告白

 そうして食事と雑談が一段落して、皆が寝静まる夜。

 とはいえ、所詮はテントを張っての野営である。少なくとも誰か一人が見張りに起きている必要があった。


 この手の仕事は、最初と最後が一番楽で、途中で一回起きてもう一回寝入ることになる間の人間がしんどい。

 そこでこういったことに不慣れなシャーロットを最初、クラウンを最後に決めて、間はクイーム、アンドリューの順番で見張りに起きることになった。


 日の出までおよそ10時間。

 3時間交代で回すことが話し合いで決まり、今はシャーロットが見張りの番。


 シャーロットは教会から渡されている経典を、なんとはなしに読み返して暇を潰す。

 誰かに『第何章第何節!』と数字で質問されても即座に返答する事は出来ないが、まるまる暗記して諳んじるぐらいのことは出来る。それぐらいには読み込んでいるが、今シャーロットがその経典を読んでいるのは、単に他にすることが無いという事と、自分を落ち着かせるための一種のルーティーンであった。


 今のシャーロットはある意味で経典を必要としていない。

 文字が並んでいて、落ち着けるぐらいに親しんでさえいれば、別に経典である必要はないからだ。経典の内容そのものに、あまり興味が無いと言い換えてもいい。


 さて、シャーロットは元々は修道院で純正培養された修道女であり、世間知らずの神輿でしかなかった。

 必然的に、その知識には偏りがあり、思考回路にも環境要因の偏向が強く存在する。


 しかしこの魔王討伐の旅にて、彼女はある意味で聖女としての神聖性を失いつつ、人間的に成長した。

 同時に、自分が定期的に援護射撃を受けるような状態であったことを自覚したことで、この見張り番の順番にも援護射撃の意味合いが存在することを察していた。


「シャーロット。交代の時間だ」


 男用テントから這い出てきたクイーム。

 やはり暗殺者。暗部の出身という事もあって、この短時間でも入眠と起床は早く、手慣れている。


「分かりました」


 経典を閉じたシャーロットは、薪を一本追加して、女用テントに入る……と見せかけて、もう1つ新しい椅子を持ってきた。


「うん? どうした?」

「少し……その、おしゃべりしても良いですか?」

「それは、まあ良いが……」


 クイームの隣に椅子を置いて、焚火に当たる。

 シャーロットが椅子を運ぶのを見ながら、クイームは自分の影から虫や動物の影を生み出し、そこら中にバラまいていく。


 この影が襲撃者を自動迎撃する……なんてことは無い。

 そもそもクイームの孤影魔法は、影の世界を生み出すために攻撃力を失っている。迎撃なんてことはできない。

 しかしこうして生み出された影は間違いなくクイームの魔力であり、クイームの一部だ。例えばこの影がクイーム以外の魔力を感じ取れば、その違和感は確実にクイームの元へ届けられる。破壊でもされれば更に間違いないし、その為にこれらの影の耐久力は紙の様に薄く、例え魔力の無い人間でも容易く破壊できる。

 影で出来ているので、夜闇に幾らでも紛れられる点も素晴らしい。


 確かに攻撃力があればもっともっと便利になるのだが、同時に影の世界の方がずっと便利だとクイームは考える。


「野営して、不寝番で雑談か……加入してすぐの頃を思い出すな」

「ええ、そうですね。あの頃は、まだまだあなたを信用出来てなくて、影の世界で夜を明かす、なんて無防備なことは出来ないって感じでした」

「ははは。そう言えばそうだった。なんか、妙に信用してる風なアンディが理解できないってツラしてたな」


 アンドリューは傭兵で、クイームは暗殺者だが、両者の流儀は意外と似ている。 

 言うなれば、仕事の間はノーサイド。過程で生まれた恨みつらみも水に流すし、1つの案件で一緒くたに雇われれば協力も惜しまない。 


 そして二人とも、ただ働きはまっぴらごめんだ。


 『熟達の暗殺者なら、仕事として引き受けた以上は完遂するまで裏切らないだろう』という発想は、当時のシャーロットにはなかなか受け入れがたいものだった。クラウンも若干ピンと来ていなかった。


「それで夜の見張りを交代するときに、まさかいきなり懺悔されるとは思いませんでしたよ」


◆◇◆◇


 3年前。クイームが勇者パーティに加入してから、最初の野営の夜。


 現在と同じ様に、シャーロット、クイーム、アンドリュー、クラウンの順番で見張りに立つことが決まって、シャーロットとクイームが交代するとき。


「交代の時間だ」

「……そうですか」


 手早く経典を閉じてわきに抱えたシャーロットは、そそくさと女用テントに向かう。


「では、後はよろしくお願いいたします」

「待て。いや、待ってくれ」


 元々育ちの良いシャーロットである。その上、仮にも聖女と呼び声高い立場で生きてきた。呼び止められて無視が出来る程、冷淡にはなれなかった。


「……なんですか」

「実は、以前から聖職者とプライベートで接触したら、聞いてみたいと思っていたことがあるんだ」


 文言だけ聞けば、まるで全能のパラドックスかなにかを自慢げにひけらかし、聖職者の論理的破綻をあげつらう様にも思えたが、しかし表情と声色から、全く違う意味合いなのだと察する。

 それは例えるなら、祈りや懺悔に近い何か。


 そうとくれば、表向きは敬虔な信徒にして聖職者であるシャーロットに断りの言葉は無かった。


「お聞きしましょう」

「……教会の教えにおいて、神は、自らを信仰するものを、自分の国の民として、死後に迎え入れると仰っている」

「そうですね。経典には、そのように読み取れる記述があります」


 神学の話か?

 だとしても、暗殺者、殺し屋が?


「そして、真なる信仰とは、日々の行いにこそ表れる。過ぎたる悪行には、審判よりも先に天罰が下る。とも仰っている」

「はい、そうですね」


 話が飛んだ。

 自分の中でもまとまっていないのだろうか? 追い詰められた者の懺悔には、得てしてそういう雰囲気があるものだが。


「その上で、教会は魔法使いの力を神の奇跡、神の恩寵と言っている」

「まぁ、はい」


 ちなみに、この部分については、経典に記述されていないのがミソだ。

 悪し様に言ってしまえば、教会が神の威光を借りて適当なホラを吹いているわけである。


 しかしながら、聖職者、ひいてはその集合体である教会とは神の代弁者である。

 神学どころか文字すら解さないその他大勢の民衆にとって、彼らの発言をそのまま神の御言葉と解釈することは必然だった。


 一方で、聖女として恥ずかしくない教育として読み書きを覚え、経典を読み込んでいるシャーロットには、教会が経典に無い事を言い出していることを知っているが、教皇などに忖度して告発出来ない。

 そもそも、将来的にはそのような記述が存在する経典が『発見』されるだろう、という推測もある。


 そんなわけで、その部分についての言及に対し、シャーロットはあまり言葉を持たないのだった。


「俺は暗殺者だ。金のためなら善人も悪人も殺してきた……だが、俺が殺した人間が浮かべる、苦悶と絶望のあの顔は……善人も悪人も、同じだった」


 シャーロットは改めて腰を据え、その独白を聞き入れる。


「冷たくなっていく体、光を失っていく瞳、止まる心臓、広がる瞳孔……そのどれもが神の国にご招待、なんてご機嫌な代物じゃあ無かった」


 シャーロットは人の死体を見たことが無い。

 正確に言えば葬送の儀式のときに何度か見たこともあるが、それは死に化粧によって飾られ、専門家の手によって傷なども縫合されている、いうなれば検閲済みの死体だ。


 まして生者が死者になるその瞬間、衰弱でも病死でも無く、凶刃によって倒れる人間など想像も出来なかった。


 そんな彼女に叩きつけられる、暗殺者のリアル。


「何百何千と殺人を重ねてきた。生きる為でも無く求道のためでも無く、ただ老後の貯金が不安だから、なんて理由で、だ。あんな絶望的な苦痛を他人に強いる行為が悪行でないわけがない。少なくとも善行ではないだろう? だが飛び切りの悪行だ、天罰が下ってもおかしくないはずだ」


 なのに、と呟いて、クイームは影の獣を生み出し、影の中からナイフを取り出す。


「なのに、俺には天罰どころか、神の恩寵が宿ってやがる」


 その声色はどこかおかしそうで、口元がほんのわずかに歪んでいた。

 そして影の中に獣とナイフを沈めて、クイームが言う。


「教えてくれ。あんたら教会の言う、神ってのは何なんだ? 俺みたいな殺人鬼に恩寵を与えて、必死こいて祈る人間を放置する神は、一体どういう存在なんだ?」


 クイームは、善人ではない。経緯はどうあれ、暗殺者などという生業を選んだ以上、その選択が善であることは決してあり得ない。

 しかし同時に、悪人とも言い難い。彼本人が殺人、ひいてはそれ以外の悪徳全般を望んだことは一度も無いのだ。彼はただ、望まれたままに殺しているだけで、その本質はナイフのような道具に近い。ナイフで人が刺し殺されたところで、ナイフが逮捕される事は無い。


 そして彼には、魔法という恩寵があった。

 その恩寵が、まるで免罪符の様に彼の行動を肯定してしまう。


 暗殺者が選択肢に入る恵まれない生まれと、魔法という恩寵を賜る恵まれた生まれ。

 何の因果か、そのスキマに生れ落ちた人間こそ彼だった。


 そんな数奇な運命を辿ったからこそ至る、神への疑義という不遜。


「……」


 さて。

 この時のシャーロットにはいくつかの選択肢があった。


 1つ目は、模範的な聖職者らしく、経典の適当な部分を引用しつつ、遠回りな表現を多用してなんとなく解決した様な気分だけ与える事。


 2つ目は、模範的過ぎる聖職者として、天に唾する愚か者に天誅を下さんと攻撃する事。現実的に可能な事であるかどうかはさておいて。


 3つ目は。


「そう、ですね……」


 シャーロットは経典を撫で、自分が高揚していることを自覚した。

 なぜなら、シャーロットは聖女として教会における信仰の象徴として扱われているが。


「私も、そう思います」


 教会の語る神など、これっぽっちも信じていなかったからだ。


 3つ目は、己も神への疑義を抱く不遜者であると、告白する事。


◆◇◆◇


「いやぁ、あの時はビビったよ。まさか信仰の象徴として祭り上げられる最も尊き使徒様が、『神なんて信じてない』だからな」

「いやはや、なんだかんだでみなさん敬虔なものですから、つい同志の存在に興奮してしまって……」


 教会の教えは極めて広く普及しており、切った張ったのアンドリューも、闘技場で飼い殺し状態のクラウンも、程度はともかく、信徒と言って間違いない。

 宗教と言うのは普遍的に、倫理観や情操教育などにも使われるので、言動や価値観の多くにその痕跡が残っているのだ。


 そしてこの戦国動乱の時代に、いつまでも神がどうの世界がどうのと哲学する様な、言ってしまえば暇人はいないのだ。

 皆が皆、今日を生きる事に必死で、常識を疑うなんて手間な事をやってられないのだ。まして、その常識の全てを担保する神の存在を疑うなど。


 そんな世界の中で、神への疑義を抱くことになったこの2人。

 自分には疑わしくてしょうがない価値観を、誰も彼もが何も考えずに受け入れている事実と、そこからくる孤独感。

 どちらも一般大衆から大きく逸脱した出生と人生だったために至ったその境地に、自分以外の人間が居た事に対する感動。


 この2人が強い友情で繋がり、或いは身を挺して守ろうとするほどの間柄になった源流には、そう言うシンパシーがあった。


「不思議ですね……」

「何が?」


 影の世界から何かを取り出そうとして、足元をごそごそやっているクイームが問う。


「教会の言う神に、疑ってかかる人間なんて、それこそ少数派中の少数派ですよ? なのにそんなのが、勇者パーティなんて4人しかいない所に2人も居て、それを隠すことなく告白してる、だなんて」

「あぁ……確かにな。確率論で言えば、現実的には無視しても良いってぐらい薄い確率だ」


 これは嫌いな言葉だが、とクイームが前置きして。


「運命、って奴かもな」


 その言葉を聞いたシャーロットは、しばらくその響きを口の中で楽しんでいた。

 だから、いきなり突き出されたそれに、一瞬だけでも面食らってしまった。


 それは、白い円筒状の物質。


「……マシュマロ?」

「街でなんかパシることになっただろ? その時に自分用で買ってた奴さ」


 シャーロットは『それってミックスナッツよりも絶対に私向きのチョイスでは?』と思わなくもなかったが、適当な棒に突き刺さったマシュマロを差し出されたので、ここは一旦許すことにした。


 焚火から程よく離れた場所に枝を突き刺して、上手く火が通るのを待つ。


「クイーム」

「どうした?」


 しばらく無言になった所で、シャーロットが切り出した。


「私は、貴方の事が、1人の男性として、好きです」

「……えっ」

「私と、交際してください」

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