#書き込み戦争

要四季

#書き込み戦争

「稀代のアイドル、ネル 裏の顔流出か?!」


梅雨時、湿気がまとわりつく金曜日の朝。


朝イチで開いたスマホの画面には、そんな見出しの記事が乗っかっていた。


「えっ……」


思わず呟き、慌てて記事を開く。


「デビューして半年でファンクラブ300万人突破した稀代のソロアイドル、ネル。

SNSとTVの二刀流で活躍する彼に関する、驚きの情報がもたらされた。

その情報によると、彼は学生時代複数人の生徒を転校させるほどのいじめを行っていたようだ。

また、同時期に暴力事件を起こしていたという情報も寄せられた。

多くの女性ファンを虜にする甘い顔の裏には、真っ黒な影が隠れているのかもしれない。」


「……は?」


目に飛び込んできた情報を脳が飲み込むのにずいぶんかかった。


三回くらい目を通して、ようやく内容が頭に入ってくる。


入ってきたところで、到底信じられない──いや、信じたくない話だ。


ネル──それは、私の推しているアイドルだ。


日本人離れした整った顔に、変幻自在な歌声。流星のごとく現れた彼は、前述に加え独特のワードセンスと切れ味の良い毒舌キャラとしてあらゆるジャンルで活躍し、驚くほどのスピードでスターへの階段を駆け上がっていた。


そんな彼の、初めての不祥事。


見るのは怖いくせにどうしても気になって、震える指でコメント欄をタップする。


そこは、目を背けたくなるような罵詈雑言に溢れていた。


「早速暴露されててワロタwww」

「前から嫌いだったから助かるわ」

「もうファンにも手出してんじゃね?笑」


「……ッ」


数秒で、限界だった。


電源を切ったスマホをベッドに投げつける。


自分に向けられた罵声ではないのに、どうしてこんなにも胸を抉られるのか。


足の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。


頭の芯が痺れたようになっていて、何も考えられない。


もう、今日は動けない。そう思うのに──


「ひかり、そろそろ起きないと遅刻するわよ!」


一階から聞こえてくる母の声に、私の体は動き出す。学校をサボる度胸なんて、持ち合わせてはいないのだ。


どうしようもなく普通で平凡な自分が嫌になる。




「あ、ひかりおはよう。朝の見た?」


駅のホームでそう声をかけてきたのは、クラスメートであり推し仲間でもある加奈だ。


「おはよ、加奈。見たよ」


答えると、加奈は「そっか」と呟き、


「……あれ、本当なのかな」


と独り言のように漏らした。


「……もし本当だったら、加奈はどうするの?」


「あたしは……」


加奈は数秒俯いて考え、パッと顔を上げて私の目を見た。


「あたしは、応援し続けるよ。真実がどうであろうとネルくんがたくさん頑張ってた事実は変わりないんだし。ひかりはどうするの?」


聞かれて、思わず言葉に詰まった。


自分から聞いたくせに、自分がどうするかは何も考えていなかったのだ。


しばらく心の声に耳を傾けて、そして──


「……私もやっぱり、離れたくない」


それが、誤魔化しようのない、私の思いだ。


「そっか。嬉しいよ」


加奈がそっと微笑んだが、その顔は普段より翳りのあるものだった。


「……なんで、あんな酷いことが書けるのかな」


思わず言葉がこぼれる。


それを聞いて、加奈がホームに引かれた線を見つめながら口を開いた。


「ひかりはコメントとか書き込みしないもんね。……何を言っても自分に害はない、その安心感は凄まじいんだよ。いくらでも書いて書いて飽きたらアカウントごと消す。ネットはそんな人が溢れてるからさ」


加奈はSNSの使い方がうまくて、ネル民──ネルくんのファンの総称──として少し有名だったりする。


そんな加奈の言葉はとても重みを持っていて、鋭い痛みと共にすっと私の脳に染み込んだ。


今まで優しく輝いていた世界が、急に色褪せていくような気がした。


「……ネルくん、どんな気持ちでいるのかな」


そっと呟いた声は、静かにホームのメロディーに沈んでいった。




「はぁ……」


部屋に入るなり、顔からベッドに突っ伏す。


今日一日、ネルくんのことしか考えられなくて全く授業に身が入らなかった。


見たくもないが、見ないのも怖くて、微かに震える手でスマホを開く。


表示されたSNSは、朝と何も変わっていなかった。


「どんな気持ちで笑ってたんやろ」

「公式発表あるまで信じない」

「ネル民いい加減認めろよww」

「何してたとしても叩くのは違うよ」


じわ、と涙で視界が滲む。


肯定的、否定的な意見が入り交じっていて、もはやどちらを探しているのかも分からなくなってきたとき、スマホが軽く震えた。


それは、動画配信サイトでネルくんが動画を投稿したという通知だった。




「──きっと俺を信じられない人はいると思うし、それも責められない。でも信じてくれる人がいるのも知ってるよ。たくさん傷つけるかもしれない、それでも、これからの俺を見ててほしい」


その言葉を最後に、スピーカーから流れる彼の声が終わった。


そのまま画面をぼんやりと眺めて、タイムアウトでスマホが閉じたのをきっかけにボスンとベッドに体を投げ出す。


ネルくんが語ってくれたことは、記事と似つつも異なるものだった。


中学の時、整った顔を妬まれていじめられていた。いじめっ子に拳で反撃した。それをきっかけに周囲が手を翻し、結果元いじめっ子が無視や悪口の対象となってしまい、転校していった。


彼の話をまとめると、こういうことのようだ。


彼は暴力を使ったことや結果的にいじめをすることになったことを謝罪し、今後の活動は継続すると発表してくれた。


「はぁ……」


安堵のため息をつく。


「正直に話してくれてありがとう」

「ネルくんは悪くないよ」

「これからも頑張って!応援してます」


動画のコメントには暖かい言葉が溢れていて、今日一日でたくさん穢された心が洗い流されるような気がした。


「ありがとう。あなたが私の心の支えです」


口元が緩むのを自覚しながら、私は初めてコメントを書き込んだ。




翌日。

ベッドで目を覚ましたとき、部屋の時計は午前九時を指していた。


休日って素晴らしい、三連休なんて神、と思いながらゆっくり体を起こし、枕元のスマホを手に取る。


ちゃり、とスマホにつけたネルくんのキーホルダーが音を立てた。


きっと騒動は沈静化しているだろうと思って、いつものようにSNSを開くと──


「……なに、これ」


そこは、昨日の比ではないほど荒れていた。


「結局いじめてんじゃん笑」

「てかこれも本当かどうか疑わしいけどな」

「ネル民まんまと騙されててチョロw」


なんでこんなことになっているのか、さっぱり分からなかった。


昨日の動画を見れば、ネルくんは悪くないって分かるはずなのに。


「なんか胡散臭いんだよね。やっぱ嫌いだわ~」


「なんでこんなことっ……」


分からない。理解ができない。


嫌いなら放っておけば良い。信じられないなら無視しとけば良い。


どうしてわざわざ大勢の目につくところで、人を傷つけるようなことを書くんだろう。


「……そうだ」


どうしてそんなことをするのかと、やめてほしいと、直接言えば良いんだ。


何故今まで思い付かなかったんだろう。


「嫌なら放っておけばいいのに、なんでそんなことを書くんですか?やめてほしいです」


返信欄にできるだけ刺々しくならないように気をつけて文を打ち込み、送信する。


送信されましたという通知を見て、私は満足げに息を吐いて一階に降りた。




私はSNSというものを理解していなさすぎたようだ。


私の取った行動がが浅はかで愚かだったと分かったのは、本当にすぐのことだった。


ご飯を食べ終えて自室に戻ったとき。スマホを開いて、私は愕然とした。


今まで見たこともない数の通知がついているのを見て、私の心臓がドクンと音を立てる。


嫌な予感に冷や汗をかきながらSNSを開いた。


そこには──


「急に何やねん。誰お前」

「そんな馬鹿だからすぐ騙されんだよ」

「お前こそ嫌なら無視しとけば~?」

「ワンチャン本人なんじゃね?笑」

「本人降臨ww今どんな気持ち??」


たくさんの罵声が、私への返信として書き込まれていた。


「私も同意です。叩く意味が分からない」


時折擁護する声が書き込まれては、新たな悪意に流されていく。


だんだんと肯定派の言葉も刺々しくなっていって、そう時間のかからないうちに手のつけられない嵐へと発展していった。


(どうしよう、どうしよう……)


私は軽くパニックに陥りながら、加奈へ電話をかけた。


「もしもし、ひかり?電話してくるなんて珍しい。どうしたの?」


「加奈、加奈どうしよう。わたし……」


まとまらない私の声で加奈は何らかを察したのか、近くの公園で会おうと誘ってくれた。




「それで、どうしたの?そんなに取り乱して」


心配そうに声をかけてくる加奈に、私はスマホの画面を見せた。


そこに表示された私の書き込みと他の書き込みを見て、加奈は眉をひそめた。


「これ、ひかりが書いたやつ?」


目を合わせて聞く加奈に、こくりと頷く。


「直接言えばやめてくれるかもって思って、そしたら逆に批判する書き込みが圧倒的に増えて、それで……」


必死に言葉を紡ごうとする私を手で止め、加奈は手を顎にやってしばらく考え込んだ。


「……昨日の動画で、大勢の人が知るところになったからね。相対的に、誹謗中傷する奴らが増えたんだ。そういうのは無視するしかないって、あたしがちゃんと言っとくべきだった。ごめん」


頭を下げる加奈に、私は慌てて手を振った。


「なんで加奈が謝るの?!悪いのは私だよ。でもどうすれば良いか分かんなくて、これがネルくんの目に留まったらと思うと……」


力なく落ちた私の手を握って、加奈が真っ直ぐ目を合わせる。


「……心配しないで。あたしがなんとかしてみせるから」


そう言った加奈の声と瞳には、強い光が宿っていて。


ずっと鳴り止まなかった心臓の鼓動が、ほんの少しだけゆっくりになった。




祝日である月曜日の朝、加奈からメッセージが届いていた。


「SNS開いて、ネルくん検索してみて!」


言われるがまま、検索欄に「ネル」と打ち込む。


すると──


「ネルくんかっこいい!神の声」

「指先がもう美しい……」

「ほんと顔面国宝」

「“罪も僕の未来を作って”って今聞くと泣ける」


ずらりと表示されたのは、大量のネルくんへの褒め言葉。


それら全ての投稿には、 #書き込み戦争 というタグがついていた。


「書き込み戦争……?」


聞き慣れない言葉のセットを音にして、タグにそっと触れると、


「書き込み戦争 兵隊募集!」


と銘打たれた投稿が一番上に表示されていた。



「書き込み戦争 兵隊募集!

ネル民の中には、ネルくんの騒動が収まらないことに落ち込む人もいるでしょう。腹を立てる人もいるでしょう。

それをアンチにぶつけても燃えるだけ!なら、その思いをプラスに変えましょう!

書き込み戦争とは、悪口を一つ見るたび、ネルくんの推しポイントを書き込むこと。相手が悪意で戦うなら、私たちは愛と勇気と優しさで戦いましょう。最高の推しに輝きを!」



綴られた言葉を読みながら、勝手に涙が流れてきた。


これは、加奈のアカウントだ。加奈がたくさん考えて、行動してくれたんだ。


そう思うと、冷え切っていた心の中がポカポカと暖かくなってきた。


「ありがとう、ありがとう、加奈……」


手の甲で涙を拭って、微笑みながら書き込んだ。


「ネルくんがみんなの優しさを繋いでくれました」


もちろん、 #書き込み戦争 のタグも忘れずに。




「いやぁ、うまくいってよかったよー」


加奈がにへらと笑って言う。


「うん、本当にありがとうすぎるよ。どうなることかと思った」


真顔で言うと、加奈は照れ笑いを浮かべてそんなそんなと手を振った。


「……でも、加奈はすごいよ。あんなに荒れてたのに、たったの数日ですっかり沈静化しちゃった」


「それはネル民のみんなのおかげというか、それだけ愛されてたネルくんのおかげというか……」


加奈は一度言葉を止め、気持ちの良い青空を見上げて言った。


「ずっとさ、考えてたんだ。誹謗中傷は無視が一番だなんて、なんで言われる側が黙って我慢しないといけないの?って。あたしのアカウントでフォロワー増やせるだけ増やしてからネルくんの素敵なところを書きまくろうとか思ってたんだけど……」


加奈が私の目をまっすぐ見つめる。


「きっとそれじゃ大して効果はなかったよ。一人じゃなんもできないからさ。今回、この手を思いつけたのはひかりがきっかけだった。だから、ありがとう」


太陽のような笑顔を浮かべる加奈に、私は心から尊敬の念を抱いた。


前世は天使か聖人か、どうしたらここまで素敵な人になれるんだろう。


どれだけ言葉を尽くしても、きっとこれに報いることはできないから。


だから、私は満面の笑みを浮かべて言った。


「……実はさ、ファンミチケット当たったんだよね。一緒に行こうよ!」


「えっあの地獄の倍率潜り抜けたの?!え、しかも一緒に行かせてくれるの?!」


途端いつもの加奈が戻ってきて、私は思わず吹き出してしまった。


「え、なんで笑ったの今。もしかして嘘?!」


「そんなわけないじゃん。あー楽しみ!」


面白いくらいに取り乱した加奈をからかって、加奈が顔を赤くして。



どこまでも広がる青空に、加奈と私の笑い声が響き渡っていた。

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