第10話
化野と立てた計画はおおよそ単純なものだった。
思い残したことに見当がつかない以上は、行動あるのみ。だけど、かと言って手当たり次第に色々と試していくわけにもいかない。そんなことをしていると、夏はおろか、この一年で終わるかどうかも怪しい。
そこでまずは幽霊の専門家に見てもらおうという運びとなった。
つまり、寺の住職。ネットとかで調べると、そういった霊的現象の悩みや話を聞いてくれるようで、僕たちは近所にあるお寺に赴いていた。
「化野も何か飲むか?」
と、その前に通りがかりにあった自販機で水分を補給する。燦々と降り注ぐ熱気に耐えきれず体は限界を迎えようとしていた中、ポツンと佇むその無機質なオアシスは常世の楽園かと思えてしまうほど。
適当に麦茶を購入しながら、化野にそう問いかけるものの彼女はと言えば難しい顔をしていた。
「私、飲み物飲めるんですかね?」
「え、どうなんだろな……? 試してみるか」
物理的な水滴とかは通り抜けていったわけだから何かを飲めるとも思えないけど、まあ物は試しだ。
僕はもう一度麦茶のボタンを押して、出てきたそれを取り出し化野へと手渡す。
「……えっと、掴めませんね」
「だろうな」
彼女がどれだけ渡されたペットボトルを受け取ろうとしても、星を掴むようにすり抜けるばかり。その時点で結果は推して知るべしだろうけど、一応最後まで試してみる。
「ほら」
ペットボトルの蓋を開けて、飲み口を彼女の口元へと宛がう。化野自身で物を掴めないわけだから、ちゃんと目標地点に添えられてるか自信はなかったけど、どうやら上手くいっているらしい。
彼女はその小さな口を僅かに開き、まっすぐに僕を見つめる。いや、僕のことは見なくてもいいんじゃないかと思わなくもないけど、とはいえ目を瞑ってもらうのも違う気がする。
結局僕はそのまま、ゆっくりと口の開いたペットボトルを傾けていき、彼女の喉へと注ぎこむ――
「……やっぱ零れちゃったな」
案の定、というか予定調和というか。ペットボトルから滴った麦茶は彼女の体へと消えていくことはなく、ただ落ちてアスファルトの色を濃くするだけ。
化野はそれを見て、バツが悪そうな顔をする。
「もったいないことさせちゃいましたね、すみません」
「謝ることじゃないって」
「でも、麦茶二本目になっちゃいましたし……」
「いや、正直暑すぎてさ。一本じゃ足りなかったんだ」
強がりでもなんでもない、率直な意見を述べながら、最初に購入した麦茶を一気に飲み干してみせる。
乾ききっていた全身へと巡るように水分が満たされた感覚があって、少しだけ気力が回復したような気がした。
「じゃあ、向かおうか」
「はい!!」
アスファルトに零れた麦茶の残滓は既に跡形もなく消えている。再び歩き出した彼女の後ろをついていきながら、ふと片手で存在感を放つペットボトルに思いを巡らせた。
まだその中にはたっぷりと麦茶が入っている。化野のために買ったものだ。結局彼女はそれを飲めなかったわけだけど、それは別にいい。
問題は僅かに芽生えた疑問、というか精神的な障壁とも言えるもので。
この場合、つまり僕がこのペットボトルに口をつけて飲むと、化野と間接的に触れることになるんじゃないか。
化野は幽霊だ。実際にペットボトルに唇が触れたわけじゃない。当然、そんなことはわかってる。
思春期もとうに置いてきたような高校二年生。そんなことを気にする歳でもない。
でも、そうは思ってもどうしても想起されるのはペットボトルに口をつけたように見える化野の姿。理屈じゃない。感覚として、それはどうなんだろうと気にしてしまう。
あれこれと悩んだ末、導き出した答えは飲み口に触れずに飲む、という根本的な解決になっているか不明な結論。一方で悩んでいることなんて露も知らない化野のことを追いかけながら、僕たちは目的のお寺へと足を踏み入れたのだった。
◆
お寺に入ると、それまでうるさかった夏の声は鳴りを潜めて、天蓋から降りる暑さだけがその場に残った。
周囲に他の参拝者は見当たらない。静謐が境内に満ちていて、砂利を踏む音だけがこだまする。
灯篭が立ち並び、庭園に植えられた竹林がサアサアと吹く風の存在を報せる中、僕は箒を忙しなく動かす男性を見つけ、声をかけた。
「こんにちは。あの、お仕事中すみません。ここの住職さんですか?」
「はい、こんにちは。私がここの住職で間違いありませんよ。何の御用でしょう?」
丁寧な笑みを湛えるその顔には年齢を感じさせる多くの皺が刻まれている。禿頭に黒の法衣を身に纏う姿は神聖そのもので、こちらも背筋を伸ばしてしまう。質問に対してまっすぐに僕の顔を見つめ返す住職に、少し気後れしながらも切り出した。
「その、変な話かもしれないんですけど……。幽霊とかの相談って、聞いてくれますか?」
「内容にもよりますが、日常生活でそういったお困りごとが?」
「えっと……、僕が困ってるというよりは、その幽霊が困ってるっていいますか。どんな未練があるのかとか、教えてほしいんです」
客観的に見て、何を言っているのか自分でもわからない。
こんな突拍子もない話を聞いてくれる人などいるわけもないだろう。半ば諦め気味にそう伝えたものの、住職から返ってきた言葉は至極真面目なモノだった。
「……なるほど。こんなところで立ち話もなんですから、寺務所で聞きましょう。どうぞこちらへ」
一礼した後、男性は踵を返し静かに歩き始めた。まさかあっさりと信じてくれるとは思っておらず、思わず僕と化野は互いに顔を合わせる。
もしかすると意外と早く心残りについてわかるかもしれない。そんな期待感と共に、僕たちは住職の後を着いていった。
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