第11話

「――お話は、わかりました。あなた――、白鳥さんは突然幽霊が視えるようになって、成り行きでその幽霊がこの世に留まっている理由を探していると」


 陽の光の侵入を許さない寺務所には、クーラーから吐き出された人工的な冷気で満たされており、火照った体に纏わりついた熱を奪っていく。

 他に人もいない。

 静寂と線香の香りが漂う中、住職が噛み締めながら確認したそれに、僕は頷き返す。


「そうなんです。何か、彼女の未練についてアドバイスとかありませんか?」


 隣に座っている化野を見ながら、助言を請う。

 お寺の住職といえば心霊関係に対してのスペシャリスト。ネットにはそう書かれていたし、僕自身もそう認識していた。とは言え、今までお世話になったことはなかったし、幽霊も信じる口ではなかったのでその事実を確かめることもなかったけど、そういった前提もあってか勝手に期待してしまう。

 化野のことについて、目的地を定めてくれるんじゃないかと。


「……そこに、件の霊がいらっしゃるんですね?」

「……? はい、僕の隣で座ってますけど……」


 何故そんなことを尋ねるんだろうか。自己解決できそうな疑問が浮かんで脳を占める。

 あるいは、理解を拒んでいたのかもしれなかった。だから、わからないフリをしていたんだと思う。

 期待していたかったんだろう、住職から直接その言葉を聞かせられるまで。


「残念ながら、私にはその方のお姿が視えません。会話もできず、声も聞こえません。ですのでその方が何を抱え、どうしてこの世に残っているのか、お答えできません」


 申し訳なさそうに紡がれたそれを聞いて、身構えていた体は弛緩する。同時に、なんとなくこうなるんじゃないかと思ってしまった。

 覚悟していなかったと言えば、嘘だ。化野が僕以外の誰にも視えず、彼女の存在を肯定してくれない世界。そうなることは、容易に想像できた。

 寧ろここで視えていると言われた方が、自分にとって都合が良すぎると変に勘ぐってしまうほどだ。

 住職の言葉を耳にした時の、全身に走っていた変な緊張感は今はない。どれほど想像通りの展開だったとしても、真実を告げられる時はどうにも落ち着かなくなってしまうけど、諦観が僕の思考を冷静なものに揺り戻した。


「……そう、なんですね。すみません、わざわざ時間も取ってしまって」


 自分で放ったそれは、抱いていた期待を区切るためのモノ。変に希望を持ってしまうから落胆するし申し訳ない気持ちになる。折り合いをつけるという意味では、話しを聞けて良かったとすら思える。

 専門家にどうしようもないのなら、ここにいても仕方がない。そう結論を出して立ち上がろうとした僕を、住職が引き留めた。


「あの、差し支えない範囲で教えてほしいのですが」

「……? なんですか?」

「白鳥さんが視えているという幽霊について、どういった方なんでしょうか」

「どういった方って、普通の可愛らしい女の子ですよ。髪は薄いベージュ色のボブヘアーで白い制服と青いスカート、背は僕よりも二十センチぐらい低いですかね。よく笑ってくれる、楽しい人です」


 ありのままの特徴を告げる。横目で化野の方を見てみると恥ずかしそうに照れた様子を浮かべていた。気持ちはわかる。僕だって急に特徴の良い部分を挙げられるとそんな反応になるだろう。

 しかし反面、住職はというと難しい顔をしている。今の会話で引っ掛かる部分なんてないはずだけど、何か思い当たる節でもあったのだろうか。


「……その、お名前は聞かれてますか?」

「名前、ですか」


 今度はちゃんと化野の方へと顔を向ける。ホイホイと許可なく他人に名前を教えるのも憚られるので、彼女に許可を求めるための視線だった。

 化野はしっかりとその意図を汲み取ってくれたようで、真剣な表情で首肯した。それに頷き返して、僕は住職に彼女の名を告げる。


「名前は、化野 幽。僕と同じ高校に通ってた、当時一年生の女子生徒です」


 そこまで言って、住職はその顔の皺をさらに深くした、ように見えた。

 実際は難しい顔のまま、そうですか、と一言発したきり黙り込んでしまって、その人の心境の機微も図れなかった。ただ少しだけ残念そうな顔をみせていたように、僕には映った、

 壁掛け時計がかちりと音を立てて、時が進んだことを報せる。クーラーの無機質な駆動音が室内を満たす中、やがて住職は言い辛そうに口を開いた。


「幽さんは、まだこの世を彷徨っているのですね」

「……今もここにいますよ。証拠を見せろと言われたら困りますけど」

「いえ。疑っているわけではありません。白鳥さんがわざわざそんな嘘を吐く理由も、ありませんから」


 住職は言葉を選ぶように吐き出して、それから僕の隣へと視線を移した。化野が座っている、その方向へと。


「祥月命日、化野さんの家へと法要に赴かせていただいています。それから毎年、ご家族の方がこちらにお墓参りをしに来られてまして。生前のお写真と白鳥さんが仰られた特徴とも一致していたので、驚きました」


 口調は穏やかで静かだ。けれどどこか寂しそうで、哀愁を漂わせている。

 それから僕は、別の部分に思考を奪われてしまっていた。化野を知る人物が、ちゃんといるということ。そして、彼女がやはり死んでしまっているということ。それら事実を突きつけられて、胸の辺りがじわりと痛んだ。

 何を言うべきか、迷っている間にも住職は首をゆるゆると横に振った。


「これだけご家族に想われているのですから未練もないと、能天気にもそう考えてしまっていました。申し訳ございません」

「――住職さんは、何も悪くありません」


 ソプラノの声が鳴った。

 頭を下げた住職へ、化野がそう言葉を返していた。身を乗り出して、声と表情で苦しそうに訴える彼女を、しかし彼は知覚できない。

 声も届かないし、視ることも触れることもできない。

 この場で、僕だけが彼女の今を知れている、のに。

 ただ、胸に手を充てながら辛そうにしている化野に、どうしてやることもできない。


「私が、この世に留まってるのは、私のせいですから……」

「化野……」


 そんな、意味も持たず相槌でもなんでもない言葉を、送ることしかできなかった。彼女の気持ちがわからないのだから当然だと言い聞かせるけど、それは僕の胸中をより苦しめるだけで、何の気休めにもならない。

 結局、自分を正当化させたいだけの偽りの反応をしているだけ。

 僕は化野の方を見れなかった。


「……幽さんは、何か言ってらっしゃるのでしょうか」

「え、ええと。住職さんは悪くない。悪いのは、この世に残ってる私だって……」

「――そうですか。幽さんは、ご自分のことよりも他者のことを考えられる、お優しい方なのですね」


 憑き物が落ちたように、彼のその顔には晴れ間が覗いていた。それから化野と僕の方を交互に眺めて、にこやかに微笑んでみせた。


「幽さんがこの世に残した未練。それについてはわかりません。ですが白鳥さん、あなたにだけ視えるということは、幽さんの抱いている未練を解消できるきっかけは、白鳥さんにあると思います」

「……僕、ですか?」

「はい。あなたと幽さんの間に見えない繋がりが、あるはずです。それを探してください。そうすれば、きっと幽さんの望む通りになるでしょう」


 住職の声は優しくて落ち着いていて、耳を通して脳に馴染む。けど、その言葉の意味を咀嚼するとなると、うまくいかない。

 化野へと視線を送ると、彼女もまた心当たりのない様子で首を傾げている。そんな僕たちを嘲笑うかのように、またも壁掛け時計の長針はかちりと音を立てた。

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