第3話 「雪うさぎ」 確執と見慣れぬ店

 病院の検査を、受けに行くことになったあの日。


 私達はいつものように一緒にいて、家でくつろいでいた。


 真央は手慣れた様子でキッチンに入り、お茶を飲もうとして、襲ってきた痛みに耐えられず、その場に屈み込んだ。


『どうしたの真央』


『ちょっと頭、痛くなってきた……』


 真央は、両手で頭をつかんだまま、ぎこちなく微笑んできた。


『大丈夫? 痛み止め持ってこようか?』

『うん。悪いけどお願い』

『本当に、病院行かなくて大丈夫なの? 行った方が良いと思うよ。はい薬』


 ダイニングから救急セットを出して、頭痛薬を手渡す。

 錠剤が真央の手から、ポロポロと転がり落ちだ。


『真央、大丈夫?』


『……比奈、どうしょう……目が、目がよく見えない。怖いよ 助けて』


 真っ青な顔をして、震えながら確かめるように、両手を伸ばしてきた。


『え、すっすぐおばさんに連絡するから、真央はここで座って待ってて』


 私は真央の手を取って、中途半端な姿勢のまま立ち上がりかけていたのを止め、そのまま座って待ってほしいと声かけた後、あわてて親達に電話した。


お願い、繋がって!


 異様な状況に動揺しつつ、繋がるまでの時間が、とても長く感じたのを覚えている。


『おばさん? 大変なの!真央が、真央目が見えないって、頭も痛いって、どうしたら良い?』




 まもなく救急車のサイレンが鳴り響き、真央が運ばれた。


 私も付き添いとしてついて行くと、病院に血相を変えてやって来た2人の親に、状況を説明した。


その日真央は、そのまま入院することになった。


もろもろの検査のあと、担当医の話では……


 真央の頭の中に、癌が固まりになって存在しているらしいといった。


 それはすくにでも、摘出などの治療を行う必要があること


 場所が場所なだけに、ここでは対応出来ないことを知らされ、他の専門の病院を紹介された。



次の病院では……


 成長期のため、癌が大きくなるのが早く、すぐにでも対策が必要なこと


 治療方針を決めるためにも、このまま入院になること


 病巣部分が繊細な場所にあるため、全摘出は難しいかもしれないこと。

 その場合残った部分は、抗がん治療に移行すること、


 術後まれに、失明や麻痺等が残ることも、考えられること


 ただ何もしなければ、転移の可能性もあり、もって数年の命であることが、知らされた。


 病室で、無表情の真央の横顔を、どう励まして良いのか、分からないでいた。


何も言えなかった。


 どうにもならない思いで、嘆き悲しむ、今まで見たことのない真央が、そこにいた。


 病気のこと、すくにしなければならなくなった手術、その難しさゆえのリスクの高さ


 病室の検査で分かった時は、2人とも愕然とした。


 手術を決めるまで、たくさん話し合った。


 喧嘩もしたし、いっぱい泣いた。


 たとえ成功の確率が低くても、どんなかたちでも良い、とにかく真央には生きていてほしいと伝えた。


 私は真央が元気になってくれることの方を、信じたい。


 手術当日点滴をつけて、ベッドに寝かされたまま、運ばれてきた真央。


 手術室の前で一度ベッドが止まり、おばさんと話をしていた。


 真央が無言のまま、見えにくい視界で私を見つめると、にっこりと微笑んできた。


 私も無言のまま頷くと、にっこり微笑み返した。


カラカラカラ……


 ベッドの運ばれる音が再び響き渡り、真央は手術室の中へと消えていった。


 長椅子にポスンッと座ると、向かいにある窓からの景色が、はらはらと降りしきる雪で、モノクロに染め上げられていた。


 それからどのくらい経っただろう、とにかく長くて不安な時間だった。


 ようやく“手術中”のランプが消えると、眠ったままの真央と、執刀医の先生が現れた。


 真央の手術は、無事成功したらしい。


 それを聞きおばさんはその場に泣き崩れながら、お礼を何度も何度も繰り返していた。


 私は長椅子の前で突っ立ったまま、その様子を見つめていた。


 ようやく動けるようになった足をもたつかせながら、病室で眠る真央のもとへ、おばさんと一緒に向かう。


 ベッドの上で微かに上下する胸元、ほんのり赤い頬を見て、真央が無事生きてかえってきてくれたことを実感して、気付けばその場にしゃがみこんで、涙を流していた。


 同じように、涙でにじむ目元を腫らしたおばさんが、苦笑しながら近くの椅子に、座らせてくれた。




真央は、すぐには目を覚まさなかった。


 先生もハッキリとした理由は、分からないと言う。


 もしこのまま目を覚まさなければ……


 二日三日とたつにつれ、嫌な予感で心のなかが、押し潰されそうになった。




 家に帰ると、いつもより早く帰っている母に、思わず驚いた。


『どうしたのお母さん。今日は仕事もう終わったの?』


『う、うん。ちょっと早く終わらせてもらったの』


 母の歯切れの悪い様子に、少し違和感をおぼえる。


『どうしたの?』


 私の問いかけに、一瞬ためらった表情を向けた母は、深く深呼吸をすると、真剣な眼差しで口を開いた。


『比奈ちゃん聞いてくれる? ちょっと大事な話があるのよ』


『うん』


 私と母は、それぞれ椅子に腰掛けると、申し訳なさそうな表情をした母が、自分の手をギュッと握ると、何が決心したような様子の後話始めた。


『比奈ちゃん、おばあちゃんの調子が良くないらしいの。だから思いきって引っ越そうかと思っているのよ』


『なんで、私行きたくないよ。だってまだ真央があんな状態なのに、ほっとけないよ』


『ごめんね比奈。前々から考えてはいたのよ。

 おばあちゃんもおじいちゃんもいい歳だし、母さん一人っ子でしょ?

 他に面倒みてくれる人なんていないしね。

 だから……』


『じゃあ、私だけ残る!』


『ごめんね比奈。

 それも考えたんだけど、母さんの収入だけじゃ難しいのよ。

 向こうに行って新しくはじめないといけないから、どうなるか、ハッキリ言えないわ。

 落ち着いたらまた来られるようにするから、これからあなたの学校のこともあるし……

 本当にごめんね』


 お母さんは、申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。


『そんなの……そんなの納得できないよ!』


 私は思わず家を飛び出していた。


ただひたすら、宛もなく歩く。


 再び降りだした雪は、地面にあたり、途端にサッと溶けて消える。


 自分の頭の中を、整理したかった。


 雪はいつの間にか、小雨にかわっていた。


 お母さんの言うことは、分かっている。


 でも今のまま、真央と離ればなれになんて、絶対に嫌だ。


 だってあれから、何も話せていない。


 このまま、わだかまりを残したまま、いなくなるなんて、ありえないよ。


真央と、話がしたい。

会って謝りたい。

涙が溢れた。



 立ち止まって、握りこぶしに力をこめると、手で涙を拭った。




 ただ宛もなく歩いた先。


 腫れぼったい目でぼんやり顔をあげた私は、いつの間にかあった目の前に立つ、見知らぬ建物の佇まいに見いっていた。



なんの店だろう……新しくできたのかな。


 入りくんだ路地の奥、ポツンと立つそれは、セビア系の趣ある建物で、不思議とみる人を誘い込むような、そんな雰囲気で存在していた。


 私は誘われるように、その店へと歩いていた。


【 (バクの店) 良質な睡眠を 】


 そう書かれた立て看板を横目に、気付けば店内へと、招かれるようにはいっていた。


 小物やCD、DVD、ブルーレイ、アロマにハーブ、仄かな香りと、微かに流れるオルゴールの音が響いていた。


 奥の方の区画には、枕やシーツ、タオルなどの寝具類、安眠に欠かせないもの達がところせましと並んでいた。


 雑貨店のような、アンティークショップのような、不思議な店舗だった。


 証明の関係か、落ち着いたら雰囲気の漂う空間は、店内にいるだけで、ゆったりとした流れを感じ、不思議とリラックスした気分になってくる。


「あの、よろしければこちらをお使いください」


 いつの間にいたのか、店員さんらしき人が、目の前にタオルを差し出してくれていた。


 白くふわふわの、思わず顔を埋めたくなるようなタオルだった。


 その時になって初めて、自分がさっきまで雨で濡れていたことに気づいた。


 タオルに顔を埋めると、ほんのりと落ち着いた良い香りがした。


なんかホッとする。


「ありがとうこざいます」


 垂れていた雫を手早く拭き取り、ようやく落ち着いた私は、店員さんであろうその人に、お礼を言い、

 その人の方を見て思わず驚いて、一歩後ずさった。


 流れるような軽くクセのある黒髪は、後ろの一房だけが長いらしく、片方の肩から前に、たれさがっている。

 その髪質は、光が当たると濃紺にも見える。


 光を含んだ茶色に近い金色の瞳、白磁のような肌、堀の深い整った顔。


 心配し憂いを帯びたその面差しは、中性的で、スッとした立ち姿のそのありようは、まるで西洋人形にも見え、その人間離れした美しさを、余計に引き立てていた。


 目の覚めるような美形だった。


 固まって動けない私に、その人はにっこりと微笑んで、タオルを受けとり声をかけてくれた。


「いいえ。良かったらゆっくり見ていって下さいね」


 しんとした、心に直接響き渡るような、染み渡るような不思議な声で、引き込まれそうな微笑みをこちらに向けた。


 思わず何も答えられず、呆けたようにその人をみたまま立ち尽くした。


 どのくらいたったか、不思議そうに微笑んだまま小首をかしげる姿に、ハッと我にかえる。


 慌てて頭をコクコク下げ、真っ赤になった顔のまま、店内を見回した。


 中央には、アンティーク調の、テーブルセットがあり、なにか飲み物が飲めるようだった。


 私は急に、喉の渇きを覚え席に着くと、メニューには、いろいろな症状に合わせたブレンドティーが、書かれていた。


 その中で私は(おかませブレンド)を頼んだ。


 届けられたハーブティーは、ほんのり心を温かくさせるような、そんな優しい香りのものだった。


 小皿には、クッキーが二つ添えられている。


 サックリとした歯ごたえと、ホロホロと崩れ溶けるそれは、鼻に抜ける甘いバニラの香りと、香ばしいバターがきいていた。


 気付けばまったりとした、心地良いひとときが過ぎていた。


 会計を済ませ、店を出ようとしたら、店員さんから、お土産を渡された。


「こちらは、サービスになります。良い夢を見られますように」


そう言って、極上の微笑みをもらった。


店を出て、先程もらった紙袋を覗く。


 何かのハーブの描かれている、薄い紺色の小さな匂袋のストラップだった。


 一緒に鈴が着いていて、微かにチリリンと、音がした。


 響きも良く、香りもほんのりとした上品な香りで、すぐに気に入った私は、いつも持ち歩いている鞄につけた。


 私はその足で、真央のいる病院に向かっている。


 少しためらった後、お母さんに、真央のところへ行ってくるからとメールを送ると、病院に入った。

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