第2話 ボーイ・ミーツ・ガール
床にへたり込んだまま動けない俺を見て腹を抱えて笑い転げていた少女は、ようやく落ち着いたのか涙を指でぬぐって立ち上がった。そして、俺を見下ろし満足げに微笑む。
「こーんな美少女のおっぱい触れるなんてラッキーっすね?感謝してくださいよ~?」
こ、こいつには恥じらいってものは無いのか!?
俺は壁に手をつき、震える脚に無理やり力を込めて立ち上がる。そして目の前の悪魔のような美少女をせめてもの抵抗だとばかりに睨みつけた。
「ふ、ふざけるな……!」
だが、俺の怒りはどこか空回りしていた。それもそのはずだ。
俺の意識の大部分は、今もなお右手に生々しく残っている、あの生まれて初めて触れた未知の感触に支配されていたのだから。
柔らかかった。温かかった。そして、信じられないくらい大きかった……。
そんな俺の葛藤を見透かしたように、少女はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「大丈夫っすか? そんなに顔を赤くして。もしかしてトイレ行きます? 今すぐその感触をオカズにしたいんじゃないっすか?」
「ば、ばばば、馬鹿言うな!」
図星を突かれ、俺は裏返った声で叫んだ。何でこいつはこんなに可愛い見た目してるのに、そんなに羞恥心も無くオヤジみたいな下ネタを平然と言い放つんだ!?
こっちが恥ずかしくて仕方ない!!
俺はわざとらしく咳払いをして、無理やり平静を装った。このままでは、この小悪魔のペースに飲まれ続けるだけだ。
「そ、そんなことより! お前、一体何者なんだ!? どう見たって普通の地球人じゃないし、外のあのデカいロボットはなんなんだよ!」
俺が核心を突くと、少女は「お?」と少し意外そうな顔をした後、面白そうに口の端を吊り上げた。
「本来、あたし達みたいな高等文明の知的生命体は、こーいう未開の惑星の住人に正体を明かしちゃいけないルールなんすけど……まあ、いっか。キミのこと、特別に気に入ったんで教えて差し上げるっす。光栄に思ってほしいっすよ?」
ものすごく恩着せがましい態度で胸を張り、彼女は改めて俺に向き直った。
「あたしの名前はセレスティア・ライフォード・ファルファリーナ。見ての通り、このチキュウって星の人間じゃないっす。遥か彼方の銀河系にある、ファルファリーナ星ってところの王女なんすよ」
「……王女?」
予想の斜め上を行く自己紹介に、俺は呆気に取られた。
セレスティアは「そうっす」と頷き、話を続ける。
「ファルファリーナ星の王族は、王位を継承する前に、星の治安維持組織で経験を積むっていうしきたりがあって。今はその一環で働いてるってわけっす」
「は、はぁ……」
つまり目の前のこの美少女は、ガチの宇宙人でお姫様で、しかも警察か軍隊みたいな組織にいる、と。情報量が多すぎて処理が追いつかない。
「で、外のあれは、あたしの専用機『アークスレイヤー』。あたしの可愛い相棒っす」
セレスティアは店の窓から、夜の闇にそびえ立つ巨大な機影を誇らしげに見やった。
「あいつは『オリハルコン・ジェネレーター』っていう半永久機関を積んでるから、エネルギーが尽きる心配はないっす。単独での宇宙航行はもちろん、大気圏への突入離脱も問題なし。この星の軍事力なんて、アークスレイヤー単騎で数日もあれば殲滅できるっすね」
淡々と語られる、恐るべきスペック。俺の背筋に、冷たい汗がツーっと流れた。
単騎で地球の軍事力を殲滅できる……?
まさか、こいつ……。
「ち、地球を侵略しに来たのか……!?」
俺が恐怖に顔を引きつらせると、セレスティアはきょとんとした顔で首を傾げ、次の瞬間、ぷっと吹き出した。
「んなわけないでしょ! そんな面倒くさいこと、誰がやるんすか」
あっけらかんと笑い飛ばすと、彼女は真面目な顔つきになり、俺の目をまっすぐに見つめた。
「逆っすよ。あたしは、この星の平和を守るために来たんす」
「……平和を、守る?」
「そうっす。あたし達が追ってる『宇宙怪獣』が、この星に逃げ込んだんすよ。だから、そいつを始末するために来た。それだけっす」
怪獣。その単語に、俺は息を呑んだ。
「この星に……怪獣が!?」
「まあ、チキュウジンにはまだ見つかってないみたいすけどね。でも、放っておけば間違いなくこの星は壊滅的な被害を受けるっす。だから……」
セレスティアはニカッと歯を見せて笑うと、親指をぐっと立てて見せた。
「私とアークスレイヤーが、必ずキミ達を守るっすよ!」
その自信に満ちた笑顔は、先程までの小生意気な表情とはまるで別人のように、頼もしく、そして輝いて見えた。
からかわれたことは腹立たしいが、根は悪い奴じゃないのかもしれない。むしろ、地球を救いに来てくれたヒーロー……?
俺の警戒心は、その一言で少しだけ、本当に少しだけ解けていった。
すると、セレスティアは「さてと」とパンと手を叩いた。
「あたしばっかり自己紹介するのはフェアじゃないっすよね? キミの名前も教えてほしいっす」
急に話を振られ、俺は戸惑いながらも口を開いた。
「お、俺は御堂拓実。この辺の高校に通ってる、ただの高校生だ」
「みどう、たくみ……。ふーん、良い名前っすね。よろしく、タクミ!」
彼女は嬉しそうに頷くと、再びあのニヤニヤ顔を俺に向けた。
「そして――童貞っすよね?」
なぜそれを!?
さっき少しだけ芽生えた信頼感が、一瞬で木っ端微塵に砕け散った。
「なっ……! ち、違う! そ、そんなわけないだろ!」
俺は全力で否定するが、その狼狽した態度が何よりの証拠だったらしい。セレスティアは「あっはは!」と楽しそうに笑った。
「その反応は間違いないっすね! いやー、分かりやすくて助かるっす!」
「ぐっ……!」
「ちなみに私も処女っす」
「え……?」
突然のセンシティブなカミングアウトに俺の顔が赤くなる。
「あっはははは!また変な想像したっすね!?思春期の男の子可愛すぎっすよ~!」
言葉もない。この女、人の純情を弄ぶ天才か。
前言撤回。断固撤回だ。
ヒーローなんかじゃない。こいつはただの、性悪で傍若無人で、人の心をかき乱すのが大好きな小悪魔だ。
目の前の小悪魔にどう反撃してやろうかと必死に頭を捻っていた、まさにその時だった。
ギュイッギュイッ!
静かな店内に、不釣り合いで不快な警告音が鳴り響く。音の発生源は、俺のズボンのポケットに入っているスマートフォンだった。なんだろうと画面を覗き込むと、そこには見たこともない文言が赤く表示されていた。
【緊急速報】巨大未確認生物出現。該当地域の住民は、直ちに避難し、身の安全を確保してください。
「……は?」
巨大未確認生物? なんだそれ、新しい手の込んだスパムか?
俺が訝しんでいると、セレスティアが「どうしたんすか?」と不思議そうに俺のスマホを覗き込んできた。俺は首を傾げながら、バックヤードのパソコンのスリープを解除し、ニュースサイトを開く。
そのトップに表示された映像に、俺は絶句した。
『ご覧ください! 突如として市街地に出現した巨大な生物が、ビルをなぎ倒しながら進行中です! これは映画の撮影などではありません! 繰り返します、これは――』
モニターに映し出されていたのは、紛れもなく見慣れた街の景色だった。
しかし、異質なのはその中心で暴れ回っている巨大なトカゲのような怪物の姿。
黒く濡れたような鱗に覆われ、背中からは不気味な棘が無数に生えている。口からは破壊的な光線を吐き出し、ビルを軽々と破壊していた。
一瞬、大掛かりな映画のプロモーションかと思った。だが、俺の隣で映像を覗き込んでいたセレスティアが、目を見開いて叫んだ。
「ヴォイドリザード! ついに姿を現したっすね!」
その切迫した声で俺は悟った。これは、映画でもドッキリでもない。紛れもない、現実だ。
全身からサッと血の気が引いていくのが分かった。
「や、やばい! 逃げないと!」
俺がパニックに陥って叫ぶと、セレスティアは逆に落ち着いた様子で俺の肩を掴んだ。
その碧眼には、先程までの悪戯っぽい光ではなく、真剣な光が宿っていた。
「タクミ!この場所を知ってるんすよね? ちょうど良かったっす! こいつの居場所まで、アークスレイヤーに一緒に乗って案内してほしいんすよ!」
「はあ!? なんで俺がそんな危険な場所に!」
思わず叫び返してしまったが、すぐにハッとする。
そうだ、彼女はわざわざ宇宙の果てからこの無関係な地球を守るために来てくれたんだった。それを、俺は……。
この状況で、女の子を一人、あんな化け物の元へ行かせるのか? 俺は安全な場所からのうのうと見ているだけでいいのか?
……ダメだ。それは、男として許されない。
「……わかった。女の子を一人で危険な目に遭わせるわけにはいかないよな。俺も連れて行ってくれ」
俺が真剣な顔でそう告げると、今度はセレスティアが虚を突かれたように目を丸くした。
「え……。いいんすか? っていうかキミは今、あたしを心配してくれたんすか……?」
彼女は少しだけ視線を逸らすと、照れくさそうに人差し指で自分の鼻の頭をかいた。
「……割と本気で、キミのこと気に入ったかも」
そう呟くと、彼女はすぐにキリッとした表情に戻り「よし!」と気合を入れた。
避難指示も出ている。店にいても危険なだけだ。店を勝手に閉めても怒られないだろ。
俺はコンビニのシャッターを下ろし、自動ドアの電源を切って鍵をかける。そして、セレスティアに促されるまま、夜の闇にそびえ立つアークスレイヤーの足元へと向かった。
ワイヤーで機体に引き上げられ、開かれたコックピットハッチから内部へと滑り込む。
内部は、想像以上に狭かった。
セレスティアがバイクにまたがるように前傾姿勢で操縦桿を握ると、体のラインがくっきりと浮かび上がるスーツに包まれた腰からお尻にかけての曲線が目の前に突き出される形になる。俺は目のやり場に困り、思わず顔を逸らした。
「何してるんすか、タクミ! 早く後ろに座って、あたしの胴体にしっかりしがみつくっす!」
どうやらバイクの二人乗りの要領らしい。だが、このコックピットは元々一人乗り用だ。二人で乗るには、完全に体を密着させないとハッチが閉まらないのだ。
「ほ、本当にいいのか……? なんか、その……通報とかしないよな?」
俺がビクビクしながらも言われた通りに彼女の後ろに回り込み、恐る恐るその細い胴体に腕を回してしがみつくと、セレスティアが吐息交じりの声を上げた。
「あんっ……」
「うおっ!?」
その妙に色っぽい声に心臓が跳ね上がり、俺は驚きのあまり天井にゴツンと頭をぶつけた。
すると、セレスティアは腹を抱えて大爆笑し始めた。
「あっはははは! タクミってばマジでからかい甲斐があって面白いっすね!」
「ぐっ……!」
またからかわれた! 盛大に溜息をつきたくなるが、腕に伝わる彼女の体の柔らかさと、鼻腔をくすぐる甘い香りに心臓はドキドキと鳴りやまない。
ひとしきり笑った後、セレスティアは真面目な顔つきになった。
「それじゃあ、行くっすよ! 道案内、頼んだっすからね! アークスレイヤー、発進!」
セレスティアが叫ぶと同時に、アークスレイヤーの背中のブースターが蒼い光を噴射する。凄まじいGが全身を襲い、俺は必死に彼女の体に抱きついた。
機体は一気に上空へと舞い上がる。眼下には、まるでミニチュアのような夜の街並みが広がっていた。コックピットは360度の全天周モニターになっており、まるで空を飛んでいるかのような錯覚に陥る。
「すごい……」
俺がその光景に圧倒されていると、セレスティアが「どっちすか!」と尋ねてきた。俺はニュース映像の記憶を頼りに、方角を指し示す。
「あっちだ!」
アークスレイヤーは、戦闘機のような猛スピードで夜空を切り裂いていく。
しばらく飛ぶと、前方に黒煙が立ち上っているのが見えた。そして、地上では巨大な怪獣がビルを破壊し、人々が逃げ惑う地獄絵図が広がっていた。
あまりに非現実的な光景に息を呑む俺の隣で、セレスティアが闘志を燃やす。
「見つけたっす! 覚悟するっすよ、ヴォイドリザード!」
アークスレイヤーは急降下し、轟音と共に怪物の眼前に着地した。
地球の歴史上初めてとなる巨大怪獣と巨大ロボットの戦いが今、始まろうとしていた。
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