雨上がりに見えたこの

レンジでチン

声を紡いで

〈ポツポツポツ〉


 その雨はいつから降り出しただろうか……ペトリコールが鼻をくすぐる。

 僕の名前は蓮城れんじょう朔夜さくや。高校一年生。未だ高校生活に馴染むことができず、一人クラスから孤立している、そんな奴だ。

 そして、僕が孤立している理由の一つが……



「雨やべー。お前傘持ってきた?」



「ねーマジで最悪なんだけど」



「残念俺は折り畳み傘持ってまーすw」



 声。


 皆が当たり前に発している、声。昇降口で人がいなくなるのを待っているだけでも、そこらかしこから聞こえてくる、誰かの話し声。雨の降る音とは違う、意味を持った音。それが、声。


 そんな声を、僕は出すことができない。


 別に障がいを持っているわけではない。出そうと思えば、出すこともできる。ただ……とある事情で僕は声を出すことができない。

 そのせいで、僕は人とまともにコミュニケーションを取ることができない。できるのは首を振る等のジェスチャーか、筆談くらいだ。

 普通に考えてそんな奴とは、仲良くなろうとも、関わろうとも思わないはずだ。でも、別にそれは当たり前だ。僕がもしの立場なら、僕は僕自身と関わろうなんて、思わない。当然の対応だ。


 でも……


(……早く帰ろう……)


 そう考えた僕は、目の前から人がいなくなったのを確認すると、靴を履き替え、傘立てから自分の傘を取り出し、昇降口を出ようとする。


〈ザーザーザー〉


(……にしても、すごい雨だな……)


 改めて見てみると、すごい雨だ。先程までは小雨程度だったのに、今では大粒の雨が大量に地面に打ちつけられている。


(……傘持ってきておいてよかった)


 今朝の天気予報を見ておいてよかった……と、そんなことを思いながら僕は傘をさすと、歩き始める……


「……うわー凄い雨だなぁ」


(!?)


 後ろからそんな声が聞こえてきた。もう人はいなくなったと思い込んでいたため、急なその声に僕はビクッと驚いてしまった。


「傘……持ってきてないんだよなぁ」


(なんだ……まだ人が残っていたのか。ま、せいぜい傘を持ってきていない自分を責めるんだな)


 そうして気持ちを切り替え、僕は再び歩き始める。


「……! そこの人待って!」


〈ギュッ〉


(……ん?)


 後ろから服を引っ張られる感覚がしたため、僕はふと後ろを振り返る。


(……この人は……!?)


 僕は彼女のその顔に見覚えがあった。

 乃木和のぎわ知緒ちお。確か……僕と同じクラスで、いつも明るく笑顔な人といった印象だろうか。少なくとも、僕なんかとは住む世界が違う……って……


(……何でこの人僕に話しかけてきたんだ?)


 ふと頭にそんな疑問がよぎる。というかこの人、普段は他の女子とかと帰っているはずじゃ……と、そんなことを考えていると、彼女は声を発する。


「あの……いきなりで申し訳ないんだけどお願いがありまして……」


(お願い……?)


 僕はそんな言葉を言われ、困惑してしまう。お願いと言っても、僕にできることなど限られている。それに、なんでわざわざ僕なんかに……と、考えている時だった。彼女はその衝撃の一言を告げる。




「駅までその傘に一緒に入れてもらえませんか……?」




(……へ?)


 僕はその急な一言に思考が停止してしまう。


「あ!……嫌だったら全然いいんだけど……よかったら……」


(……えっ……)


「……」


(……ど、どうすれば……別にいいんだけど……)


「……?」


(……というか何でこの人は何も言わないんだ……?)


「……あの……嫌でしたか?」


(……あっ、そうか)


 彼女は僕が何も返事をしなかったから困惑していたのだろう。取り敢えず僕はスマホを取り出すと、そこに文字を打ち込み彼女に見せる。


「……えーとなになに……『別に大丈夫』……え!? いいんですか!?」


 そう言われ僕は首を縦に振る。伝わっている様でよかった。


「ありがとうございます! 今日は傘を忘れてしまって……」


(……さっき昇降口で聞こえた声の主は彼女だったのか)


 そんなことを考えていると、彼女は僕の隣へと入り込んでくる。


「よし、それじゃあ駅に向かいましょう!」


(……図々しい奴だな……というか……)


 僕はふとその状況に違和感を覚えていた。


(……なんか距離近くないか?)


 彼女は僕と肩と肩がピッタリとくっつくくらいに距離が近かった。


「……どうかしましたか?」


 しかし、当の本人は全く気にしていない様子だった。まさかこれは女子にとって普通の行動なのか……僕にはわからないが、ただ……


(……なんか、ずるいな……)


 そんなことを思いながらも、僕らはその道を歩き始めるのだった。



「……そういえば、自己紹介をしてませんでした。私は乃木和知緒って言います! 一年三組で、好きなことは昼寝をすることで好きな食べ物は……」


(……この人テンション高いな……)


 僕が何も話さないからか、元からこういうテンションなのか、真相は定かではない……ただ、ほとんど面識のない僕に対してこんなに熱心に話す人は初めてだった。


「……それで、あなたの名前は?」


 話が一区切りついたのか、僕は彼女からそんな質問をされる。そうして僕は先程と同じようにスマホに自分の名前を入力すると、彼女に見せる。


「ええと、れんじょう……これ、なんて読むんですか?」


(……)


 僕はひらがなでその名前を入力する。


「……さくや! れんじょうさくやさん!……長いのでもう少し短い呼び方が……じゃあ、レンジさんでいいですかね!?」


(なんか勝手にあだ名が決まったんだけど……?)


 僕は困惑しながらも、取り敢えず首を縦に振る。とは言っても、ここで横に振るのは面倒事を起こしそうな気がしたからだ。


「……ええと、レンジさんはどこのクラスですかね?」


 僕はそのクラスを打ち込むと、彼女に見せる。


「一年三組……え!? 私と同じクラスじゃないですか! どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか!?」


(……この反応からして、本当に僕のことを知らないんだろうな)


 何か月も同じクラスとして過ごしてきたのに……ま、僕もクラスメイトのこと何てほとんど知らないので人のこと言えないのだが……


「それにしても、レンジさんは優しいですね! こんな見ず知らずの私のお願いを聞いてくれて……って、もしかして私のこと元々知ってましたか?」


(まぁ……存在自体は知っていたのだが……)


 僕は首を縦に振る。


「本当ですか!? すみません私は全然同じクラスだって気づかなくて……」


(……失礼だな……にしてもこの人……)


 僕はふとそんなことを考える。




(僕が声を出さないことについて何も言及しないんだ……)




 普通の人なら、何で声を出さないのかとか、話せない理由はあるのかとか、聞いてくるはずだ。それに、こんなに良く話す彼女だ。普通に考えたら、声を出さないことについても何か聞いてくるはずだ。だというのに……


(……いや、聞いてほしいわけではないんだけど……)


 何というか……説明が難しい。聞いてくると思っていたのに、意外に全く触れてこないから、期待していた反応と違って……いや聞かれることを期待してたわけじゃなくて……


(……もう直接聞いてみるか?)


 ここまで来たら逆に僕から話を切り出すべきなのだろうか。そう考えた僕はスマホにその文章を打ち込み、彼女に見せようとして……


「……あ、駅が見えましたよ!」


 そう言われた瞬間、僕は焦ってスマホを握っていた手をポケットに突っ込む。


「……どうかしましたか?」


 僕は首を横に振る。


「……そうですか?……では、ここまで傘に入れてもらってありがとうございます!」


 そうして彼女は僕の傘から出ると、駅の改札へと先に向かっていった。


(……なんだろうこの気分は……何故かモヤモヤする……)


 僕は彼女を駅まで傘に入れてあげた。彼女は僕にお礼を言った。それで終わりでいいじゃないか。これ以上何も考える必要はない……そう、必要ないのだ。


(……早く帰ろう……)


 そうして僕は傘に付いた水滴を軽く振り落とすと、駅の改札を抜け、ホームへと向かうのだった。



(……あ)


「……あ」


 駅のホームで電車を待っていると、僕は再び彼女の姿を発見する。そうして彼女は僕の方へと近づいてくる。


「……まさかレンジさんも同じ方向だったとは」


(たまに電車で見かけることはあったけど……今会うのか……)


「レンジさんはどこの駅で降りるんですか?」


 そう言われ、僕は近くにあった線路図を指差す。すると……


「……え!? 私と同じ駅じゃないですか!」


(え?)


 衝撃だった。まさか通学路が一緒だったとは……思いもしなかった。


「それだったら、一緒に帰れますね!」


(……また傘に入れろってことか?)


 ……複雑な感情だ。僕は、彼女に何を期待しているのだろうか。僕は、彼女にどうしてほしいのだろうか……


「……あ、電車来ましたよ! 乗りましょう!」


(……)


 取り敢えず僕はその電車に乗り込むのだった。



〈ガタンガタン〉


「いやー……にしても今日は助かりました! それに、レンジさんのことも色々知れましたしそれに……」


 電車内でも彼女は相変わらずのテンションだった。しかも……


(……何で隣に座ってるんだ?)


 さっき傘に入れた時にも思ったが……この人異様に距離感が近い。今も電車の隣に座り、肩と肩がぶつかるくらいに寄ってきている。やはりこれが彼女にとっての普通なのだろうか?


(……わかんない人だな……)


 そんなことを思っている時だった。


「……そういえば、レンジさんに聞いときたいことがありまして……」


 そうして彼女はその質問を僕に投げかける。




「何で喋らないんですか?」




(……)


「……あ!? もしかして聞いちゃダメでしたか!? すみませんレンジさんの気も考えずに……」


 何故かわからない。僕は誰にも話す気はなかった。こんな過去を話す気なんて……でも……


 僕はその過去を思い出す。



〈ボゴッ〉


『がっ……は……』


『ははっw、やっぱりサンドバッグを殴るのは気分がいいなw!』


『おいおい、お前やめとけよw』


『大丈夫かーw? 昨夜くーんw?』


『や……やめ……』


〈バキッ〉


『……っ……』


『おい、サンドバッグが喋るんじゃねーよ』


『黙って殴られるんだなw』


『キモい声出すんじゃないぞw』


『……』



(……)


〈ポロポロポロ〉


「?……!? ちょ、ちょっと何で泣いてるんですか!? と、取り敢えずハンカチを……」


 気づけば僕は涙を流していた。普段ならこれを思い出しても、別に何とも思わなかった。だというのに……

 僕は無意識にスマホにその文字を入力していた。そして彼女の前に突き出す。


「?……ええと……」


 彼女は静かに、そして真剣に、その文章を読んでいた。


「……そう……ですか、そんな過去が……」


 なんとも、形容しがたい空気になってしまった。こうなることくらい、わかっていたのに……

 すると彼女は口を開いた。


「……レンジさんは、強いですね」


(……へ?)


 僕はその言葉にポカンとしてしまう。


「……だって、普通そんなことがあったら、誰かに相談したくなるものでしょう? でも……その様子からしてレンジさんは、恐らく誰にもこの事実を伝えずに過ごしてきた……ああ、今回私が聞いたのは……傘に入れてもらったお礼というか……いやでも私勝手に聞いて……」


 目の前であたふたする彼女に、僕は思わず笑みが零れる。


「ちょっと!? なんで笑ってるんですか!?……いや、泣き止んでもらえたならよかった……んですかね?」


そうして彼女は一度仕切り直し、言った。


「……とにかく、レンジさんはいい人です! なんせ、私を傘に入れてくれるくらいですから!」


(……面白い人だな……)


 そんなことを思いながら、僕らはその電車に揺られるのだった。



 やがて駅に着き、僕らが外へ出ると、気づけば雨は止み、青空が広がっていた。


「……見事に晴れましたね」


 家に帰るまでの数分で、僕の心は軽くなった気がした。


「……それじゃあ、お先に失礼します! 今日はありがとうございました!」


「……あ……」


 そう言って去ろうとする彼女の背中に、僕は……




 気づけばその声を、紡いでいた。




「……ありがとう」




 あの日々から、初めて他人に放った声だった。


「……どういたしまして! また明日会いましょう!」


 彼女……知緒さんはそう言って笑顔を見せると、再び背を向ける。


(……僕も……帰るか……)


 そうして僕は彼女に背を向けると、歩き始める。




 人間、そんな簡単に変われないかもしれない。


 それでも、


 彼女は、僕に変わるきっかけをくれた。




 雨上がりは、いつもよりも青く、透き通っていた。

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雨上がりに見えたこの レンジでチン @renjidechin113

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