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「二橋大学教授の愛染真琴さんに間違いありませんね?」

 杉浦刑事は裏返った声でそう言った。ベテラン刑事も愛染に見つめられると緊張するらしい。


「ええ、そうです」愛染は冷ややかに答えた。「そこにいる平成多摩大学の清水君とは学問上のつきあい、まあ、一種の学友ですね」


 「学友か……」思いがけず愛染にそう紹介されて、私は面映おもはゆい気持ちで部屋を見渡した。

 愛染の研究室を訪れるのはこれが初めてだったが、彼女らしい実に殺風景な部屋だった。

 家具と呼べるものは、愛染が前にしている大型デスクと、彼女の背後の壁に作り付けてある書棚、それに刑事たちが座っているソファーだけ。

 装飾品は一つもなく、デスクの上にも2台のパソコンと複合機が置かれているだけだった。

 驚いたのは、学者の必需品というべき本が、1冊もないことだった。

 壁一面を占めている書棚にも、資料をファイルしているらしいバインダーが整然と並んでいるだけだ。

 書庫にしている部屋があるのだろうが、ひょっとしたら必要な資料はみなデータ化してクラウドに上げてあるのかもしれない。


「助手の方はいらっしゃらないんですね?」

 同じことを考えているらしく、杉浦刑事もあたりを見渡して言った。


「こういう事態だからね」愛染は杉浦刑事をじっと見つめて言った。「朝のうちに電話をかけて国立国会図書館での調査を指示しておいた。今日、明日は研究室に顔を出す必要はないと言ってね」


「なるほど」杉浦刑事はうなずいて言った。「ご配慮、ありがとうございます」


 愛染は無表情でうなずいた。

「誘拐事件が現実に起こっているのなら、刑事が事情聴取に来るのは時間の問題だからね。だから、僕なりに調査を進めながら君らを待っていたのだが……。これほど待たされるとは思わなかったな」


 愛染は「遅い」と言ったが、杉浦・乗田両刑事が私の自宅のインターフォンを押したのは、愛染の電話から約1時間後の午前10時頃のことだった。

 私から話を聞いた神奈川県警の野崎が警視庁に照会し、問い合わせの内容を知ってびっくりした捜査本部の主任が、野崎に私のことを問いただし、事情を確かめるためにこの二人を差し向けたのだ。

 それから愛染のところに行くまで1時間近くかかっているのは、今朝の愛染の電話をはじめ、彼女と私の関係や経歴、私たちが関わった他の事件のことなどについて細々と聞かれていたからだ。


 彼らがすぐに愛染のところに行こうとしなかったのには、もう一つ理由があった。私と愛染の身辺調査の結果を待っていたようなのだ。

 どんな結果が出たのかわからないが、その報告らしきものをメールで受け取った杉浦刑事は、やおら立ち上がり、「では、愛染先生のところにご案内いただきましょうか?」と言った。

 そして、乗田刑事が運転する覆面パトカーに乗って、愛染の研究室がある二橋大学まで来たというわけだ。

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