第2話 「雪うさぎ」 初恋

「そんなことないですよ。来てくれただけで充分ですって、ありがとうございます」


 私はにっこりと微笑むと、帰るのをやめ、先輩を真央まおのいる病室へ案内した。


「あいつ……どう?」

 二人で並んで歩きながら、前方を向いたまま喋る飛鷹ひだか先輩


「……変わらずです」

 私も、前を向いたまま答えた。


「そうか……」


「でも先輩が来たって知ったら、真央きっと驚きますよ」


 気がつけば、私達どちらもぎこちない笑顔を見せていた。


 病室の扉を開けると、おばさんが眠る真央を見つめて、その手を撫でていた。


 手を握り、ちょっとした刺激を与え続けることで、真央の意識が戻るかもしれないと、おばさんは病室に行くたび、真央の手を取り続けている。


 私達が入って来たのに気付いて、こちらに振り向いたおばさんに、先輩は姿勢正しく頭を下げた。


「真央さんと同じ学校に通っていた飛鷹といいます。

 あの、これ少しですがどうぞ。

 入院されていると聞いて、他のみんなの分も一緒に、お見舞いに来ました」


 先輩は、手に持っていた花束を、おばさんに渡すと、眠る真央の方を見た。


「まぁまぁ、真央の好きな黄色の花だわ。

 綺麗ね、わざわざありがとうね。

 よかったら、娘に声をかけてやってくれる?

 私はもう一つの花瓶を用意してくるわね。

 私の代わりに、真央ねそばにいてもらえるかしら」


 私と先輩が頷くと、おばさんは少し離れた先の給湯室に向かっていた


 まさか飛鷹先輩が来るなんて、思わなかったな


 先輩が見つめる先で、眠る真央を見つめながら、あの日の事を思い出していた。





 あの日も、待ち合わせがわりに使っていた図書室で、真央が来るのを待っていた


 そこへ、いつもと違いやけに高揚した真央が、やってきた。


比奈ひな、聞いて!』


『な何?いきなり。どうしたの』


 真央は本を読んでいる私の姿を見るなり、しがみつくように腕を握り、隣の椅子に座ると、小声で訴えてきた。


『どうしよう。好きになっちゃったかもしれない』


『はぁ?』


 真央は顔を真っ赤にして、上擦った声をなんとか押さえて、説明してくれた。


 放課後体育館に、クラスの男子が片付けし忘れていた用具を、ブツブツいいながら返しに行ったら、バスケの部活をやっていたという。


 片付けた後、何となくその様子を見ていると、とても上手い人がいて、周りの女子にも騒がれていたらしい。


 元々そういったことで騒ぐほうでは無かった真央は、その時もさして気に留めていなかったという


 それがこの間、いつものように体育用具置場へボールを片付けに行った時、たまたま飛鷹先輩もボールを取りに来ていて、それ以来初めて意識し始めたらしい。


『あれ、人がいたんだ。ごめん誰もいないと思ってた』


 後ろから人の気配と声がして、少し驚いて声のする方を見ると、飛鷹先輩だったらしい。


 開け放たれた用具室入り口で、奥にいた真央に気がついた飛鷹先輩は、一瞬驚いてまだ気付いていない真央に、そう声をかけたようだった。


『どうも……あぁ、クラスの男子が借りてきたボール、片付けに来ただけですから、すぐ出ますよ』


 先輩の存在は知っていたけれど、これまで話をしたことなんて無かった真央。


『そっか、えぇっと何年生?名前は?』


『は?一年の佐竹ですけど』

 怪訝な顔を返す真央


『そっか、佐竹は感心だな。自分が借りたわけでも無いのに片付けに来るなんてさ』


『えっ、いや、うちのクラスの男子、いつもだから……』


『それはあまり良くないな。

 本人が返すように言った方がいいと思うぞ。

 言いにくかったら、俺から言ってやるから。

 困ったことがあれば、遠慮なく声かけろ。

 あぁ俺は飛鷹龍騎ひだか りゅうき二年だ。

 よろしくな』


 そう言ってにっこり笑った顔が、思ったより幼い感じがして、思わず胸がキュウッとしたんだとか……


 うぅ〜ん。私にはまだ、そんな経験がないからわかんないんだけどね。


 それから真央は、毎日バスケ部を見に行った。

 飛鷹先輩を見に

 もちろん私を連れて


『だって、一人で行ったら目立つし、どうせ一緒に帰るでしょ?』


 そう言って真央は、イタズラっぽく笑っていた。


 何回か通っているうちに、先輩のファンは、思っていた以上に多かったって気付いた。


 なかなか手の届かない存在だって知って、それでも真央は諦めなかった。


 いっぱい勉強して、邪だっていう批判も全然気にしなくて、堂々マネージャーの地位を獲得していた。


ほんと真央ってすごいよね。


 あの女子達の中を、突進するように入っていく姿、ほんと勇ましかったな。


思わず、ぷっと笑ってしまう。


 たくさんの中の一人でしかなかったけれど、あの頃の真央は、冷静な対応を心がけて、きちんとマネージャーの仕事をこなしていた。


 公私混同は良くないって、鼻息荒く頑張ってた。


 内心は話ができただけで大喜びになり、後でこっそり私に話し、真っ赤になってキャーキャー騒いでいたんだけどね。


 でも二学期の終わり頃、先輩に彼女がいたらしいと噂を耳にして、二人して愕然としたんだよね。


そしてもっと驚いたのが、次の日だった。


『ハッキリさせようと思ってさ、体育館に呼んでるんだよね』


『えっ……』


 ちょっと照れたような、泣きそうな複雑な表情で、何でもないことのように勢いづいて話す真央。


『今の気持ちに踏ん切りつけるためにもさ、頑張ってくる。だから比奈ちょっと待ってて。私当たって砕けてくるからさ、後でいっぱい慰めて』


 冗談めかしで、笑顔を浮かべているけど、その手が少し震えてたのはわかってた。


『う、うんわかった。真央、頑張れ!』


 あの後体育館に入ると、バスケのシュート練習をしている先輩がいたらしい。


『あの、すいません。呼び出したりして』


『この時間、いつも練習してるし、問題ないよ。マネージャー……じゃなかった、えっと佐竹さん、佐竹真央さんだったよね』


『はい!そうです。

 あの、今日は聞いてもらいたいことがあって……

 先輩には、お付き合いされている方がいるって聞きました。

 だから、ただ聞いて欲しくて……

 あの、一年の初めに会った時から、ずっと好きでした』


『……ありがとう佐竹さん。でもごめんな、その気持ちに応えてあげられなくて』


 申し訳なさそうな、苦い笑みを返してくれたらしい先輩に、真央は頭と手をブンブン振って


『いえいえ!こちらこそ、聞いてくれてありがとうございました!

 あの、これからもバスケ頑張ってください! 

 ずつと応援しています!』


『ありがとう』


 いつもの笑顔に戻った先輩を、目に焼き付けるように一瞬見た後。


『じゃあ、失礼します。今日は来てくれて、ありがとうございました』


 駆け足で飛び出してきた真央を見つけると、真央も私に気付いて、飛び込むように、抱きついてきた。


『お疲れ様。よく頑張ったね』


 優しく声をかけながら背中をさすると、目からボロボロ涙が溢れていた。


『……うん。私頑張った』

『うんうん。頑張ったね』


『ちゃんと好きだって言えた。先輩ちゃんと私の名前、覚えてくれてたんだよ』


 ぼろぼろ溢れる

 私まで、目頭が熱くなってて……


『そっかそっかぁ、よかったね』

『うん……私ね、今もまだ好きなんだよ……』


『うんうん……』

『……いつか…いつかきっともっといい男、見つけるんだ』


『うんうん、そうだね。真央ならきっと見つかるよ』

『うん……』


 もらい泣きしながら二人で歩いた帰り道


 販売機で買ったミルクティーが、ほんの少し、しょっぱく感じたのを覚えている。




 結局、先輩の声掛けでも、真央は目を覚まさなかった。

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