第10話

「どうしようナナハ。なんでこんなことが……」

 怯えたように涙を流しながら、アサミはベッドの上にあったぬいぐるみを抱いた。

「とにかく警察に電話しないと。家の電話ってどこにあるの?」

 いつの間にか落ち着きを取り戻した私は、ドアを押さえながらアサミに聞いた。

「あるけど、一階のリビングと二階の階段の横に」

 二階の階段なら、ここまで来るまでのドア二つを通り過ぎれば辿り着く。

 少し時間を置いて、私は静かにドアを開けて廊下を見てみた。廊下には誰もおらず、静けさだけが残っていた。

 そっと私は廊下に出ると、足音を立てないようにゆっくりと歩いた。

 心臓がバクバクなっているのが周りにも聞こえてしまうのではないかと、心配するくらいに静かな廊下を、階段のある場所まで静かに歩きながら何とかたどり着いた。

 すぐさま電話の受話器を取ると、一一〇と番号をプッシュした。だが、受話器から聞こえてくるのはツーツーという音だけだった。

 何度か番号を押し直したり、受話器を一度置いてみたりしたが、何をやっても無機質なツーツーという音だけしか返ってこなかった。

 仕方なく一度アサミの部屋へ戻ろうとしたその時、すぐ近くにあった部屋のドアが突然開いた。

 私はどうする事も出来ずに黙ったまま立ち尽くすしかなかった。

 数秒後、開いたドアからニュッと手首が見えた。ビクッとした私はただ様子を見ることしか出来なかった。

 ガタッとドアの裏で音がすると、そのまま何かがドアの向こうから現れるように倒れて出てきた。

 廊下に半分倒れて出てきたものは、どう見ても人の姿だった。

 床の上で、こちら側に向いている顔は見たことのある顔で、どう考えてもアサミの妹のアスカだった。

「大丈夫!?どうしたの?」

 私は駆け寄って倒れたアスカを抱きかかえた。自分の手に生暖かい液体の感触が伝わるのが分かった。

 アサミの兄と同じだった。お腹から大量の血が流れていたのだ。

「おねえ…ち……」

 小さく細い声でそう言うと、アスカは目を見開いたまま動かなくなってしまった。

 私は、ぐったりと重くなったアスカの体から離れると、すぐにアサミの部屋へと逃げ込んだ。

 アスカの部屋は見えなかったが、たった今殺されたということは犯人が部屋の中にいるということに気付いたからだった。

「アサミ!どうしよう!アスカも!なんで……」

 さっきまで冷静さを取り戻していた私は、またも取り乱してアサミに言った。

「どういうこと?アスカがどうしたの?」

 怯えたままのアサミの涙は止まっていたが、恐怖に引きつった顔をしながら私に聞いてきた。

「殺された……」

 私はドアに体重をかけながら呟いた。

「そんな……」

 落ち込むアサミに私は少し冷静になり言った。

「電話も繋がらないし、とにかくこの家から逃げないと」 

 そう言うと、アサミも冷静になってきたようで、ぬいぐるみを置いて私のもとへと駆け寄った。

「玄関まで一気に走って逃げよう」

「そうだね。それしかないよね」

 アサミの言葉に同意し、私はアサミの手を握った。

 アスカの部屋に犯人がいるかもしれないので、しばらく黙ってドアに耳を当てて音を確認する。

 まったく音のする気配はなかったので、私はアサミにコクンと頷くと勢いよくドアを開けて廊下に出ると、階段の方へとアサミの手を握ったまま走った。

 そのまま階段を駆け下りようとしたその時、玄関の方から「ただいまー」と言うのんきな男の声が聞こえた。

「お父さんだ!」

 アサミがそう言うと、私たちは安堵しながら階段を下りる。

「おい、なんだ!何をするんだ!」

 突然アサミのお父さんの怒号が聞こえると、ガシャンと何かが落ちて割れた音がした。

 私たちは階段の途中で止まり、様子を伺っていた。

 どのくらい経っただろうか、呆然としていた私たちがハッとして気付いた瞬間、一階からこちらへと向かってくる足音が聞こえてきた。

 まずい。アサミの父親も襲われたんだ。そして、犯人がこちらへとやってきている。

「アサミ、戻るよ」

 私は握ったままのアサミの手を引っ張り、階段を上がってアサミの部屋へと逃げ戻った。

「アサミ、手伝って!」

 私は、アサミと一緒にドアの横にある木製のタンスを、ドアの前へと押して移動し、入ってこれないように塞いだ

 それから、少しの静寂ののち、廊下からこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。

 そして、その足音はこの部屋のドアの向こうで止んだ。

 ガチャッとドアノブをひねる音がしたが、ドアが開かなかったのでドンッドンッとドアを叩く音が聞こえた。

「やめて。助けて……」

 アサミは座り込んで縮こまり、耳を塞いで涙を流し怯えていた。

「しっかりしてアサミ。…そうだ、窓から逃げよう。殺されるくらいなら落ちて骨折したほうがマシだよ」

 私は最後まで諦めずに窓の方へと向かい、鍵を開けようとした。が、なぜかどれだけ力をいれても鍵はビクともせずに動かなかった。

 すると、ドンドンッと音を立てていたドアが急に静かになった。

「アサミ、いるんでしょ。もう大丈夫だから開けて」

 ドアの向こうから優しそうな女性の声が聞こえた。

「お母さん!」

 すると、希望を取り戻したアサミが立ち上がり、私にドアを開ける手伝いを頼んできた。

「ナナハ手伝って。お母さんよ。私のお母さん。もう大丈夫だって」

 私はアサミに手を貸して、ドアの前に移動させたタンスを押して戻した。

 アサミは即座にドアを開けて母親に顔を見せた。

「お母さん!あのね、大変なこと…。えっ、なんで……」

 突然、半身が廊下に出たアサミが崩れるように床へ倒れこんだ。

 アサミの体からは赤い液体が流れ始めていた。

「そんな。アサミ……」

 私は呆然と立ち尽くすしかなかった。

「ごめんね。私の家族が」

 そう言いながら部屋へと入ってきたのは、血にまみれた包丁を持ったアサミの母親だった。

 もともと白かったであろうブラウスが血で真っ赤に染まり、その手に持っている包丁からポツポツと垂れている赤い液体も気にせずに私に近づいてきた。

 私は後ずさるが壁に当たり、もう逃げ場はなくなっていた。

「お父さんも、この子達も…、みんなが悪いのよ。私だって一生懸命生きているのに好き勝手して家庭をかき乱すんだもの。一回リセットしないとやり直せないのよ。…分かるでしょナナハちゃん」

 私は返事も出来ずに座り込んだ。

 ああ、もう駄目だ。ここで死ぬんだ。私は諦め、デジャブを見たときに帰ればよかったなあと後悔した。

 突然目の前が真っ暗になった。あれ?死んだのか?まったく痛みはなかったのに。

 それからどれだけ経ったのか分からなかった。一分かもしれないし一時間かもしれない。

「てってれーん!」

 陽気な声とともに目の前が光を取り戻した。

 いや、正確に言えば消えた部屋の電気が点いたのだった。

 座り込んだ私の目の前には、血だらけの五人の家族が立っていた。

「え?なに?なにが起こったの?」

 私は座り込みながら五人の姿を見て、唖然とすることしか出来なかった。

「ごめんねー、ナナハ。ちょっとやりすぎちゃったかも」

 お腹にベットリと固まった血が付いたまま、アサミは両手を合わせていた。

「いやあ、久しぶりにナナハちゃんが来るっていうから張り切っちゃてさあ」

「そうなの。お父さんたら会社早退してきたのよ」

 アサミの父親と血だらけの包丁を持った母親が笑顔で私に言った。

「どう?結構イケてるでしょ。俺が作ったんだぜ」

 アキタカが乾いた血の塊を自慢げに私に見せてくる。 

「ん?どういうこと……?」

 まだぼんやりとしている私が言うと、アスカが一歩前に近づいてきた。

「これ、お兄ちゃんが作った血のりだよ。我が家のどっきりだよナナハちゃん」

 アスカの言葉に、私はようやく現状を理解した。

 何なんだこの家族は……。お金持ちの遊びってよく分からないや……。

そういえばアサミって演劇部だっけ。忘れてた。

 私は、驚きも怒りもなく、アサミの家をフラフラと歩きながら脱出した。

 さっきまで降っていた雨は止んでいた。

 玄関先で血だらけの家族が私を見送っていた。

「また来てねー」

 血のりだらけのアサミの母親が手を振っている。

 通りすがった傘を持ったおじさんがその姿を見て一瞬驚いた表情をしたあと走っていった。

 私は思った。二度と遊びに行くもんか。

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