの上に…。あれ?ない」

 そうだ。アサミのスマホもテーブルの上に置いてあったことを思い出した。

 二台とも突然スマホが消えたことに違和感を覚えた私は、すぐにこんなことが脳裏に浮かんだ。

「もしかして、犯人……。この家にまだいるんじゃ?」

 言いながら私は、アサミの部屋のドアを閉めたが、カギが付いてないのでドアに私の全体重をかけて寄りかかった。

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