家路

「来たぞ」


 先ほどとは打って変わって、アンドリューが険しい声でドアを見る。

 すると予言通りにドアがノックされ、クラウンとアンドリューが先ほどと同じ配置につく。

 十中八九、クイームだろうという事は分かっているが、それでも警戒はまだまだ解けない。


 開けたドアの先に立っていたのは、やはりクイームだった。


「マジで焼きそばパン全然見つからなかった」

「あー、確かに相当時間かかってるな」

「ほいこれ砥石ね。使わないと思うけど」

「ぶっとばすぞ」


 ずしっとアンドリューに砥石が渡され、クラウンに焼きそばパンが投げつけられる。


「で、これシャーロットね」

「え、私が言ったのはこの後では……?」

「そうだけど、テントって共用じゃん。仲間外れってのもなーってことで」


 クイームの死角でどこからともなく取り出した10点札を提示するクラウンとアンドリュー。


「ミックスナッツね」

「オラァッ!」

「痛ぁ!?」


 後頭部をさすりながら後ろを振り返ると、さも私たちは何もしていませんと言わんばかりのクラウンとアンドリューが居た。

 なお、10点札はクイームに投げつけたので崩壊して消えた。


「えっ何。何を投げられたの今」

「ほら、えーっと、あれだよ。勝負?」

「投げるとしても俺に投げるなよ」

「私は、あー、匙?」

「さっきからお前ら、何を概念な物投げつけてくれてんの? そもそも俺が喰らったのは物理なんですけど?」


 2人に詰め寄るクイームの死角で、シャーロットはミックスナッツの入った袋を大切そうに握りしめた。


◆◇◆◇


 街中にて、価格帯としては中程度のテントを2つ買って、7日分の食料などの物資を買い込み、代官への挨拶も済ませ、一行は王都への道を歩き始めた。


「で? 結局その聖剣の声は、魔王の返り血に反応してるって事でいいのね?」

「ああ、恐らく間違いないだろう。クイームとの距離で変わったしな。まあ、いい加減代謝されててもおかしくないとは思うが……」


 しかし、反応しているのだから、未だに残っているのだろう。


「或いは返り血だけで、お前が本当に魔物になってたりしてな」

「おいやめろよ。気色悪い」


 顔をしかめるクイームは本当に嫌そうだ。


「そうは言いますが」


 ふとシャーロットが口を開く。


「考えてみると、私たちは魔物という存在の事をあまり知りませんね」

「……そう言えばそうだな」


 魔物の生態というか、特徴とでもいうべきものは、経験則的に分かっている。


 既存の動植物の要素を適度に織り交ぜた独特な姿と能力。

 食性は不明。正確には、食事している所を確認したことが一切ない。

 生殖器の不在。ひいては繁殖方法が不明。


 そして、人間への無秩序で無根拠な敵意。


 改めて考えると、生物としては確かに破綻している所も多い。


「微妙な時は、聖剣が反応するかどうかで判断していたが……考えてみると、それのみが根拠と言うのも、なんだかな」

「何を源流にして生まれた存在なのか、か……魔王が居れば聞いておきたかったな」

「まあ俺が殺したが」


 実際、魔王と魔物の間には明確に主従関係があった。先の包囲戦で見せた直接操作はまさにその典型で、魔物が魔王の支配下に置かれていることの証明とも言える現象である。

 ならば、魔王であれば魔物について知っていることも多かっただろう。


 問題は、恐らくは本来であれば挟まるその手の問答を、暗殺によって完全にすっ飛ばしてしまったことである。

 死人に口なしとはよく言ったものだ。


「魔物の中にも、階級差? みたいなものがあったようではあるね」

「そんなのあったっけ?」

「ほら、包囲戦の時の鳥男が居ただろ? あいつが『ウィードの雑魚共』って言ってたのさ」

「ああ、あれか。じゃあその階級の頂点にいるのが魔王、って事になるのかな?」

「多分ね」

「とはいえ、魔物の社会構造なんて分かっても……」

「いや、もしそうなら、魔王以外の強力な魔物でも魔物についての知識を持ってる奴はいるかもしれないって事だ。恐らくはまだ残党もいるだろうし、そういう意味では、完全に閉ざされた知識って訳でもないかもしれんな」

「なるほど、可能なら、人類が間違いなく勝利した今の内に研究を進めておきたいところではあるな」


 魔物の起源を誰も知らない。

 という事は、また魔物が増え始め、魔王が出現する可能性を誰も否定できないと言う事だ。


 今回は良い。今回は不本意ながらも魔王本人を討伐すること自体は出来たし、そうでなくとも魔法使いの最高峰とも言える人間の内の4人が、全員まとめて気の合う友人になったという奇跡。

 世界を救う、というには少々戦力不足かもしれないが、その気になれば恐らくはこの戦乱の世を平定させるぐらいのことは出来るかもしれない。そんな特記戦力がある今なら、人類全体への普遍的な天敵への抵抗力がある今なら、仮に魔王が復活してもそのまま即座に始末できるだろう。


 問題は、この4人が寿命やらなにやらで死んでしまった時だ。

 この4人と同格以上の魔法使いが生まれる確率。そんな魔法使いが気の合う友人同士になりうる気性である確率。そして、実際に気の合う友人になる確率。

 どれもこれも『0ではない』という慰めの言葉を綴るしかないぐらいの絶望的に薄い確率だ。


 もちろんそんなことは分かりきっているのだから、人類が優勢な今の内に、魔物に対するより高度な知見を得て、聖剣という名の魔物警報器よりも効果的で普遍的な特効薬を開発した方が良い。


「となると、今後魔物の残党を発見したら、殺さずに生け捕りが推奨されるって事か?」

「……可能性はあるね」

「めんどくさっ。暗殺者に殺す以外の事を期待しないで欲しいね、全く……」


 クイームは依頼主から『これこれこういう風に殺して欲しい』みたいなリクエストがあれば、それを可能な限り実現するつもりのある、いうなればサービス精神にあふれた殺し屋だが、殺し以外の事をリクエストされても困る。

 いやまあ『拉致監禁の後拷問の果てに殺して欲しい』みたいな注文が来たことはあるし、それはちゃんと実現して顧客満足度100%の看板は守ったが、面倒は面倒なのだ。


「でも、それを言うなら今回の魔王討伐の旅も面倒くさい仕事だったのではないですか? そもそも、相手が人じゃないですし……」

「まぁね。でも、俺は殺し屋なんだよ。『人殺し』屋じゃあないんだ。これまで依頼されてきた標的が、たまたま全員人だったってだけでね」


 そこまで言った後、クイームが何かに気付いたように声を上げ、アンドリューに水を向ける。


「ってか今回の依頼主ってアンドリューなんだから、ちゃんと金払えよ?」

「ああ、それは勿論きっちりするさ。金の出入りはスッキリさせないと気持ち悪いからな」


 なにせ彼らは金で雇われるプロの無法者である。だからこそ、更なる金で寝返る、なんて噂はそれだけで致命傷になりかねない。

 『金で動く』と『金で寝返る』の線引きをきっちりしておくことは、顧客からの信用を得る為の基本的な営業努力だ。

 特に熟練している傭兵などは、この営業努力が骨身にしみついており、結果として明朗会計でない金の動きを本能的に嫌う。


 その為、付き合いの長い傭兵がいる貴族の家臣などは、『経理業務にも傭兵を派遣してくれ』などとうそぶいたりもする。


「国王から適当にかっぱいだら、それでクイームに依頼金払って、シャーロットと聖剣押し付けて紛争地帯に雲隠れするさ」

「もし国王が払えないって言うなら?」

「そりゃしょうがないから、自力で取り立てるさ。連盟にツケとけ、って伝言してな」


 ちなみに、今回の魔王討伐に関する金の流れだが。

 まず教国が盟主となって、大陸中で『対魔王多国籍連盟』なる連盟が結ばれており、加盟している各国が資金を供出している。

 魔物から甚大な被害を被った国には、供出されている資金から保険金が充当され、同時に連盟の遊軍戦力である勇者パーティがその魔物を駆除に行く。

 勇者パーティの活動資金もまたこの連盟から出されており、クラウンを闘技場から引っ張り出すための保証金や、クイームを雇い入れる為の前金もここからだ。


 そのため、魔王討伐成功の報告さえ上げれば、その国の国王が成功報酬を支払う。

 勿論その金は後で連盟からの補填される為、実質的に国家が痛むことは無いのだが、その一時的な出費すら難しい程財政難である可能性も決して0ではない。


 そういう時の心構えこそ、『依頼料の取り立て』だ。

 これは制度ではなく傭兵の慣習みたいなもので、事前に契約した依頼料をきっちり払わない依頼主を襲撃し、依頼料の5割増しを略奪するのだ。

 面白いことに、この略奪もまた契約内容に盛り込まれており、傭兵はあくまでも契約を履行し続ける、という体を崩さない。これについてゴネる依頼主もいるが、『自助努力の権利』として傭兵がこれを譲ることは絶対にしない。


 元々は『舐めた真似するアホが二度と出て来ないように』という傭兵の示威行為だったのが、こうして慣習にまでなってるあたり、戦争に関わる様な人間がアホな事は間違いなさそうだ。


 そしてアンドリューは、相手が国だろうと教会だろうと連盟だろうと、この取り立てをためらいなく行うつもりなのである。

 それは自らの力量に対する絶対の自信であり、仕事の姿勢を曲げるつもりはないという矜持でもあった。


 もっとも、アンドリューは実際に取り立てを行う必要はないだろうと思っている。

 というのも、魔王城という分かりやすい拠点がある為、魔王を討伐してすぐに報告したとすると、魔王城を含有する国土を持つ国、もしくはその近隣諸国での報告という事になる。

 そしてこの戦乱の大陸において、傭兵という生き物の生態は周知されているため、『取り立て』を受けないためにも連盟から支援金を出させるなり、コツコツと積み立てるなり、何かしらの準備をしているだろうからだ。


「ま、今回ぐらいの大仕事となると、5割増しの振れ幅も大きいから、取り立てることになってもオールオッケーだがな」

「それって『きっちりした金の出入り』ってのと矛盾してないかい?」

「してねえよ。帳簿にはちゃんと『取り立て手当』って書いてあるから」

「帳簿に書いてりゃいいってもんでも無いと思うんですが……」


 まあ実務において完璧に綺麗な帳簿なんて夢のまた夢である。

 いや、取り立て手当が血に濡れているとか、そういう話ではなく。


「傭兵は大変だな。俺は最初から盗み取るから関係ないわ」

「お前はもう怪盗に転職しても良いと思うが」


 呑気そうにクイームがぼやくが、実際にやられた方の精神衛生的な被害はこっちの方が上である。

 これは超腕利きの暗殺者が、最も堅牢であるはずの金庫を、誰にもバレずに突破したという事である。


 つまり、『その気になればお前なんぞいつでも殺せる』と言外に主張しているようなものだ。


 おまけに、言われた方は暗殺者を雇ってまで誰かを殺した人間である。逆に自分が暗殺者の標的になる可能性はいつだって頭にあるだろうし、いざそうなれば抵抗できないという意味でもあるのだから。


「まぁ、そもそも俺は単独で、アンディは傭兵団の団長だからな。管理の為に使う神経もモノが違うってもんさ」

「……考えてみれば、俺って勇者になってからもやってる事大して変わってねえな」


 戦力が必要な所に打って出て、敵性勢力を始末して金を受け取る。

 受け取った金は帳簿に付けて、資金を管理しつつ集団を纏める。

 必要に応じて、指揮を取ったり単騎で駆けたり……。


「うわ、本当じゃん」

「はぁー、管理職の能力って潰しが効くんだなぁ。人間が作る以上は、組織構造の骨子もそう変わらない、か」

「あ、あはは……わ、私は結構尊敬してますよ、はい。私には出来ない事なので……」


 頑張ってフォローを入れるシャーロットの優しさが、アンドリューを傷つけた。


「ま、まあ俺も? あくまでもホラ、楽しいからやってる、みたいなところあるし? 結局その、誰かの面倒を見るって言うのが、好き的な?」

「もうやめろ。なんかもう、どんどん墓穴掘ってるようにしか見えないから」



◆◇◆◇


 そんな道中を経て、いざ野営の時。


「あれ? ペグってもう打って良いの?」

「違う違う、まず骨組みをだな」

「なんかこれ、構造がよくわからんな……」

「あっ、これ裏側ですよ……?」

「えっじゃあこれなんだよ」


 取扱説明書なんて親切なものが付属しているわけでもない、完全初見の前情報なしでのテント組み立て。

 そこそこ値段の張るミドルモデルを採用したのが逆に良くなかったのか、恐らくは機能性の為に付いている諸々に惑わされ、苦戦すること30分。


 どうにかこうにか、男女別で2つのテントが建てられた。


「はぁ……なんだこの徒労感は」

「言うな。言わないでくれ」


 食事の準備の為に火を起こして、適当な棒に突き刺した魚を炙る。

 そしてそれを皆で囲んで、とりとめもなく雑談。


「で、その辺からだね。私が闘技場の覇者、なんて呼ばれ始めたのはさ」

「それってさ、今でも出来るの?」

「ん? 勿論できるよ。とっておきって奴さ」

「でもやってるところ見たことないような……?」

「まあ、正直必要になった事が無いからね。何なら見るかい?」

「おお、見たい見たい!」


 クラウンが焚火の薪を一本手に取ると、魔力で全身を覆ってから、燃えている方を掴み取る。


「な?」

「うおお、スゲェ……」


 そうやって夜は更けていく。


「なあシャーロット」

「はい?」

「本当にこんなんで良かったのか?」


 言ってしまえば、単なる雑談。思い出作りになっているとは、クイームには余り思えなかった。


「はい。勿論これで良いんです。いえ……これ『が』良いんです」


 シャーロットの微笑みは、なるほど聖女と言われるだけのことはある、美しい笑顔だった。

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