第22話 剣と氷
「ルビア、助かったよ。俺はもう動けないし、クラスメイトたちも……あんな感じだしさ」
崩れ落ちた体で地面に横たわりながら、俺は痛みを我慢しながらようやく声を絞り出す。視界の端で血の気が引いたように青ざめたクラスメイトたちが壁に寄りかかり、息をひそめて震えているのが見えた。剣を構えたルビアが一歩前に進み、マンティクローを正面から見据える。
「お礼なら後で頂戴。今から、あの虫けらを殺すから」
ルビアの目には怒りと殺意が渦巻いていた。あのいつもツンとした態度の奥にこんな苛烈な感情が隠れていたなんて。彼女の足元には小石一つ落ちる音もない。空気すらも凍り付いたような静けさの中、マンティクローがギシギシと音を立てて鎌を構える。今までと違う。明らかに警戒している。
マンティクローが距離をとる。次の瞬間、離れているにも関わらず鎌が空を裂いた。風魔法のような斬撃が飛んでくる。
「へぇ、やっぱり斬撃を飛ばせるのね。風魔法の一種かしら。でも、接近戦なら関係ないわ」
ルビアは言い終わるや否や駆けだした。疾風のごとく距離を詰める彼女にマンティクローが反応する。刃と刃がぶつかり、金属音が辺りに響いた。パワーは拮抗していた。マンティクローの剛力にも負けず、剣を押し返すルビア。その姿に、クラスメイトたちの表情がわずかに変わる。希望が、そこにあった。
だが、希望はすぐに疑念に変わる。
ルビアの剣撃は鋭く、確実に急所を狙っていたが、マンティクローの外皮に傷はほとんどつかない。触れるたび、火花が散り、斬撃が弾かれる。
「ルビア! 今、リリシアが先生を呼びに行ってる! それまで耐えてくれ!」
焦りから叫ぶ俺に、彼女は涼しい顔で返す。
「そう。なら先生が来る前に殺すわ」
「いや無理だって、ルビアの剣、通ってないよ!」
俺の声も聞こえていないかのように、彼女は攻撃を続ける。だが、それはただの蛮勇ではなかった。
「アレン、いいことを教えてあげる。大体の生物は――体内が柔らかいのよ」
その一言と共に、彼女の剣がマンティクローの口の中へ突き刺さる。魔力が纏われた渾身の一撃。マンティクローの口腔から脳へと、剣は貫通し、頭部を串刺しにした。しばらく硬直していた虫の巨体が、ドサリと崩れ落ちる。
ルビアは俺がダメージを入れていたとはいえ一人でDランクモンスターを倒した。Dランクモンスターと言えば熟練探索者が一人で倒せるレベルのモンスターだ。それを倒せたということは彼女はFクラスにいる器ではないということだろう。本当にFクラスに居るのが不思議な存在だ。
「倒した……!」
クラスメイトの誰かが呟く。彼らの顔から恐怖がすうっと消えていく。俺も思わず笑みが浮かびそうになったが、それよりも先に、剣を拭いながらこちらに歩いてくるルビアの姿が視界に入る。
「動けないのよね?」
「うん……」
素直に答えると、ルビアはいたずらっ子のように微笑んだ。
「それ、つんつん」
「うぐっ!?」
わき腹から始まり、腕、足、そして頬。ルビアが無遠慮に俺の体を指でつついてくる。もちろん笑えるほどの状況ではない。
「な、何がしたいんだよ」
「いや、勇者の末裔の肉体がどんなもんかと思って」
「今は全身痛いからやめてくれ……」
「そう、残念」
ふふっと笑うルビア。そのやり取りに、緊張に支配されていた空気がふっと緩んだ。クラスメイトたちもわずかに笑い声を漏らす。
だが――その平穏はすぐに破られる。
「……これだから虫系のモンスターは嫌いなのよ」
ルビアの表情がまた険しくなった。俺が目をやると、倒れたはずのマンティクローがよろよろと立ち上がっている。口からは血を吐き、頭に大きな穴を開けたままだ。それでも生きている。
「無駄に生命力があって、本当に嫌になる」
「殺せるのか……?」
「アレンが割った外皮を狙えば、なんとかなるわ」
「それ、警戒されてるだろ……?」
「そうね。でも同じ手はもっと警戒されてるわ。本当に、虫って嫌い」
ルビアが剣を構えると、空気が一変した。いや、温度そのものが変わった。冷気が周囲を満たし、吐く息が白く染まる。クラスメイトたちが肩を震わせ、寒さに身を縮める。
次の瞬間――。
マンティクローの体が氷漬けになった。
銀氷色のロングヘアを靡かせ、優雅な足取りで少女が現れる。
「全く、貴方はまともにモンスターに止めを刺せないのですか」
その声とともに現れたのはエリーナ・グレイシャル。彼女の背後には、忠実な従者ミーナの姿もあった。
「砕けなさい」
エリーナが冷たく囁くように言ったその瞬間、氷ごとマンティクローは粉々に砕け散った。そのあまりにあっけない終わりに、場が静まり返る。
「良いとこだけ持っていこうとするな、この女狐が!」
「野蛮女が倒せなかった敵を、倒してあげたのですよ? 感謝なさいな」
二人の少女が睨み合う中、ようやくリリシアとクロード先生が駆けつけてきた。
俺はというと、動けないまま、空を見上げる。
不思議と、胸の奥には確かなものが灯っていた。
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