第5話 尾行 上


 

 夜の街は、昼間の喧騒を忘れたように静まり返っていた。

 大学の講義を終え、いつもの道を駅へ向かって歩いていた――はずだった。


 けれど、視界の端に、見慣れた後ろ姿が映る。


 ──水瀬梨花。


 肩に黒いトートバッグ、足早に歩くその背中。

 向かう方向は、いつもの駅前ではなく、細い裏路地の方角だった。


 ……なんであんなとこへ?


 俺は足を止め、少し距離を取ってついていく。



 実を言うと、こうして人の後をつけるのは、これが初めてじゃない。

 高校時代、俺は何度も“尾行”をやっていた。

 

 ──原作の主人公とヒロインのイベントを、生で観察するためだ。趣味みたいなものだ

 昼休み、放課後、文化祭の準備期間。

 陰から二人の動きを追い、イベントがどこで起きるのか、どう展開するのかを確かめた。

 おかげで「死角を使って距離を取る」「人混みで自然に視線を切る」といった技術は、妙に身についてしまった。


 まさか大学に入ってから、このスキルを再び使うことになるとは思わなかったけどな。



 梨花は一定の速度で歩き続ける。

 繁華街を抜け、ネオンがまばらになるエリアへ。

 通り過ぎる人影も減ってきた。


 俺は少し緊張を覚える。

 夜の裏通りなんて、女性一人で歩く場所じゃない。

 それも、あいつは最近やけに疲れた顔をしていた。

 ……嫌な予感が的中していなければいいが。



 やがて梨花は、古びた雑居ビルの前で立ち止まった。

 薄暗い階段の奥に「求人受付中」と書かれた紙が貼られている。


 俺はビルの向かいの自販機横で立ち止まり、スマホをいじるふりをして様子を窺う。

 梨花は少しだけ躊躇したように見えたが、やがて覚悟を決めたように中へ入っていった。


 ビルの中からは、低い笑い声が漏れてくる。

 ……嫌な雰囲気しかしない。


 俺は深く息を吐き、階段を上り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る