決起

「で、俺を偽物と疑った理由は?」

「お前が来た時に魔物が至近距離に来たって聖剣が言ったから」

「ふーん……あっ」


 ぼそっと零した声をアンドリューは聞き逃さなかった。


「おいなんだ『あっ』って。今のは完全に都合が悪いことが起きた時の『あっ』だったよな? 或いはそれに気付いた時の『あっ』だったよな? ちゃきちゃき話せやコラ」

「いやその、昨日の時は省いたんだけど……俺、魔王を殺した時にめっちゃ返り血浴びたんだよね。全身に」

「返り血?」

「そう。全身でぶつかる勢いで心臓を貫きに行ったからさぁ、もう下着までべっとり。多分口とかから体の中に入ってるんじゃないかなぁ」

「あー……それに反応してるって可能性か」


 可能性としては、微妙な所だ。

 何分、実際に魔王と相対した時の聖剣の反応を知らないし、魔王だけでなく聖剣についてもわからない事は多い。

 血液だけでさえも反応する可能性はこれまでの経験則としてはあり得ないが、一方で魔王という本命の存在に対して敏感であることもそう不自然ではない。少なくとも魔王が特別な存在であることは間違いないのだから、経験則を適用して良いのかは判断に困る。


 否定するにも肯定するにも材料が無い。


「……ちょっと実験するか。皆、なんか欲しいもんとかある? 今からクイームがパシリに行くから」

「パシリって……」

「じゃあ私は焼きそばパンで」

「見たことないけど?」

「俺は砥石な」

「お前も参加するの? つーか要らないだろ。何、根に持ってるの?」

「じゃあ私はその、テントを2つ……お願いします」

「ここにきてまさかの大物。つーか要らないだろ。もうあるし」


 影の世界に入ってしまえば、見張り無し騒音無し温度変化無し朝日無しと、ほぼ絶対の安全が確保される。

 しかし制限リスクの関係上荷物を全て入れるのは難しいし、かといって野ざらしにしておくわけにもいかない。出る時も入る時も本当に何の前触れもなく発動するので、そういう意味でも目隠しは欲しい。


 そんなわけで、テントというよりは目隠しとして、中古のボロいものを使っているのだ。

 影の世界に入れない荷物は相対的に重要度が低いものだし、発動の瞬間さえ隠せればなんでもいいので、仮に穴だらけになってもある程度は使っていける。

 そして今使っているのは、まあボロいはボロいが、穴が開いてるわけでも無いので、まだまだ使い倒していくつもりだったのだが。


「だって、魔王倒して魔物は散り散りになったんですよね? じゃあ相対的に野営の危険度が下がってるじゃないですか」

「まあ、野党の類を考えなければな」

「それだったら最後の思い出作りにってことで、どうかと思ったんですけど……」


 シャーロットの声は弱々しい。

 自分の言ってることが非合理の極みであることぐらい、彼女自身も重々承知だからだ。


「ふむ、確かにな。勇者パーティが解散すれば、恐らくはこのメンツが一堂に会することはもう2度とないだろう」


 傭兵、暗殺者、剣闘士、神官。

 全く違う分野、全く違う生き様のこの4人が1つのチームに集まり、そしてきっちり仲良くやってる現状は奇跡的とも言える。


「大陸全体が戦国時代な所為で、気が滅入るエピソードも多かったし……これといった楽しい思い出ぐらいはあっても罰は当たるまい。まあ、野営がそれに該当するかは知らないが」

「私も賛成だね。だって、シャーロットってこの旅が終わったらずっと気を張ることになるんだろ? 最後ぐらい自由にしてもらわないと」

「……なんか葬送みたいでちょっと気乗りしないが、そういう事なら」


 という訳で、クイーム含めて全員が賛同したことで、テント2つの新規購入が決定した。

 しかしこれは全員が使うものという事で、クイーム1人で買いに行くわけにもいかず、実験終了後に改めて全員で買いに行くことになった。


「はい、じゃあ焼きそばパンと砥石な。いってら」

「なんか釈然としねぇ……」


 そうしてクイームが部屋を出ると、やはり聖剣の声は小さくなった。


「もうこの時点で半分ぐらい確定じゃね?」

「ま、まあまあ……」

「別にそれならその方が有難いだろ。残党が傍にいるかもしれないってびくびくしてちゃあ、思い出作りにならないよ」

「相変わらずクラウンは男前と言うかなんというか……」


 流石は、女だてらに闘技場の覇者になっているだけの事はある。

 顔は切れ長の目が特徴的な綺麗系だし、高身長で筋肉質なので、たまに『ソッチ』の気がある女性が彼女に魅了される事があったぐらいだ。


 なお、クラウン本人はノーマルを公言している。


「男前といえば」

「どうしました?」

「シャーロットっていつクイームに告白するの?」

「はぁ!?」


 超絶珍しいと太鼓判を押されたシャーロットの大声、本日2度目である。


「いや、別に私はっ」

「ああいいからそう言うの。クイーム以外全員知ってるから」

「えっ」


 半笑いでの遮りに、思わずクラウンへ目線を向ける。クラウンは悲痛な表情で頷いた。


「嘘、ですよね? ど、どこで……?」

「敢えて言うなら、どこもかしこも、だけど」

「ごめんねシャーロット。でもあれでバレてないと思ってるお前にも非はあると思うよ」


 シャーロットは崩れ落ちた。


「どうして……どうして……」

「クイームはクイームでよく気付かないよね」

「あぁ、アイツ薬で去勢してるからな。対抗薬を飲めば戻るらしいんだが、そのせいで今は性欲が無い。必然、恋愛関係にもドライになるってもんさ」

「男のやさしさの半分は性欲で出来てるからねぇ……」

「その上、清らかな身の上であれ、みたいな教えがあったから、更に選考外なんじゃない?」

「選考外……」

「ああゴメン、そう言う意味合いじゃなくて」


 熱心な信徒であれば憤死しそうなぐらい、聖女にあるまじき姿をさらすシャーロット。


「でも実際問題、告白できるとしたらここから王都に付くまでだと思うよ? そりゃ、その後もクイームを主軸にしてシャーロットを守りつつ……なんて話もしたけどさ、割と気を張りっぱなしの状態で浮いた話なんて出来ないだろうし」

「ふぐぅ……」

「まあ思い出作りって言うんならさ、当たって砕けるのも1つの思い出でしょ?」

「く、砕けてどうするんですか!」

「つっても、ここで当たらないと砕ける経験も出来ないだろうし」


 シャーロット・クローディア。信仰の象徴。黄金の聖女。

 彼女の人生は生まれてからずっと教会の『物』だった。

 経典魔法というお誂え向きの魔法と、黄金に価値を感じる世俗と相性の良い美貌の抱き合わせ。おまけに親類縁者に政財的な有力者も居ないと、祭り上げて神輿にするには余りにも都合のいい人材。それが彼女だった。


 聖女の神聖性を失わないために望まぬ結婚を強要されると言う事は無いにせよ、裏を返せば望んだ結婚もまた許されないという事だ。

 これでは『聖女』という立場と結婚しているようなものだ。


 とはいえ、シャーロット本人はこれまで、この状況にそう不満を抱いた事は無い。

 当然だ。なにせ結婚を望む相手がいない。修道院は男子禁制だし、外部との接触といえば、教皇との面談と祭事の演出が精々。


 今回の魔王討伐なんて意味不明な仕事のおかげで、シャーロットの世界は随分と広がった。

 道中は命懸けで、酸いも甘いも味わった。凄惨な現場、むき出しの我欲、人間の悪意、そして仲間。全てが彼女の世界へ鮮烈に焼き付いた。

 そしてそんな純正培養の少女が、暗殺者の様な無法者アウトローに初恋を抱くのは、言っては何だがありがちというものである。


 しかしシャーロットの仕事は『大衆が望む最大公約数的な聖女像』を演じ続ける事。

 そしてその中に『恋する乙女』なんて要素は望まれていない。まして日陰者が相手では尚の事。


「つーか思い出作りがどうこうとか訳わかんねえこと言うもんだから、俺はてっきりどこかしらのタイミングでそうするつもりなんだと思ってたんだが」

「うん、正直私も。案の定クイームだけピンと来てなかったけど」

「あっ、あれ共感じゃなくて援護射撃だったんですねぇ……」


 もしかして自分が気付いてないだけで、これまでも何かにつけてそういう援護射撃を貰っていたのだろうか。知らぬは本人ばかりなりとでも言うのだろうか。


「王都までの旅路は、急げば2日、ゆっくり行けば5日ぐらいか」

「魔法使い式強行軍なら1日かからないけどね」

「まあそれでも敢えて急ぐ理由も無いんだ。かといって変に迂回して痛くない腹を探られるのも面白くないし、5日だな」

「聖剣の声をダシに出来ないかい? つまり、残党が襲ってくるように仕向けたけど来なかった、ってさ」

「それだ。これで7日ぐらいは行けるな」

「7日か……これだけあれば、何回かのチャンスぐらいは作れるね」


 己の過去の言動を見返して悶絶する、黒歴史という新しい経験を積んでいる最中のシャーロットを尻目に、着々と今後の予定を詰めていくアンドリューとクラウン。


 それに気づいたシャーロットが思わず問う。


「あの……なんでそこまで?」

「単純に見てると嬉しいんだよね。なんか、私たちには無い……純粋さって言うかさ」

「わかるわー、俺もこの年になってこんなに初心な恋愛模様を目撃することになるとは思わなかったからなぁ」

「シャーロットはこれからがしんどいんだしさ、せめて思い残すのことない様にして欲しいって言うか」

「俺とクイームは自由業だけど、お前らガチガチだもんなー」

「私はそろそろ追放されそうだけどね。元々、賭けにならないってんで、興行主から嫌われてたし」


 特に気負った様子もなく、さも当然の事であるかのように打算にもならない打算を吐露する2人。仲間だからという前提を言外に含んでの言い回し。

 流れるように雑談に移行したところから見るに、2人にとっては雑談の域を出ないほど気楽な発言だったらしい。


「実際問題、勝算ってどれくらいだと思う?」

「0、って事は無いんじゃないかな。少なくともあの子の器量で言い寄られて悪い気はしないはずさ。付き合いも長いし、何かしらの罠を疑う事もないだろう。というかその辺はアンドリューの方が詳しいんじゃないのかい?」

「いやぁ、アイツの恋愛観ってイマイチよくわからないんだよな。俺と一緒で仕事中はプロに徹するって意識はあるんだが、同時に仕事の中で適度に息抜きする事の重要性もよく理解してる。だが組織内の恋愛感情でゴタついた経験はあるらしいし、シャーロットの事をどういう目で見てるか、だろうな」

「だが私たちの仕事は、ある意味で一段落したよな? 仲間内の不和には繋がらないと思わないか?」

「確かに、今後シャーロットを守るって話は誰かから依頼されたわけでもない、言っちまえば趣味だからな。クイームが主体になってやるつもりだったんだから、シャーロットとクイームの関係が深まることはむしろ合理的ですらある」

「理に従って受け入れる可能性もあるのか……それなら拒絶された方がマシか?」

「いや、その場合はクイームも合理的でない事を理解した上でのハズだ。つまり、判断に情を介入させたという事になる。それはつまり、シャーロットの存在がクイームにとって感情面に食い込むぐらいには大きいことを意味する。今後の立ち回り次第では挽回も出来るはずだ」

「なるほど、どちらに転んでも、という訳か」

「まあそれだけの、なんというか精神的なタフさがシャーロットにあるかは微妙な所だと思うがな」

「あー……多分初恋っぽいしね。成功に転んだ方が良いのは確実か」

「まあ初恋は実らないなんて話も良く聞くが、それは努力しない理由にはならんしな」

「いやぁ、しかしこんな青春ど真ん中みたいな事するなんて、なんだか面映ゆいね」

「わかるわかる。そんなのとは完全に無縁の生まれだから、関われるだけでなんか楽しい」


 そうしてシャーロットは、こういう明け透けなやり取りが大好きだったから、このパーティで上手くやっていけているのだと、あらためて実感した。


「じゃあもうウェディングケーキまで用意しちまうか」

「保存がきかないんだから無し無し。影の世界に入れたらサプライズにならないからね。だからここはウェディングドレスを持って来てだね……」

「いやいや、今からウェディングドレスを仕立てるには時間が無いんだから、ここは大量のリボンと箱を用立ててだな……」


 そしてこういう滅茶苦茶なことを言いだすから油断ならないという事も、改めて自覚した。


「そんなことしません! 普通に、普通にいつもの修道服で行きますから!」

「おっ言ったな?」

「支援が欲しければいつでも言ってね」

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