第2話 学園に向かう前夜

 出発前夜。探索学園オルビスに向かう荷造りも終わり、あとは明日の朝を待つだけ。


 緊張と不安と、ほんの少しの期待が入り混じる夜だった。ベッドの上で荷物の最終確認をしていると、部屋の扉が静かにノックされた。


「アレン。居るか? ライオルだ」


 聞き覚えのある、低く落ち着いた声。驚いて立ち上がる。こんな時間に兄さんが来るなんて、珍しい。


「今開ける!」


 慌ててドアを開けると、そこには……


 まるで絵画から抜け出してきたような、完璧な姿の兄が立っていた。背は高く、鍛え抜かれた体躯に銀白色の長髪を後ろでひとつにまとめている。顔立ちも整いすぎていて、初対面の人間には「この人、本当に人間?」と思われるレベルだ。


 俺の兄、ライオル・グレンバーン。騎士団の隊長であり、「若き剣聖」と讃えられる英雄。


「兄さん……家に帰ってくるなんて珍しいね。仕事は?」


「今日だけは抜けさせてもらった。明日、お前が旅立つ日だからな」


 そう言って、ライオル兄さんは懐から細長い箱を取り出した。中には、金の細工が施された上品な万年筆が収まっている。


「餞別だ。学園での記録や手紙に使え」


「……ありがとう、兄さん。すごく綺麗なペンだ。俺に似合うかな?」


「お前がしっかり勉強するならな」


 冗談めかして笑った兄さんが、俺の頭にそっと手を置いた。普段、滅多に笑わない人だから、ちょっとドキッとする。


 でも……子ども扱いされるようで少し恥ずかしい。


「しばらくは家に戻れないだろう。無事にやり遂げて、また元気な顔を見せてくれ」


「うん。頑張るよ」


 兄さんは名残惜しげに頭をなでてから、ふと思い出したように言った。


「セレナが、お前に会いたがっていたぞ。荷物の整理が済んでいるなら、行ってやれ」


「姉さんが? わかった」


 セレナ・グレンバーン――俺の姉であり、国立魔導院を最年少で主席卒業した天才魔導師。姉さんのいる“離れ”は魔法研究のための専用スペースになっていて、普段は近づきがたいオーラがある。でも、行ってくるように言われたからには顔を出しておこう。


 そう決めて、俺は屋敷の奥、離れへ向かった。



 トン、トン。


「姉さん、アレンだけど……入ってもいい?」


 ノックをして呼びかけると、すぐさまドアが勢いよく開かれ――


「アーレーンーっ!」


「うわっ!?」


 飛び出してきたのはクールビューティーを思わせる整った顔に漆黒に近い深紺色のロングエアの姉さんが勢いよく抱きた。頬ずりまで始められて、逃げ場がない。


「ちょっ、ちょっと待って姉さん!? 苦しい! あと暑い!」


「ふふっ、可愛い弟が旅立つというのに、スキンシップくらい許されるでしょう?」


「いや、もうちょっと落ち着いて!」


 必死で引き離そうとするも、姉さんの腕力が意外と強くて抗えない。昔からこうだ、天才魔導師なのに変なところでスキンシップモンスター。


「……ねぇ、アレン。嫌だったら、お父さまに話しておく? 学園に行くの、やめさせてあげる」


「……いや、それは……」


 たしかに、ありがたい申し出ではある。けど、それを頼ったら俺の覚悟はどこへ行ったんだ、って話になる。今さら逃げ出すのは、やっぱり……かっこ悪い。


「遠慮しとくよ。俺、オルビスに行くって決めたんだ」


 俺の言葉に、姉さんはピタリと頬ずりを止めた。


 そして、しばらくじっと俺を見つめ――微笑んだ。


「……立派になったわね、アレン。寂しいけど、あなたの決意なら応援するしかないわ。あと、これあげるわ」


 姉さんが首にかけてくれたのは、魔力のこもったペンダント。幾何学模様のような刻印が施されていて、明らかにただのアクセサリーじゃない。


「これは、おまじないよ。あなたを守ってくれるように……私の魔力をこめておいたの」


「ありがとう、姉さん。大事にする」


 そう言って、俺は今度は自分から、そっと姉さんを抱きしめた。



 研究室を後にして屋敷へ戻る途中、ふわりと甘く柔らかな草花の香りが漂ってきた。


 この香りを身にまとってるのは、この家でただ一人――


「アレン兄」


 振り向くと、そこには淡い金色のふわふわした髪を揺らす少女、俺の双子の妹、ルナ・グレンバーンが立っていた。


「ルナ、どうかしたか?」


「明日……出発、だよね?」


「ああ。もう準備は終わったよ」


「じゃあ……これ、あげる」


 そう言ってルナが差し出してきたのは、緑色の液体が入った小瓶だった。中身はきらきらと輝いて、何やら不思議な光を放っている。


「これは?」


「私が調薬した、特製の回復薬。兄さんが、死にそうになったときに飲むやつ」


「……そんな前提で渡すなよ」


「ふふ。兄さん、ほっといたら死にそうだから」


「死なねぇよ!」


 苦笑しつつ受け取ると、ルナはふっと笑って肩をすくめた。


「こうやって、軽口を言い合えるのも……次が最後にならないように祈ってるよ」


「ああ……そうしてくれ」


 俺が歩き出そうとした、そのとき。


 ドンッ!


 背中に柔らかい衝撃。振り返るまでもなく、それがルナの抱擁だとわかる。


「……本当に、死なないでよ」


「……わかってる」


 そのまま、しばらくの間ルナの体温を感じながら立ち尽くした。


 ――こうして俺は、家族に見送られながら、探索学園オルビスへと旅立つ準備を終えた。


 背負うものが、少しだけ重くなった気がした。でも、その分……守りたいものも、増えた気がした。

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