第7話 レモネと空の旅

 パチンとスイッチの音がして、プロペラが回り始める。

 エンジンがばすんと煙を吐くから、吸い込まないように息を止める。すぐに煙は消えて、がたんと機体が揺れて、するすると進み出す。

 ライムは丁寧に、滑走路の端っこまで走らせてからぴたりと止めた。

 車輪のブレーキはかかったまま、プロペラがどんどん速く回って――――。


「――――離陸する」

「れっつごー!」


 うぎゅっ。

 ぐぐっと背もたれに押し付けられる。

 ブレーキを外された機体がぐんと飛び出して、窓の外がするすると流れていって。


 ふわり、と浮き上がった。


「飛んだーっ!」

「…………よしっ」


 何度経験しても、やっぱりわくわくする!

 ぺたりと窓にくっつくと、地面がゆっくり遠ざかるのが見えた。まるで鳥になったみたいっ。

 それに、なにより!


「パパの操縦より揺れない! ライム上手っ!」

「……揺れにくい飛行機だからだよ」

「もーけんそんしてっ」


 窓から見える翼はゆったりと伸びて、落ちそうな感じはみじんもない。

 たまにキコキコと音がして、さっき確認したエルロンがちょこちょこと動いている。

 これパパが自慢げに言ってた! 飛行機が風に流されないように微調整するテクニック、当てかじだ。

 ライムはわざわざ言わないけれど、さりげなくそういうことをして、揺れないようにしてくれている。

 そう思うと、なんだかライムがかっこよく見えてきた。


「…………っ」


 かっこいいよ、って伝えてあげようと思ったけれど、なかなか声が出なかった。

 ごくっと喉を鳴らして、私はマイクのスイッチを切る。 


 ――――わざわざ言わないでおこ。

 私のほうもさりげなく……ね?






「――――ねえ、ライム」

「……どうした」

「ライムはどうして、飛行機が好きなの?」

「えぇと。そうだな――――」


 ライムは少し考え込んだ。

 ゔううーとエンジンの音がしばらく響いて。

 それから静かに、どこへでも行けるからかな――――とつぶやいた。


「……空は全てつながっている。好きなところに、飛行機はそのための乗り物なんだ。なににも縛られないのがかっこいいから好き……なんだと思う」

「ふうん、なるほど……」 

「だけど昔の戦争のとき……これが作られた当時は、出撃したまま帰ってこられなかった飛行機もたくさんいた。だからぼくは自由に飛ばしてあげたいと思っている、それで好きな人と好きな場所へ行きたい」


 ……なんだか、思った以上にちゃんとした答えが返ってきた。

 ただかっこいいからってだけじゃない。

 いろいろ考えて、自分の想いを持った上で、飛行機のことが好きなんだね。 

 

 好きな人と好きな場所へ行く、か。

 確かに戦争していた時にはできないことだよね。

 乗せる人は軍人さん、行く先は戦場。全部決まっていたはずだもの。


 ライムはなんというか、平和な時代の人らしく飛行機に乗ろうとしている気がする。

 正直、私にはちょっと難しいけど、まっすぐな気持ちが伝わってきた。

 なんかいいわね、そういうの。


「ライムは意外としっかりしてるのね。見直しちゃった!」

「意外と……?」

「意外よ? いつもどこか抜けてるもの」

「えっ……どこだろ」

「どこでしょう? ふふっ」


 例えば――――好きな人、なんて私に誤解されかねない言葉を使ったことに気付いていないとことかね。

 私のこと!? って少しドキッとしたのは内緒だよ!






 飛行機は海の上を飛んでいく。

 ちかちか、きらきらと輝く水面が眼下いっぱいに広がって、私はまぶしくて手をかざす。

 暗くなった視界の端で、なにかがぱっぱっと跳ねた。


「――――ん?」


 ぐーっと目を細めて海を見つめてみる。

 相変わらずのきらきら。まっ平らな世界。

 …………気のせい?

 

「ライム、ここから魚って見えるのかな」

「さすがに見えるわけな…………そうだな。すごく目がよければもしかしたら。レモネのパパみたいな、エースパイロットなら見えるかもしれない」

「じゃあ私には見えないよね。うーん……」


 やっぱり、見間違いかなあ。

 私は目をぱちりとして、最後にもう一度目を凝らした。


 ――――――――あっやっぱりなんか跳ねたっ!


「ライムっ見て見て、右下っ! なんかいる!」

「んん――――あぁ。あれはイルカだな」

「イルカっ!?」

「近くに行ってみようか」


 ぐおん、と翼がかたむいた。

 すーっと曲がって、ぴょんぴょん跳ねる白波の上へ。


「レモネ、背面飛行するから舌をかまないように気を付けて」

「えっ――――わああっ!」


 窓の外の水平線が、下へ消えたと思ったら。

 機体がぐるりと仰向けになって、頭の上いっぱいに海が広がった。

 私たち逆さまになってる! ねえライム大丈夫なのっ!?


「見てレモネ。群れがちょうど真下にいる」

「そんなこと言ってる場合じゃ――――っ!」


 ――――ばっ! っと海面を見上げて。

 私は、思わず息をのんだ。

 

 頭上を軽やかにスキップするイルカたち。

 白い航跡をまっすぐ描いて、紺色の世界を進んでいく。

 水面のきらきらはまたたく星ぼし、イルカは流れる流星群。

 まるで――――夜の空みたい。

 

「きれい…………」

「それはよかった」


 くるりと機体が戻って、満足そうなライムの声が聞こえてきた。

 もうちょっと見ていたかったのに……って残念に思っていたら、なんだか指先がやけに寒い。

 というか下半身が――――そっか、逆さまだったからだ。気付いてないうちに、頭へ血が登っちゃってたんだ!

 だからライムは、早めに逆さまをやめたのね……。


「ライムさすが――――もう立派なパイロットだわ!」

「……そりゃあ操縦免許持ってるし」


 当たり前みたいに言っちゃってもう。

 うれしいくせにー。

 隠しきれていない得意げな声に、私はふふっと微笑む。

 んんっ! とライムがせき払いして、もうすぐ着く、とつぶやいた。

 

「ほんとっ?」

「ほら、陸地が見える」


 私はずいっと背もたれ越しにのぞき込む。

 青い海のはるか向こう、緑色が見えた。

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