第2章(5)「決意」
「狭い部屋でごめんね、空いてるところに座って」
ミナは商店街で出会った少年とともに、リョウの自宅へと来ていた。
少年の件をリョウにも相談したかったが、少年を自分の家で保護するには両親への説明が面倒で、リョウを呼び出して外で話すとリョウが不審者で職務質問されてしまう。
折衷案が一人暮らしのリョウの自宅で話をすることだった。
ただ女子中学生が、信頼している人物とはいえ一人暮らしの成人男性の家に行くのは、流石に駄目だろう。ミナは両親に、友達と会ったので少し話してから帰ると電話で嘘をついた。
リョウの自宅は、一人暮らしで間取りが狭いにも関わらず、撮影機材と思われる何かしらの機械が散らばっており、お世辞にも綺麗とは言えない。
ただどこかリョウらしい部屋だなと、初めて彼の家を訪れたミナは少しだけ微笑んだ。
「こんなものしかないんだけど」
リョウはグラスに注いだコーラと、ポテトのお菓子をテーブルに出した。ミナはそこまで詳しくなかったが、いかにも成人男性の家に置いてあるものだ。
本当にこんなものしかないんだなぁとミナは感じていた。
「それできみ、名前は?」
リョウはミナの連れてきた少年に視線を向ける。
少年は少し緊張しているようだった。突然見知らぬ男性の部屋に来いと言われて、緊張するのは当たり前だろう。
ミナとリョウは彼の言葉を、優しげな表情で待つ。
その様子に少年も少しリラックス出来たのか、緊張の表情は浮かべながらもようやく口を開いた。
「
「分かったよナヒロ。俺は
「わかりました、リョウさん」
少年――ナヒロがようやく微笑みを見せてくれて、リョウも作り笑いから自然な笑顔を浮かべることが出来た。
「それでナヒロは、どうしてミナのもとに?」
リョウがそう尋ねると、ナヒロと名乗る少年は今度はミナの方へと向き直る。
少年の大きな目で作られた可愛げのある真剣な表情に、ミナは目を逸らせなくなった。
「あの時はお礼を言えなかったので、ずっと言いたかったんです。僕を助けてくれて、ありがとうございました!」
少年は様々な気持ちを言葉に宿しながら、それでも明るくミナへ感謝を伝える。
しかしミナはその感謝を真っ直ぐに受け止める事ができず、なんだか複雑な気持ちになった。
「……感謝されるような事はしてないよ。私はあなたのお父さんとお母さんを助けられなかった」
少年から目を逸らしながら、ミナは小さな声でそう呟く。
感謝されること自体はとても嬉しい。ミナだってここまで多くの人助けをしてきて感謝されることも多く、そのたびに幸福感を感じていた。
だが今回は別だ。自分は確かにナヒロの事を怪物から助けた。だが同時に、彼の両親のことは助けられなかった。
しかも彼の両親が亡くなったのは、魔法少女ドキュメンタルの主役魔法少女たちが見殺しにしたから――いいや、それを差し引いても、自分の力不足によるものだ。
そう考えるミナには、自分が彼から感謝の言葉を受ける資格があると、思うことができていない。
思い詰めた表情をしているミナに対して、ナヒロは一瞬だけ両親の事を思い出し、瞳に影を差す。それでもすぐにミナへと向き直り、唇をぎゅっと、たくましい表情へと変わった。
「父と母のことは、僕もすごく悲しいです……でも、いつまでもくよくよしてられないなって」
歳のわりにはしっかりとしている子だな、ミナはナヒロに対してそう感じた。
いつまでもとは言っているが、あれから一週間程度しか経っていないのだ。身近な人が亡くなって、一週間で立ち直るなんて、自分には無理だと感じた。
それはリョウも同じだったようで、目の前の強い少年に対して嘆息を漏らしていた。
「ナヒロは今どこで暮らしているんだい?」
リョウは話題を変え、自分の気になっている事を尋ねた。
彼の両親が既に亡くなっているということは、彼はどこかに引き取られているはずだ。
怪物が襲うこの世界では、決して珍しいことではない。
「親戚の人のところです」
「あんまり遅くなると心配するよ」
「大丈夫ですよ、どうせ気にしていませんから」
「……気にしてない?」
リョウはミナの方へと向くと、彼女は少し寂しそうな表情でナヒロを見つめていた。
ここに来るまでに少し話をしていたミナには、彼の事情が分かっていたのだ。ミナは彼の代わりにリョウへと向き直り、説明を続ける。
「……あんまり楽しくないみたい。食事を作ってくれなかったり、家に入れてくれないときもあったり」
「そっか……」
リョウは改めてナヒロの方を向く。ナヒロはまるでそれが大した事のないように、軽くだけ苦笑いをしていた。
ネグレクトを受けている少年の出来る表情では無い。ナヒロのどこか普通の子供とは違った様子に、何が彼をこうさせているのか気になった。
ナヒロは困ったように乾いた笑いを出してから、ミナを見つめて、天使のような優しげな表情を浮かべる。
「でも大丈夫ですよ。本当は僕、怪物に殺されてたんですから。それに比べれば大したことないです」
「ナヒロは強い子だよ……お兄ちゃんも見習いたくなってくるな」
リョウは目の前の健気な少年に対して、ある種の感動を覚えていた。
自分だったらナヒロくらいの年齢のとき――いや今でさえ、あの悲劇に見舞われた上でこうやって前向きに動くことは出来ないだろう。
腕組みをしながらうんうんと頷いているリョウを、ミナは呆れるように眺めていた。
「それよりミナさん。僕は恩返しがしたくて、ミナさんを探していたんです」
ミナは自分に向けられたナヒロの声に、再び視点を彼の方へ戻される。
「恩返し?」
「助けてくれたお礼です。僕の命はもう、ミナさんのものですからね」
「……それ、ちゃんと意味わかって言ってる?」
ナヒロはきょとんとした表情で首をかしげる。どうやら分かっていないようだった。
「何か手伝えることはありませんか? 魔法少女の活動でも、僕に出来る範囲なら何でもします!」
「……魔法少女の活動」
ミナはその言葉を聞いて、心の奥底から湧き上がってきた不安に、思わず俯いてしまう。
事情を知らないナヒロはミナの顔を覗き込んだ。その唇が少し震えていたのを、彼は見逃さなかった。
「どうしたんですか……?」
心配そうに自分へ声をかけるナヒロの顔を、ミナは真っ直ぐに見ることができなくなっていた。
そして自分の中にある一つの結論を、その震えた唇をゆっくりと開きながら、紡ごうとする。
「……魔法少女としては、もう、活動しないかもしれない」
リョウもナヒロも、えっ、と声を上げて驚いた。
ナヒロの大きな丸い目がミナを覗き込む。その瞳は、ミナと同じく揺れていた。
「……どうしてですか?」
ミナは顔を少し上げて、どこか諦めたかのようにため息を一つ吐いた。
「なんだか、魔法少女って私には向いていない気がした。魔法少女はもっとキラキラしてて、みんなの注目を集めて、多くのみんなに希望を振りまく存在で……私は元々暗い人間だし、絶対に向いてないんだ」
事情を分かっていたリョウは、彼女の言葉に何も言えず、黙ってしまう。
魔法少女ドキュメンタルの現実を知ったからこそ、自分が魔法少女として活動するのが本当に辛いのだろう。ミナがどれだけ魔法少女に夢を抱いていたかよく知っているリョウだからこそ、彼女のその気持ちは分かることができた。
「――だめですよ」
しかしミナの言葉に、真っ向から対立した声があった。
口をぎゅっと結んで、可愛げを隠しきれずとも真剣な表情を浮かべているナヒロ。その瞳は少し泣きそうに揺れながらも、ミナの瞳を捉えて離さなかった。
「ナヒロ……?」
「ミナさんはれっきとした魔法少女です。少なくとも僕の中では、ミナさん以上の魔法少女はいません」
励ましの言葉でもなく、彼の本心の言葉だ……ミナはそう感じずにはいられなかった。
「……でも」
「でも、じゃありません。ミナさんは僕にとって一番の魔法少女です。やめちゃだめです。僕を助けた責任を、ちゃんと取ってください」
ミナはいよいよ何も言えなくなった。それは彼の想いが心に伝わり、自らの正しさが証明されたからでもある。
目の前の少年の存在は、紛れもなく自分が正しい魔法少女である証拠だ。
自分は確かにこの少年の両親を助けることができなかった。それも自分の力不足でだ。自分がもっと力があれば、怪物に対抗する力があれば助けることはできたかもしれない。
しかし、自分の行いは決して間違ったものではなかった。ミナはナヒロという存在に、自らの行いが正しかったことを実感する。
そんなミナの動揺を伺いながら、これまで聞いていただけのリョウがようやく口を開いた。
「……俺からもお願い。ミナには魔法少女をやめてほしくない」
ミナが見たリョウの瞳は、これまでの諦観に溢れたものではなく、ナヒロのようにまっすぐとした、若々しくも少し青臭いような、決意の込もったものだった。
リョウは放送局に勤めてから数年経つが、魔法少女ドキュメンタルの現実を知って辞めてしまう子がいないわけではなかった。少なくともリョウが知っているだけで十人以上はいる。
そして今、彼女もそんな一人になろうとしているのだ。リョウにとっては彼女の考え方が自然で、魔法少女の理想を持っている彼女であれば余計にそうだろうということも分かっていた。
しかしリョウは、今までのどんな魔法少女よりも遥かに、ミナの事を気高い魔法少女だと思っている。理想を追い求め、弱きを助けようと奮闘し、他人の幸せこそ自らの幸せで、助けられなかったものに涙を流す……そんな魔法少女こそが、リョウにとっては理想の魔法少女だ。
自分のエゴかもしれないが、ここでミナに魔法少女を諦めてほしくなかった。だからこそリョウは今、弱気になっているミナをまっすぐ見つめて、彼女が魔法少女でなくなることを止めようとしているのだ。
「さっきの電話で、言えなかった事があるんだ。ミナをどうして魔法少女ドキュメンタルに推薦したかって聞いてくれたよね」
「……うん」
リョウは一度深呼吸をする。胸に当てた拳が、心臓の音をうるさくリョウに伝えている。
今から自分が彼女に伝える言葉は、少なくとも放送局に所属している人間が言っていいものではない。相手が魔力を持った魔法少女なら、余計に。
だが、リョウにとって目の前にいる魔法少女ミナが、これまで実際に出会ってきた魔法少女の中で一番の魔法少女だった。だからこそ、自分の本当の想いを伝えようと決断できたのだ。
リョウは年甲斐もなく緊張し、暴れまわるような胸の鼓動を全身で感じながら、真剣な表情でこちらを見つめるミナに、真っ向から向き合った。
「――魔法少女ドキュメンタルを、ぶっ壊してほしいんだ」
リョウは真剣な面持ちでミナを見つめる。今までに見たことがない、紛れもないリョウの本心を写した表情だ。
ミナはリョウの言っていることの真意を掴みきれずに、彼の次の言葉を待つように、驚いた口を閉ざした。
リョウもそれを把握したのか、それとも自らの想いを伝えたことによる慣性がそうさせているのか、ミナに対して言葉を続けていく。
「残念ながら一介のスタッフに過ぎない俺が出来ることは少ない。カリスマを持ち合わせているわけでもない。……でもミナなら、ミナがいてくれたら、今のくそったれな魔法少女ドキュメンタルをぶっ壊すことが出来ると思うんだ」
リョウの言葉に、ミナはあの日のいじめられていたクラスメートの様子を思い出す。
自分が助けられなかったクラスメートは、ずっと自分に助けを求めていた。自分には力が無くて、その時は彼女を救えなかった。
そして引きこもって、テレビをつけて、正義を持って人々を助けるために戦う光の魔法少女に憧れた。
今自分は、光の魔法少女になろうとしているのだ。自らが憧れたあの魔法少女として、目の前の2人を救う力があるのだ。
「……わかった」
ミナはゆっくりと、本当にゆっくりと頷いた。
リョウとナヒロの表情が一気に明るくなる。ミナの左目から、涙がつぅっと流れていた。
「――日曜日の朝を、ぶっ壊しにいこう」
ミナの瞳が、モニターでずっと見ている憧れの光の魔法少女の瞳と重なった。
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