第十四話 客室「葵」その二 side:鈴木朔太郎
「七瀬先生、ちょっといいですか」
僕は天体観測の後、七瀬先生に声を掛けた。行きの電車の中や旅館で読んだ本の内容や、スマートフォンで調べたこと、そして、民話の集いで語られた高木町の人魚伝説や怪談話。
僕はこれらをノートにまとめて、天体観測の間に考えたことを七瀬先生に打ち明けることにした。何がおかしいのか、はっきりわからないが、正直、ミハエルさんの通訳には、不自然なところがあった気がした。民話の集いの最中、皆は普通にミハエルさんの話を聞いていたが、七瀬先生だけ、ずっと何かを考えこむような、そんな表情をしていた。七瀬先生なら、きっと僕の考えている事に共感してくれる、そんな気がする。
「鈴木君。どうしたの」
七瀬先生は振り返り、長い黒髪が揺れる。今日はポニーテールではなく、半分だけ髪の毛をアップにしている。
「ここでは、話しにくいので、フロントのそばのソファーで話しませんか」
僕はゆったりと話せる場所を選んだ。
僕らはソファーに座り、僕はノートを開く。
「七瀬先生。先生は、あの民話の集い、どう思いましたか」
「どうって、どういう意味。私は興味深いなと思ったわ」
「僕は、何となく、ミハエルさんの通訳に違和感を覚えました。何かそぐわないというか、必要な言葉が翻訳されていないというか」
「そう……。私も何となく感じたよ。タチアナさんは『ルサルカ』のあとに『ヴァジノイ』って言ったように思って、何だろうとミハエルさんの通訳に聞き耳を立てていたんだけど、結局わからなくて、ミハエルさんの意訳なんじゃないかと思ったの」
七瀬先生は、静かにそう言った。
「『ヴァジノイ』は多分、ヴォジャノーイの訛ったものと思います。ヴォジャノーイは、男の水の精で、女の水の精であるルサールカを妻とするという伝承があるみたいです」
僕はノートの該当部分を七瀬先生に指で示す。
「ミハエルさんの通訳ですが、タチアナさんがこの場所に『伝承が息づいている』と言ったのを覚えていますか」
七瀬先生は、静かに頷く。
「滝子さんの『人魚流し』の話が、その伝承であると考えれば、滝子さんの話が、そのままロシアの民話として通用するんです。これを見て下さい」
僕はスマートフォンに保存していた画像を七瀬先生に見せる。
「これは、どういう絵なの」
七瀬先生は、まじまじと画像を見る。
「これは、ロシアの画家、イヴァン・クラムスコイが十九世紀後半に描いたMarmaids、ルサールカ達という絵画です。この中央にいる女性たちが皆、ルサールカです」
「これって……。あの人魚流しの怪談の一場面に似ている……」
「そうなんです。ルサールカには両足があるんです。つまり、あの怪談で海から山を目指していた娘たちが全てルサールカであり、竜神様というのが、その娘たちの夫であるヴォジャノーイであると考えれば、そのままロシアの民話に変わるのです。それに、ルサールカは豊穣の神という一面もあるようで、娘をルサールカに仕立て上げることで恵みをもたらしていたとするならば、これはロシアの伝承なんです。それにルサールカには水場と森の二か所を移動する性質があることも再現されています」
僕は興奮気味に、七瀬先生に話してしまう。やはり、柳井先生はすごい。きっと高木町の面白いものというのは、この事だったんだ。
「それじゃ、ミハエルさんが通訳してくれた人魚の話というのは、ロシアの民話じゃないってことなの」
七瀬先生は訝しんだ目で、僕に聞いてきた。
「いえ、ロシアにもローレライのような人魚の話は伝わっていると思います。最近の映画でも、人魚型のルサールカが登場しているみたいですし、オペラとかでも人魚姫みたいな演目でルサールカが登場する事があるようです」
僕はスマートフォンで調べた内容をノートに走り書きしていた。それを七瀬先生に示した。
「それは、つまり、最近のルサールカは私たちの知る人魚のようになっている。そういうことなの?」
「おそらくは。僕が大城大学の柳井教授から借りた『ソモフの妖怪物語』には、ウクライナの伝承を元に、旧来のルサールカが描かれていて、十九世紀前半の作品です。そして、先ほどの絵画が十九世紀後半。ルサールカが人魚姫として描かれたオペラが二十世紀に入って演じられるようになったということから、そう考えられます。タチアナさんがおばあさんから受け継いだという民話がいつ頃のものなのかを考えると、今から百二十年以上前、二十世紀以前のものではないかと」
僕は大胆な仮説を披露した。タチアナさんのルーツがたまたまローレライの伝承のある地域だったら、昔から人魚型のルサールカとして親しまれていたのかもしれない。でも、ウクライナに近い地域の伝承であれば、多分、僕の仮説に近いはずだ。
「それって……。ミハエルさんが民話を騙った、ということなのね。でも、何のために」
「わかりません。足を持つルサールカを隠したかったのか、水辺と森のサイクルを持つことを隠したかったのか、あるいはその両方なのか」
僕が質問した時、ミハエルさんの挙動が一瞬変だった気がした。どうして民話を偽るのか、僕にはわからない。
七瀬先生の方を見ると、何かを考えているようだった。そして、
「色々参考になる話をしてくれてありがとう。夜はこの辺りを出歩かない方がいいかもしれない。特に不審な女の子を見たときは近づかないように。」
と、僕に忠告した。
僕は七瀬先生と別れた後、一人で温泉に入り、部屋に戻った。
部屋には既に布団が敷かれており、物部はテレビを見ながら寝そべっていた。飯田君は、カメラの手入れのために、机の上にクロスやブロアー、クリーナーを広げていた。
「布団ありがとう」
僕が飯田君にそう言うと、
「いえいえ、物部先輩が鈴木の分も敷いておくぞって言ったので、お礼を言うなら物部先輩に」
と物部の方を見た。
「物部、ありがとう」
僕は初めて物部に礼を言った。
「あぁ。ところで、鈴木。ここで言うのも何だが、進路って決めたか」
物部は振り返って僕の方を見る。
「一応、決めた。地元を離れて、遠くの大学で民俗学を学ぼうと思う」
僕はまっすぐ物部の目を見る。柳井先生は凄い。だからこそ、その師匠の元で学んでみたい。今は、そう強く思えた。
「それで、その大学は?」
物部は尋ねる。
僕の口から、日本の最高学府の名前が出た時、物部は意外なことを言った。
「俺もそこに行きたいと思っている。美月先生は、凄いんだ。めっちゃ数学ができるし、パソコンに詳しいし、それに、美人だし。俺は、もっと宇宙のことが知りたいって思ったんだ。でも、日本で宇宙のことをやっている大学って数えるほどしかなくて、少なくとも鈴木が目指している所も候補に入れて勉強しなくちゃいけないんだ。まぁ、お前とはライバルというか、同志みたいな関係になって、少しびっくりした」
僕も驚いた。学部は違えども、物部が目指す所と同じになったのだ。
「お互い、頑張ろうな」
物部は、そう言ってニカッと笑った。
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