無限館の殺人【捜査編】

 ♾️

「本当に無限だな」

 幾十の扉を開き、幾十のフィリップスの死体を跨いだ探偵ういろが、観念した声を出す。

「はい。まさに」

 リーが丸眼鏡を上げ、胸を張る。

「何処かの部屋に犯人は隠れていないか?」

「有り得ません。というのも、"無限館"では

 つまり、わけです。今であれば、他の全ての部屋に私達オリジナル模倣コピーが存在し、私達オリジナルと同じ動作をしています。

 逆説的に、"最初の部屋"に何もなければ、他の部屋を探しても無意味です」

 探偵が、顎に手を当てる。

「"エリア51"は怪異の収容・研究を旨とする施設だろう。他にはどんな怪異を?」

「古今東西、千差万別。質・量とも、英国の"黒博物館"を凌駕します。例えば──」

 ロズウェル事件にて捕獲された円盤及び"M78星雲人"。

 ジョン・F・ケネディ殺害を単身計画・実行した、・"オズワルド"。

 現実改変機構を有する吸血鬼・串刺し公"ヴラド"。

 『創世記』の大洪水の元凶で、既に3度の使用形跡がある、"世界終末時計"。

 リーは指を折り、人類滅亡を容易に実現しうる怪異を次々と挙げていく。

「ちなみに。件の殺人ホテルはレベル1です」

「フィリップス殺害の状況と符合する怪異は?」

「透明病・"グリフィン"で潜む、ホワイトチャペルの亡霊・"切り裂きジャック"が斬る、ある島で邪神と崇められる"怪物"による精神干渉及び発狂。

 いずれも異変は報告されていません。無関係かと」


 ♾️

 "最初の部屋"へと引き返す道中、リーが探偵に話しかけた。少年のように目が輝く。

「数々の難事件を解決した名探偵ですよね。全ての可能性を検討し、真実を見抜く。お噂はかねがね」

 同種の憧憬と無理解を数えきれないほど浴びたのだろう。外良ういろは憐憫と苦悶の同居した視線をリーに向けると、壁に背を預け、ゆっくりと座り込んだ。ふっと短く息を吐く。

「探偵なんて何も解決していないさ。事件が起きた後からしゃしゃり出て、それらしい推理を披露するだけの手遅れの存在だ」

 外良が自嘲した笑みを浮かべる。

「そんなことないですよ。犯人は罰されます」

「犠牲者は生き返らない。焼け死ぬ親友も救えない。犯人の特定なんて警察に任せておけばよかったんだ。何も生まない、無価値な仕事だよ」

 外良が無力さを示すように広げた掌は、火傷による赫く硬質化した皮膚に覆われていた。


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「不思議なものだな」

 壁にもたれた探偵が、溜息とともに捨て鉢な声を出す。暗く沈んだ視線は、半開きの扉を向いていた。

「何がですか?」

「扉の向こうに自分の背中が無限に続いている。"ドロステ効果"だ」

「ドロステ効果?」

「1枚の絵の中に全く同じ小さな絵が描かれ、それが繰り返されていくタイプの絵さ。

 ドロステココア・パウダーのパッケージが語源だ」

 その種の奇妙な絵は、リーも記憶にあった。

 疲弊した探偵と死体を閉じ込めた部屋が無限に続く光景を、外良とともに眺める。

「終わりが見えませんね」

「ああ、本当に。もういっそ──」

 探偵はそこで口を噤み、目を背けた。

 「もういっそ──」、外良は何を言おうとしたのだろう。

 リーが全てを理解するのは、少し先のことだった。


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 漸く"最初の部屋"に辿り着くと、探偵はおもむろにキッチンの林檎を手に取った。縋るような目を、林檎に向ける。

「ひとつ、試してもいいか?」

 林檎を愛おしげに握り締め、外良は"最初の部屋"の扉に近づく。

「思ったんだ。"無限館"を永久機関として活用できる、と」

「それは──」

 リーの言葉を待たずに、探偵は館外へと飛び出した。そして──。

「ああ…」

 目論見が外れたのだろう。館外の外良が力ない声を漏らす。

「閃いたと思ったんだ。"最初の部屋"から持ち出した林檎は、その奥の無限の部屋から補充される筈だろう?」

 弱々しく項垂れる探偵の言葉に、リーは首を横に振った。背後で、何かが落ちる乾いた音がした。

 探偵の脳内の図は恐らくこうだ。

 ①"最初の部屋"の林檎を持った探偵が館外に出る。

 ②同時に、奥の部屋から林檎を持った探偵が"最初の部屋"に入る。林檎が補充される。つまり、林檎を無限に持ち出せる。

「それは出来ません、残念ながら」

 振り返った探偵の右手から、。霧散した希望を求め、手が空を彷徨っている。

「補充はされます。が、館外に持ち出せません。林檎も、私たちの模倣コピーも、この"無限館"が生んだものは全て紛い物です。"無限館"から出た時点で消滅します」

 過去の報告書を思い出し、リーが説明を続ける。探偵の図に修正を加えた。

 ①"最初の部屋"から林檎を持った探偵が館外へと出る。この時点で①の探偵が持つ林檎は消滅する。

 ②同時に、奥の部屋から"最初の部屋"へとが入ってくる。

「林檎だけが入るのか?」

「難解ですが。①の探偵が持つ林檎と連動しているんですよね。本来なら、探偵が林檎を持ち、奥の部屋から"最初の部屋"に入ります。ただ──」

「ただ?」

「ただ、探偵が館外に出ると、館内の探偵は消滅します。仮に、林檎を持った腕が館から出れば──」

「館内の腕は消滅。林檎だけが"最初の部屋"に入るのと同様か」

「その通り」

 両者の脳内で、支える腕を失った林檎が重力に従って地面へと落下する。先ほど聞こえたのと同じ、ごっという乾いた幻聴が響いた。


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「推理をしたい。関係者の情報をくれ」

 探偵が頼みを口にした。倒れそうな身体を、使命にしがみつくことで必死に支えている。リーが資料を読み上げる。

「ハワード。ニューイングランド地方出身の53歳。カルトの熱心な信徒です。大量殺戮テロ計画の罪で、1年前から矯正処遇職員として収容中。

 フィリップス。南部出身の29歳。数十名余の強姦殺人の罪で、8年前から同じく矯正処遇職員として勤務」

 "エリア51"は、予測不能な怪異の収容を職務としている。その危険性から、彼らのような犯罪者をとして前線に配置していた。

 1865年、合衆国憲法修正第13条で奴隷制は廃止され、黒人を含めた全ての人間に自由が認められた。しかし、同法には抜け穴があった。「犯罪者を罰する場合を除く」という例外規定が記載されていた。

 所長は言う。「矯正処遇職員には不足しない。犯罪者も、狂信者も、共産主義者も、合衆国には無数にいる」と。

「両者に不和の兆候は?」

「有りません。職務中は私語厳禁ですし、それ以外は独房に収監されます」

「収容以前の面識は?」

「皆無です。また、フィリップスの犠牲者の中にハワードの関係者は居ませんでした」

「ハワードに殺害の動機はない、か」

 探偵は白の巻き毛に人差し指を絡めると、くるりと回す。瞑想するように瞼を閉じて、何かを思案していた。


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「どうだ?探偵殿の推理は順調に進んでいるか?」

 監視室に戻ったリーに、揶揄からかうように声が飛んだ。所長だ。所長は外良とリーの捜査に同行せず、先に戻っていた。

「"無限館"を散策しました。探偵はまだ捜査を続けています。ハワードや他の怪異の視察など。私の管轄区域外になるため、該当する怪異を担当する職員に引き継ぎました」

「早く解決して欲しいものだな」

 所長は関心なさげにドーナツを齧る。

「矯正処遇職員の犯罪なら問題ない。処刑すればいい。代わりは無限だ。

 だが、特別研究対象怪異オブジェクト事案はまずい」

 所長は笑って、震え上がる動作をする。

「俺の首が飛ぶ」

「しかし、部外者の探偵に歩き回らせて大丈夫でしょうか?」

 "エリア51"は、絶対不変の支配を目指すアメリカ合衆国、その機密と陰謀の極致である。したがって、通常は、職員ですら館内の自由な往来を禁じられていた。

「問題ない。捜査のためだ。それに──」

 手術室の鍵を指で回す。

「どうせ、推理後は。探偵殿はすっかりお忘れだが、もう何度もやってる。噂は聞いてるだろ?」

 リーも黙って頷く。幾度も記憶を改竄されたせいだろうか、探偵の精神は磨耗しているように見えた。

 無限に補充される矯正処遇職員、無限に推理する名探偵、彼らの犠牲の円環が、"エリア51"の秩序を不変としていた。

「わざわざ日本から毎回呼ぶのも面倒だ。うちに収容させてもらいたいね」

 所長が下卑た笑い声をあげる。ドーナツの輪が崩れていた。


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 リーに、探偵から「推理が完了した」と連絡がきたのは、数時間後のことだった。

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