第13話 魔物との遭遇

 スマートフォンを取り出し電話しようとした瞬間、周りの空気が一変した。ねっとりとした生臭さが鼻腔を襲い、木にぶつかるような鈍い衝撃音が、一気に現実感を削ぎ落とす。

 ​その生臭い匂いは、血と獣の脂をごちゃ混ぜにした、鉄臭く強烈な獣臭で、思わず鼻を覆いたくなるほどだ。


 視界の端、背の高い草むらが激しく波打ち、不規則な、喉を鳴らすような唸り声が聞こえてくる。

 ​「熊じゃなくて、猪の見間違いだったはずじゃ……」

 ​僕は持っていたバッテリーを草の陰に押し隠し、固く身構えた。

 ​次の瞬間、茂みを文字通り突き破って現れたのは、熊でも猪でもなかった。


 ​全身を薄汚れた毛皮で覆い、獣のように前傾姿勢で立つ、皮膚が緑がかった異形の生物。ずんぐりとしたその体躯は、優に150kgはありそうだ。顔は醜く歪み、殺意をむき出しにした鋭い牙が覗いている。粗末な革鎧をまとい、片手にはゴツゴツとした石を括り付けたような、見るからに重そうな棍棒を握っていた。


――「オーク」――

 ファンタジー小説やゲームで見たことがある魔物だ。


 ​オークは一瞬よろめくように立ち止まり、辺りを見回す。その濁った瞳が、獲物を定めたかのように、真っ先に悠真の体に吸い寄せられた。オークは警戒する様子もなく、棍棒を構えて唸り声を上げる。それは、日本の動物からは決して発せられない、喜びと凶暴さに満ちた、耳障りで悍ましい雄叫びだった。


 ​「うそだろ……なんで、こんなものが日本に……」

 ​昨日食べた三袋のカリ梅のせいか。それとも、高志さんのバッテリーを回収に来たこの場所が、世界のシステムの『裂け目』と重なっていたのか。理由は分からない。だが、異世界からの『予期せぬ影響』が、最悪の形で現実となってしまった。


 ​オークが地響きを立てて突進してくる。悠真は反射的に逃げようとしたが、初めて見る魔物の迫力に足が竦み、木陰に隠れるのが精一杯だった。

 ​「ユウマ!大丈夫!?」

 ​木陰に身を隠していた悠真は、その声の主を見て息を呑んだ。銀色の髪を持つエルフの少女、リリエッタだ。彼女は木の幹を盾にしながら、背中に背負った弓を構え、瞳の奥に強い警戒を滲ませている。


 そして、もう一人、長い杖を持つ男性エルフが低い声で呪文を唱え、その他にナイフを持った狼の顔をした獣人、大きな斧を持つ赤髪で髭もじゃのドワーフが、オークの隙を狙って散開していた。どうやら、四人組の冒険者パーティーらしい。

 ​「リ、リリエッタ!?なんでここに!?」

 ​「私たちが宿泊している宿屋の主人から料理に使う鳥獣の狩猟を指名依頼されて山に来たんです。全然獲物が見つからなくてしばらく歩いていたらいきなり風景が変わり、突然夕暮れになってしまって。それで一旦戻ろうとしたら、この魔物の気配がして、急いで来てみたらユウマが……」

 ​リリエッタが言い終わらないうちに、男性エルフの「爆裂大炎バーニング・フレイム」という張り詰めた声が響き、杖の先から放たれた巨大な火の玉が、轟音と共にオークに直撃した!一瞬、焦げ臭い匂いがたちこめる。オークは怯んだかに見えたが、次の瞬間、威嚇のつもりか、耳をつんざく雄叫びをあげ、勢いを増してこちらに突進してきた。


 ​リリエッタが素早く弓を引き絞り、矢を2本、間髪入れずに放つ。1本は見事、その右目に深く突き刺さったが、もう1本は硬い皮膚に弾かれてしまった。さすがのオークも目に刺さった矢の痛みで、もがきながらそれを抜こうとする。その一瞬の隙を突いて、狼の獣人が投げたナイフがオークの手に食い込み、オークは思わず鈍重な棍棒を手放した。


 後方から回り込んだドワーフが、渾身の力を込めて斧を振りかぶり、獣の唸りのような声と共に連撃を叩き込むが、革鎧と皮膚に阻まれ、なかなか致命的なダメージを与えられない。男性エルフは、焦燥感を滲ませながら次の魔法の呪文を紡いでいる。まだドワーフが肉弾戦を続けているため、リリエッタは迂闊に矢を放てない。


 ​狼の獣人が、周囲に響く大声で叫んだ。「旦那たち、こいつはただのオークじゃない、魔石付きのオークだ!!。この硬さじゃ、俺たちの武器や魔法じゃ倒すのは厳しい!撤退しよう!」

 ​獣人はそう叫ぶと、球状の物をいくつか、オークに目掛け投げつける。その声を聞いたドワーフは、攻撃をぴたりと止め、一目散に駆け出した。球状の物がオークに命中すると、濛々とした白い煙が立ちこめ、オークの巨体が視界から消える。男性エルフも呪文を止め、逃げる体勢だ。リリエッタだけが、いつでも矢を放てるようオークのいる煙の塊に狙いを定めている。


 ​狼の獣人が悠真の元に駆け寄って来て、緊迫した声で告げる。「アンタ、リリエッタ嬢ちゃんの知り合いみたいだな。この煙が晴れる前に、一緒に逃げるぞ!」

 ​だが悠真は、さっきからリリエッタの言葉以外、会話の意味が分からずにその危機的な状況を理解しきれていなかった。躊躇していると、業を煮やしたリリエッタが「ユウマ!逃げるのよ!!」と、張り裂けそうな声で叫んだ。


 ​悠真は、ようやく事態の深刻さを理解した。だが、逃げたところでここは日本だ。こんな魔物を生かしてしまえば、どれほどの被害が出るか想像もつかない。――戦うしかない。

 ​悠真はトラックに積んである刈払機を転移させて武器にしようと試みたが、何も起きない。


 ​そこで思いついたのが、和央さんの店でメンバー会員5%OFF特典の1,425円で買い、トラックに置いたままの、刈払機用ブレードの替刃だ。アレなら転移できるかもしれない。そう念じると、ようやく転移の力が発動した。


 ​転移したのは、元は直径255mm、厚さ1.4mmの三枚刃の替刃。それが、約2倍の大きさと厚みに変化し、まるで異様な巨大手裏剣のような形となって、目の前で甲高い風切り音を立てながら高速回転して浮遊している。


 ​そうしている間に、オークを包んでいた煙が晴れた。オークは全身に怒りの表情を浮かべ、今度は、確実に仕留めるようにゆっくりと悠真たちに向かってくる。

 ​悠真は、頭の中で「オーク目掛け飛んで行け」と強く念じる。空中で高速回転している三枚刃手裏剣は、唸りを上げてオーク目掛けて一直線に飛んで行った!


 ​だが、刃はオークの分厚い身体には刺さらなかった。刃はそのままオークの巨体をすり抜け、その首の周りを恐ろしい速度で周回すると、悠真の前に再び戻ってきて、静かに浮遊した。


 ​「失敗した……!」

 ​悠真が攻撃が失敗したと思い、もう一度オーク目掛け三枚刃手裏剣を飛ばそうとした瞬間、オークの動きが完全に止まった。

 ​次の瞬間、オークの太い首に一閃の赤い線が走り、巨体を支えていた首がストンと地面に転がり落ちたのだった。

 ​三枚刃手裏剣の、想像を絶する威力。悠真と、リリエッタたち冒険者パーティーは、あまりにも唐突で凄惨な結末に、唖然とした表情のまま、首が無くなって動かないオークの巨体と、地面に転がる醜い首を、ただ見つめていた。


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